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国会

北村透谷と内村鑑三の「不敬事件」――「教育勅語」とキリスト教の問題

『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書) で、宗教学者の島薗進氏は、「教育勅語」と「国家神道」のつながりをこう説明しています。

「教育勅語が発布された後は、学校での行事や集会を通じて、国家神道が国民自身の思想や生活に強く組み込まれていきました。いわば、『皇道』というものが、国民の心とからだの一部になっていったのです。/事実、この時期から、国家神道とそれを支持する人々によって、信教の自由、思想・良心の自由を脅かす事態がたびたび生じています。/たとえば、一八九一年に起きた内村鑑三不敬事件です」(108~109)。。

今回はその影響を明治期の『文学界』(1893~98)の精神的なリーダーであった北村透谷と徳富蘇峰の民友社との関係を通して考察することにします。

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透谷が評論「『罪と罰』の殺人罪」において、「最暗黒の社会にいかにおそろしき魔力の潜むありて、学問はあり分別ある脳髄の中(なか)に、学問なく分別なきものすら企(くわだ)つることを躊躇(ためら)ふべきほどの悪事をたくらましめたるかを現はすは、蓋(けだ)しこの書の主眼なり」と書いたのは大日本国帝国憲法が発布されてから4年後の1893年のことでした。

この記述を初めて読んだ時には、長編小説『罪と罰』に対する理解力の深さに驚かされたのですが、この時代を調べるなかでこのような透谷の言葉は単に彼の鋭い理解力を示すものではなく、権力者の横暴を制止するために「憲法」や「国会」の開設を求める厳しい流れの中での苦しい体験と考察の結果でもあったことが分かりました。

ことに注目したいのは、明治憲法の翌年に渙発された「教育勅語」の渙発とその影響です。たとえば、1891年1月には第一高等中学校教員であった内村鑑三が、教育勅語奉読式において天皇親筆の署名に対して敬礼はしたが最敬礼をしなかったために、「国賊」「不敬漢」という「レッテル」を貼られて退職を余儀なくされたといういわゆる不敬事件がおきていたのです。

しかも、ドイツ留学から帰国して東京帝国大学の文学部哲学科教授に任ぜられ『勅語衍義(えんぎ)』を出版していた井上哲次郎は、1893年4月に『教育ト宗教ノ衝突』を著して、改めて内村鑑三の行動を例に挙げながらキリスト教を、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」とした「教育勅語」の「国家主義」に反する反国体的宗教として激しく非難しました。それに対しては本多庸一、横井時雄、植村正久などのキリスト者が反論をしましたが、ことに高橋五郎は徳富蘇峰の民友社から発行した『排偽哲学論』で、これらの人々の反論にもふれながら、「人を不孝不忠不義の大罪人と讒誣するは決して軽き事にあらず」として、比較宗教の視点から井上の所論を「偽哲学」と鋭く反駁していました。

しかし、比較文明学者の山本新が位置づけているように「不敬事件」として騒がれ、これを契機に「大量の棄教現象」を生みだすという結末をむかえたこの事件は「国粋主義」台頭のきっかけとなり、北村透谷もその流れに巻き込まれていくことになるのです。

すなわち、北村透谷は「井上博士と基督教徒」でこのことにも触れながら次のように記しています。少し読みづらいかもしれませんが、原文をそのまま引用しておきます(269~270)。

「『教育ト宗教ノ衝突』一篇世に出でゝ宗教界は忽ち雲雷を駆り来り、平素沈着をもて聞えたる人々までも口を極めて博士を論難するを見る。…中略…彼れ果して曲学者流の筆を弄せしか。夫れ或は然らん。然れども吾人は井上博士の衷情を察せざるを得ず。彼は大学にあり、彼は政府の雇人(こじん)なり、学者としての舞台は広からずして雇人としての舞台は甚だ窮屈なるものなることを察せざるべからず」。

ここで透谷はキリスト教徒としての自分の立場を堂々と主張しておらず、議論を避けているような観もあります。しかし、「思へば御気の毒の事なり」と書いた透谷は、「爰に至りて却て憶ふ、天下学者を礼せざるの甚しきを、而して学者も亦た自らを重んぜざること爰に至るかを思ふて、嘆息なき能はず」と結んでいました。公務員として「国家」の立場を強調する井上博士への批判はきわめて厳しい批判を秘めていると感じます。

実際、1892年には、『特命全権大使 米欧回覧実記』を編集していた帝国大学教授久米邦武が『史学雑誌』に載せた学術論文「神道ハ祭典ノ古俗」が批判されて職を辞していましたが、35年後の1927年には今度は井上が『我が国体と国民道徳』で書いた「三種の神器」に関する記述などが不敬にあたると批判されて、その本が発禁処分となったばかりでなく、自身も公職を辞職することになるのです。

この問題は「文章即ち事業なり」と冒頭で宣言し、「もし世を益せずんば空の空なるのみ。文章は事実なるがゆえに崇むべし」と続けて、頼山陽を高く評価した山路愛山の史論「頼襄(のぼる)を論ず」(明治二十六年一月)を厳しく批判した「人生に相渉るとは何の謂ぞ」(『文学界』第2号)にも通じていると思われます。

この文の冒頭で、「繊巧細弱なる文学は端なく江湖の嫌厭を招きて、異(あや)しきまでに反動の勢力を現はし来りぬ」と記した透谷は、その後で「反動は愛山生を載せて走れり。而して今や愛山生は反動を載せて走らんとす。彼は『史論』と名くる鉄槌を以て撃砕すべき目的を拡めて、頻(しき)りに純文学の領地を襲はんとす」と非常に激しい言辞を連ねていたのです。

キリスト教を「教育勅語」の「国家主義」に反する反国体的宗教として厳しく断じた著書に対する反論として書かれた「井上博士と基督教徒」は、激しさを抑えるような文体で書かかれていたので、この文章を読んだときには、その激しさに驚かされました。

しかし、愛山が民友社の『国民新聞』記者であったばかりでなく、キリスト教メソジスト派の雑誌『護教』の主筆として健筆をふるい、その合間には熱心に伝道活動をも行っていたことを考えるならば、「彼に因りて日本人は祖国の歴史を知れり。日本人は日本国の何物たるかを知れり。日本国の万国に勝れたる所以を知れり」と頼山陽の事業を讃えた愛山が、「天下の人心俄然(がぜん)として覚め、尊皇攘夷の声四海に遍(あまね)かりしもの、奚(いづくん)ぞ知らん彼が教訓の結果に非るを。嗚呼(あゝ)是れ頼襄の事業也」と結んでいることに怒りと強い危機感を覚えたのだと思えます。

実際、「尊皇攘夷」という儒教的な理念を唱えた愛山の史論は、日清戦争前に書いた初版の『吉田松陰』では、松陰が「無謀の攘夷論者」ではなく開国論者だったことを強調していながら、日露戦争後に著した「乃木希典の要請と校閲による」改訂版の『吉田松陰』では、「彼は実に膨張的帝国論者の先駆者なり」と位置づけることになる徳富蘇峰の変貌をも予告していたとさえいえるでしょう。

しかも、「教育勅語」の渙発によって変貌を余儀なくさせられたのは、キリスト者だけではありませんでした。宗教学者の島薗氏は先の書で「天理教も、その教義の内容が行政やマスコミ、地域住民、宗教界から批判を受け、教義の中に国家神道の装いを組み込まざるを得ませんでした」と指摘していたのです。

安倍政権の違法性――集団的自衛権行使を認めた閣議決定と内閣法制局

 集団的自衛権の行使を認めた2014年7月の閣議決定に関連して、法制局が内部の検討資料を正式な行政文書として残していないとしてことが明らかになり問題となっていましたが、1月21日に参院決算委が「この閣議決定に関して法制局が作成、保存した全ての文書の開示を要求」したことから、新たな事実が判明しました。

2月17日の「朝日新聞」朝刊は、「内閣法制局が国会審議に備えた想定問答を作成しながら、国会から文書開示の要求があったのに開示していなかったこと」や、「法制局は閣議決定までの内部協議の過程を記録していないこと」も明らかになったと報道していました。

今朝(2月24日)の「東京新聞」はそのような経過も踏まえて「内閣法制局 内部文書を国会に示せ」という社説を載せています。分かりやすく論理的な文章なので、その一部をここで引用しておきます。

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「どのように集団的自衛権をめぐる憲法解釈を変更したのか。内閣法制局は内部検討資料があるのに国会への開示を拒んでいる。憲法上の重大問題だけに、解釈変更のプロセスは明らかにすべきだ。

日本は相手から攻撃を受けていないのに、武力で同盟関係にある他国を守る-。簡単に言えば集団的自衛権はそう説明できる。政府は従来一貫して、この行使は認められないとしてきた。

有名なのは一九七二年の政府見解だ。ここでは、自衛の措置をとることはできるが、平和主義を基本原則とする憲法が無制限にそれを認めているとは解されないこと。さらに集団的自衛権の行使は憲法上、許されないことをはっきりと明言している。

むろん、「憲法の番人」といわれる歴代の内閣法制局長官もこの見解を踏襲している。国民に対しての約束事であり、国際社会に対する約束事であったはずだ。

ところが、一昨年七月に安倍晋三内閣がその約束事をひっくり返し、集団的自衛権の行使容認を閣議決定してしまった。…中略…

この閣議決定は憲法改正に等しい事態だった。それを受けた安全保障関連法も憲法違反の疑いが濃厚で、野党から廃止法案が出ている。国会に提示すべき文書といえよう。内閣法制局が重要文書の開示を拒み続けるのは、国民の「知る権利」の侵害と同じだ。

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憲法53条は臨時国会の召集について、「いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」と定めており、昨年の秋に野党各党は衆参両院でそれぞれ4分の1以上の議員数により「臨時国会召集要求書」を提出していました。/「憲法」の規定による要求を無視していたことは、「国民」の正当な権利の侵害にあたると思われますが、安倍政権が「国会」開催に躊躇したのは、このような「事実」が明らかにされることを嫌がったためだと思われます。

多くの「憲法」違反と思われる国会運営を行っている安倍内閣と閣僚たちの違法性については、テレビなどできちんと報道されるべきなのですが、戦前の内務大臣を思わせるような「総務大臣」の報道統制についての発言で萎縮しているようにも見えます。

「政権」を選挙で選ぶという民主主義は手間暇のかかる制度ですが、それまでの「武力」による権力の奪取しか方法のなかった時代と比較するときわめて穏健で、妥当な制度だと思われます。その民主主義を守るためにも帝政ロシアの政策を想起させるような危険な「安倍政権」の問題点を、HPを通して指摘していきたいと考えています。

裁判制度と内閣法制局に関係する記事

なぜ今、『罪と罰』か(5)――裁判制度と「良心」の重要性

参院特別委員会採決のビデオ判定を(4)――福山哲郎議員の反対討論

安倍政権の「民意無視」の暴挙と「民主主義の新たな胎動」

今回の国会審議で多数を占めた与党からは「法的安定性は関係ない」と発言した礒崎陽輔首相補佐官や、シールズを批判して利己的個人主義がここまでまん延したのは戦後教育のせいだろうが、非常に残念だ」と記した自民党の武藤貴也衆院議員の常識外れの発言が目立った程度で、最期まで灰色の二つの大きな物言わぬ集団という印象しか受けませんでした。

一方、質問などに立った野党議員は一人一人が個人として屹立し凜々しく見えました。日本の将来を真剣に憂慮して考え抜いた野党議員たちの渾身の発言は、今後も憲政史上長く語り継がれるものと思われます。それは単に私個人の印象にとどまるものではなく、多くの人が共有する思いでしょう。

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9月15日のブログで私は「権力」を乱用する安倍晋三氏と江戸時代の藩主を比較して次のように書きました。

「江戸時代には民衆のことを考えない政治をする暴君に対しては、厳しい処罰を覚悟してでもそれを諫める家老がいましたが、現在の自民党には『独裁的な傾向』を強めている安倍首相を諫める勇気ある議員がほとんどいないということです。与党の公明党にも、安倍首相の『国会』を冒涜した発言に苦言を呈する議員がほとんどいないということも明らかになりました」。

しかし、国民からは巨額の税金を取る一方で、国民には秘密裏にTPP交渉を進め、アメリカが始めた「大義なき戦争」に、かつての「傭兵」のように自衛隊を「憲法」に違反してまでも差し出そうとしている安倍晋三氏を藩主に喩えるのは褒めすぎでしょう。

安倍晋三氏にはこのような評価は不本意でしょうが彼が行おうとしていることは、ドイツの作家シラーなどが戯曲『ウィリアム・テル』(ヴィルヘルム・テル)で描いたオーストリアから派遣された14世紀の悪代官ヘルマン・ゲスラーがスイス人に対して行った暴政に似ているのです。

東京新聞:これからどうなる安保法 (1)米要望通り法制化:政治(TOKYO Web)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015092202000210.html …

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15日のブログでは「『暴君』を代えるまでにはもう少し時間がかかるかもしれませんが、昨日のデモからは今回の運動が確実に政治を変えていくだろうという思いを強くしました」と続けていました。

なぜならば、その思いは単なる願望ではなく日本では明治時代に自由民権運動の高まりをとおして薩長藩閥政府を追い詰めて、明治14年(1881)には1889年には国会を開設するという約束を獲得したという歴史を持っているからです。

注目したいのは、その2年後の明治16年(1883)に、『坂の上の雲』の主人公の一人で新聞記者となる若き正岡子規が中学校の生徒の時に、「国会」と音の同じ「黒塊」をかけて、立憲制の急務を説いた「天将(まさ)ニ黒塊ヲ現ハサントス」という演説を行っていたことです。

俳人となった正岡子規は分かりやすい日本語で一人一人が自分の思いを語れるように俳句の改革を行いました。

「民主主義ってなんだ」と問いかけるSEALDs(Students Emergency Action for Liberty and Democracy–s、自由と民主主義のための学生緊急行動)がツイッターの冒頭に掲げている「作られた言葉ではなく、刷り込まれた意味でもなく、他人の声ではない私の意思を、私の言葉で、私の声で主張することにこそ、意味があると思っています」という文章からも、「憲法」と「国会」の獲得に燃えていた明治の若者たちと同じような若々しい思いと高い志が感じられるのです。

最期に、参院特別委員会での強行採決が「無効」であると強く訴えた福山哲郎議員の参議院本会議での反対討論のまとめの部分を引用しておきます。

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残念ながらこの闘い、今は負けるかもしれない。しかし、私は試合に負けても勝負には勝ったと思います。私の政治経験の中で、国会の中と外でこんなに繋がったことはない。ずっと声を上げ続けてきたシールズや、若いお母さん、その他のみなさん。3.11でいきなり人生の不条理と向き合ってきた世代がシールズだ。彼らの感性に可能性を感じています。

どうか国民の皆さん、あきらめないで欲しい。闘いはここから再度スタートします。立憲主義と平和主義と民主主義を取り戻す戦いはここからスタートします。選挙の多数はなど一過性のものです。

お怒りの気持ちを持ち続けて頂いて、どうか戦いをもう一度始めてください。私たちもみなさんお気持ちを受け止め戦います! 国民のみなさん、諦めないでください。

私たちも安倍政権をなんとしても打倒していくために頑張ることをお誓い申し上げて、私の反対討論とさせて頂きます。

(2015年9月23日。「東京新聞」の記事へのリンク先を追加)

参院特別委員会採決のビデオ判定を(1)―NHKの委員会中継を見て

久しぶりにHNKが国会の中継を行っているのに気づいて、途中からでしたが、鴻池委員長にたいする不信任の理由を述べた野党議員による問題点の指摘に聞き入っていました。

これまでの歴史を踏まえた社民党の福島瑞穂議員の説得力のある発言に続いて、自衛隊の海外派兵の問題点に鋭く迫り、やはり十分な審議の必要性を明らかにした山本太郎議員が発言の短縮を求められて素直に中断したあとで、採決が求められ鴻池委員長の不信任案が否決されました。

その後の流れが映像を何度見ても分かりません。ニュースの解説によれば、その後には「締め括り審議」が予定されており、それに備えるために安倍首相や中谷防衛大臣、岸田外務大臣などが着席していたのです。野党議員の渾身の質問にたいして、首相や大臣がどのように答弁するのか固唾を呑んで私は見守っていました。

しかし、不信任案が否決された直後に与党の議員が委員長席に駆け寄り、それに続いて野党議員が駆け寄り、もみ合う映像が何度も流されましたが、「締め括り審議」はどこに消えたのでしょうか。

すでに大相撲では映像によるビデオ判定が採用されています。鴻池委員長の発言は聞こえず、議事録には「精査不能」と記されているとのことですが、そのような場合には大相撲では「取り直し」となります。まして、「国民の生命」に関わる重要な法案ならば、「精査不能」の「締め括り審議」は、きちんと「やり直し」とされるべきと思われます。

まだ、参議院本会議での議論が残っており、法案の帰趨は分かりませんが、このような方法で採決した参議院の自民・公明両党は、「良識の府」の歴史に大きな汚点を残したといわねばならず、日本は「明治憲法」が発布される以前の薩長藩閥政府が権力を専横していた時代へと逆戻りする危険性さえあると思えます。

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しかし、そのような危険性にもかかわらず、多くのひとびとが「民主主義」と「憲法」について再び、深く真剣に考え始めている現在、私はこれまでに味わったことのないような可能性も感じています。

そのことの理由についてはいずれ詳しく記したいと思いますが、ここでは参院・中央公聴会でのシールズ(自由と民主主義のための学生緊急行動)の奥田愛基さんの発言の一部を紹介することでその説明に代えることにします。

「どうか、政治家の先生たちも個人でいてください。政治家である前にたった一人の個人であって下さい。自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して孤独に思考し、判断し、行動して下さい」、「困難な時代にこそ希望があることを信じて、私は自由で民主的な社会を望み、この安全保障関連法案に反対します」。

リンク→李下に冠を正さず――ワイドショーとコメンテーター

リンク→「国会」と「憲法」、そして「国民」の冒涜――「民主主義のルール」と安倍首相

(2015年9月18日。題名の一部を変更、リンク先を追加)

 「国会」と「憲法」、そして「国民」の冒涜――「民主主義のルール」と安倍首相

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空からのニュース映像〔NHK〕

 

「東京新聞」の今朝の朝刊の記事によれば、14日の安全保障関連法案に関する参院特別委員会で、安倍晋三首相は法案に国民の支持が広がっていないことを認める一方で、「熟議の後に決めるべき時には決めなくてはならない。それが民主主義のルールだ」と早期の採決を促し、法案が成立した後には国民の理解が広がるとの見方も示したとことです(太字は引用者)。

これは本末転倒で「民主主義のルール」に従うならば、時間をかけた議論の後でも国民の支持が広がっていない場合には、その法案は廃案とすべきでしょう。

しかも熟議の中で、この法案の問題点や首相の資質などが問われる発言が多発しているのです。「民主主義のルール」を強調するならば、混乱を招いた自らの政治姿勢を恥じて安倍首相は潔く辞任すべきでしょう。

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一方、昨日のデモではプラカードも「廃案」の文字などを記したものだけでなく、ペットボトルで作られた提灯のようなものを掲げた人などさまざまな意見や創意工夫がなされており、ペンライトもかざされて印象的でした。

デモは整然と行われており、狭い歩道に人があふれて将棋倒しになり、怪我人がでる危険性が強くなったときに、車道を解放せよとの声があがったのも自然だったでしょう。

先の総裁選ではっきりしたことは、江戸時代には民衆のことを考えない政治をする暴君に対しては、厳しい処罰を覚悟してでもそれを諫める家老がいましたが、現在の自民党には「独裁的な傾向」を強めている安倍首相を諫める勇気ある議員がほとんどいないということです。与党の公明党にも、安倍首相の「国会」を冒涜した発言に苦言を呈する議員がほとんどいないということも明らかになりました。

国会の会期末は近づいていますが、民主主義の危機に際して声を上げ始めた昨日のデモからは、幕末から明治初期にかけて示された「国民」の「行動力」が彷彿とさせられます。

「暴君」を代えるまでにはもう少し時間がかかるかもしれませんが、昨日のデモからは今回の運動が確実に政治を変えていくだろうという思いを強くしました。

「安倍談話」と「立憲政治」の危機(1)――明治時代の「新聞紙条例」と「安全保障関連法案」

今回は8月14日に発表された「安倍談話」の問題を取り上げます。

なぜならば、「戦後70年」の節目として語られたはずにもかかわらず、その談話ではそれよりもさらに40年も前の「日露戦争」の勝利が讃えられる一方で、「憲法」や「国会」の意義にはほとんどふれられていいなかったからです。その文章を以下に引用したあとで、それらの問題点を具体的に考察することにします。

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「終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。」

こう語り始めた安倍氏が「歴史の教訓」の例として取り上げたのが、「立憲政治」の樹立と日露戦争の勝利でした。

「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」(太字は引用者)

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日露戦争の勝利を讃美することの危険性については、次に考察したいと思いますが、今回はまず「明治憲法」と「国会」開設の問題を取り上げます。

自分の祖父である岸信介氏を理想視する安倍首相は、「立憲政治」の意義についてはさらりと言及しただけでしたが、日露戦争をクライマックスとした長編小説『坂の上の雲』で司馬氏が比較という手法をとおして力を込めて描いていたのは、皇帝による専制政治のもとで言論の自由がなかった帝政ロシアと、「憲法」を持ち、「国民」が自立していた日本との違いでした。

しかも、俳句の革新を行っただけでなく、新聞記者としても活躍していた正岡子規を主人公の一人としたこの長編小説では、権力におごっていた薩長藩閥政府との長く厳しい戦いをとおして、「明治憲法」が発布され、「国会」の開設に至ったことも描かれていました。

そのことは西南戦争に至る明治初期の日本を描いた長編小説『翔ぶが如く』とあわせて読むことで、いっそう明白となるでしょう。『坂の上の雲』が終わる頃から書き始められたこの長編小説では、「讒謗律(ざんぼうりつ)」や「新聞紙条例」を発布することで、江戸幕府以上に厳しく言論の自由を制限していた薩長藩閥政府の問題がくっきりと描かれているのです。

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一方、多くの憲法学者や元最高裁長官が指摘しているように「憲法」に違反している可能性の高い「安全保障関連法案」を安倍内閣は推し進め、自民・公明両党も衆議院でこの法案を強行採決しました。

特徴的なのは、この法案を審議する特別委員会で、「ヤジ」を飛ばしたりして厳しく諫められた首相が、今度は国会での審議中にもかかわらず、民間のテレビ局で自説を述べるなど、「国会」の軽視がはなはだしいことです。

さらに、参議院での議論をとおして問題がより明確になってきたにもかかわらず、自民党の高村副総裁も国民の理解が「十分得られてなくても、やらなければいけない」と述べて、「国民」の意向を無視してでも、参院でも「戦争法案」を強行採決する姿勢を明確に示しています。

その一方で高村氏は、「選挙で国民の理解が得られなければ政権を失う」と話し、次の衆議院選挙で国民の審判を仰ぐ意向を示したとのことですが、それは順序が逆で、選挙を行う前に「公約」として掲げていなかったこの法案を廃案とし、改めて次の国会で議論すべきでしょう。

なぜならば、このHPでも何度も取り上げてきたように、昨年末の総選挙の前に菅官房長官は「秘密法・集団的自衛権」は、「争点にならず」と発言していました。そして自民党も「景気回復、この道しかない」というスローガンを掲げ、「アベノミクス」を前面に出して総選挙を戦っていたからです。

安倍首相も「さきの衆院選では昨年七月の閣議決定に基づき、法制を速やかに整備することを明確に公約として掲げ、国民から支持を頂いた」と、安保法案は選挙で公約済みと強調しましたが、「東京新聞」の記事が具体的に指摘したように、昨年の選挙での自民党公約では、安保法制への言及は二百七十一番目だっただけでなく、「集団的自衛権の行使容認」は見出しにも、具体的な文言にもなかったのです。

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このように「憲法」と「国会」をとおして現在の日本の政治を見るとき、安倍首相などの言動は「70年談話」で語られた「アジアで最初に立憲政治を打ち立て独立を守り抜きました」という日本の歴史を否定し、日本の民主主義を「存亡」の危機に立たせているように感じます。

このような「憲政」の危機に際して、「心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵」を学ぶためにも、これまで誤解されてきた長編小説『坂の上の雲』をもう一度丁寧に読み直す必要があると思えます。

正岡子規を主人公として、新聞『日本』を創刊した恩人・陸羯南との関わりや夏目漱石との友情をとおして『坂の上の雲』を読むとき、これまでの解釈とはまったく違った光景が拓けてくることでしょう。

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残念ながら、「国民の生命や安全」に深く関わるいわゆる「戦争法案」が、9月17日に民主主義の根幹を揺るがすような方法で「強行採決」されたことにより、現在の日本は「憲法」が仮死状態になったような状態だと思われます。

それゆえ、次回からは「憲法」がなく言論の自由が厳しく制限されていた帝政ロシアで書かれた長編小説『罪と罰』が、なぜ法学部で学んだ元大学生を主人公とし、弁護士との激しい論戦が描かれているのかを考察することにします。

そのことにより日本では矮小化されて解釈されることの多い長編小説『罪と罰』が現代の日本に投げかけている問題が明らかになるでしょう。

リンク→「安倍談話」と「立憲政治」の危機(2)――日露戦争の賛美とヒトラーの普仏戦争礼賛

(2016年1月28日。改題と改訂。リンク先を変更)。

 

〈「学者の会」アピール賛同者の皆様へ緊急のお願い 〉を掲載

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佐藤学(「安全保障関連法案に反対する学者の会」発起人・事務局代表)氏より、〈緊迫した国会情勢のもと、「学生と学者の共同行動」を大成功させましょう〉との文言と共に、今後の行動日程を記したメールが届きましたので以下に転載します。

 リンク→http://anti-security-related-bill.jp

このブログの記事でもたびたび指摘してきましたが、「この国のかたち」を決めた「憲法」をないがしろにする安倍政権の独裁的な手法は、「日本」の民主主義を根底から覆して、戦前の軍国主義的な国家体制を「復古」させることにつながるでしょう。一人でも多くのかたが「反対」の声をあげられることを願っています。

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(1)9月6日(日)は午後3時から午後5時半、新宿伊勢丹前の歩行者天国で、「学生と学者の共同街宣行動」を行います。歩行者天国を埋め尽くしましょう。

この街宣行動では、学生と学者のスピーチの他、蓮舫民主党代表代行、志位和夫日本共産党委員長、吉田忠智社会民主党党首、二見伸明公明党元副委員長が、スピーチを行います。(他の野党は返答まち)

重要な時期の重要な街宣になるので、ぜひ、ご参加ください。当日のフライヤーを添付します。なお、雨天の場合は、歩行者天国は行われないので、新宿駅東口で街宣行動を行います。

(2)9月11日(金)は学生と学者の共同行動第3弾として、午後7時半から国会前の抗議行動を行います。こちらも、こぞって参加してください。

(3)以下のように各地方でSEALDsの行動が展開されます。地方ごとにSEALDsを支援し共に闘いましょう。

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【SEALDs】

9/4(金) 19:30~21:30 戦争法案に反対する国会前抗議行動

9/6(日) 15:00~17:30 安全保障関連法案に反対する学者と学生による街宣@新宿 9/10(木) 19:30~21:30 戦争法案に反対する国会前抗議行動

9/11(金) 19:30~21:30 戦争法案に反対する国会前抗議行動

9/12(土) S4LON vol.3[この国で生きる―経済 憲法 安保法制―]第1部 15:00~ 第2部 19:00~

9/14(月)~9/18(金) 戦争法案強行採決に反対する国会前緊急抗議行動

【TOHOKU】

9/4から 毎週金曜街宣 9/5(土) SALON(詳細未定)

(9/6(日) 弁護士大集会) 9/10 緊急アピール(詳細未定)

【KANSAI】

9/4 (金) 18:30~20:00 戦争法案に反対する金曜街宣アピール@大阪梅田ヨドバシカメラ前

9/11 (金) 19:30~21:30 戦争法案に反対する国会前抗議行動

9/13 (日) 16:00~18:30 戦争法案に反対する関西大行動@大阪 靭公園

【RYUKYU】 9/12(土) 10:00~12:00 サロンvol.2トポセシア(沖縄県宜野湾市我如古2-12-6)

9/19(土) 「沖縄のことは沖縄で決める緊急アピール」(場所未定)

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)の目次を「著書・共著」に掲載

標記の拙著に関して昨年の10月に目次案を掲載しましたが、その後「秘密法・集団的自衛権」は「争点にならず」とした衆議院選挙が昨年末に行われ、その「公約」を裏切るような形で「安全保障関連法案」が提出されました。

「蟷螂の斧」とは知りつつもこの事態を「黙過」することはできずに、この法案の危険性を明らかにする記事を書き続けていました。そのため、6月27日に書いたブログ記事「新聞『日本』の報道姿勢と安倍政権の言論感覚脱稿に向けて全力を集中する」と宣言したにもかかわらず、拙著の進展が大幅に遅れてしまい、読者の方々や人文書館の方々にはご心配をおかけしました。

ただ、「国会」や「憲法」を軽視して「報道」にも圧力をかけるような安倍政権の「独裁政治」を目の当たりにしたことで、今回の事態が「新聞紙条例」や「讒謗律」を発行し自分たちの意向に沿わない新聞には厳しい「発行停止処分」を下していた薩長藩閥政権ときわめて似ていることを痛感したことで、東京帝国大学を中退して新聞「日本」の記者となった正岡子規の生きた時代を実感することができました。

それゆえ、新著では明治維新以降の歴史を振り返ることにより、「戦争」や「憲法」と「報道」の問題との関わりをより掘り下げて、「安倍政治」の危険性を明らかにするだけでなく、「新聞記者」としての子規の生き方や漱石との友情にも注意を払うことで、若い人たちにも生きることの意義を感じてもらえるような著作にしたいと願っています。

目次に関しては微調整がまだ必要かも知れませんが、題名だけでなく構成もだいぶ改訂しましたので、新しい題名と目次案を「著書・共著」に掲載します。

リンク『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館、2015年

「国会」と「憲法」軽視の安倍内閣と国会前の「命懸け」スピーチ

自民党の高村正彦副総裁は11日の衆院憲法審査会で「自衛の措置が何であるかを考え抜くのは憲法学者ではなく政治家だ」と主張していましたが、18日の党首討論で安倍首相は「感情論、感情的な価値判断で答え」、「具体的説明を拒否」しました。

これにたいして民主党の岡田代表は、「時の内閣に武力行使や憲法判断を白紙委任しているのと一緒だ。立憲国家ではない」と厳しく批判したことを新聞各紙は伝えています(引用は「東京新聞」朝刊より)。

実際、国会での論戦を拒否して「政権与党の命令に従え」と語っているかのような安倍内閣の姿勢は、安倍首相の祖父の岸信介氏も閣僚として参加していた日米開戦前の「東条内閣」にきわめて近いようにさえ感じられます。

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18日の衆院予算委員会で安倍首相は野党からの質問に対しては具体的説明を拒否する一方で、昨年7月の閣議決定については「国際情勢に目をつぶり、従来の解釈に固執するのは政治家としての責任放棄だ」と持論を繰り返しました。

しかし、「国際情勢に目をつぶり」たがっているのは、安倍首相の方でしょう。国家の安全のためにきちんとした「外交」を行うべき政治家が、交渉をするのではなく、相手国の非を一方的に述べ立てて挑発することは「戦争」へと国家を誘導していることになります。

「報復の権利」を主張して「戦争の大義」がないにもかかわらず強引にイラク戦争をはじめたブッシュ政権の負の遺産として、「復讐」を声高に唱える現在の「イスラム国」が生まれたことはすでによく知られています。

日本の自衛隊が「イスラム国」などとの戦争に「後方支援」として参加することは、攻撃の対象が広がることで自国民の被害が軽減される欧米各国からは歓迎されると思われます。しかし、それは日本の「国民」や「国土」を戦争の惨禍に再びさらすことになる危険性を伴っているのです。安倍氏は武器の輸出など一時的な利益に目がくらんで、若い「国民」の生命を犠牲にしようとしているのです。

さらに、テロとの戦いを名目としてこれらの戦争に「後方支援」として参加することは、「国際政治」の分野で、日本が独自の平和外交の機会を投げ捨てることに等しいと思われます。

長期的な視野で考えるならば、被爆国の日本が「憲法九条」を保持することが、「国際平和」を積極的に打ち立てることにつながるでしょう。これらの論点から目を逸らし相手からの鋭い追求に答えずに、持論を繰り返すことは、もはや国会の論争ではなく、むしろ独りよがりの独裁者の演説に近い性質のものでしょう。

このような安倍氏の主張には、満州では棄民政策を行い、米国の原爆投下の「道義的な責任」を問わなかった岸・元首相と同じように、自分の政策の誤りで起きた原発事故の責任問題などから国民の視線を逸らそうとする意図さえも感じられるようです。

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18日夜、東京・永田町の国会議事堂近くで繰り広げられた安全保障関連法案に反対する抗議行動に参加した作家で僧侶の瀬戸内寂聴氏(93)は、「このまま安倍晋三首相の思想で政治が続けば、戦争になる。それを防がなければならないし、私も最後の力を出して反対行動を起こしたい」との決意を語りました(「東京新聞」19日朝刊)。。

そして、太平洋戦争に際しては「この戦争は天皇陛下のため、日本の将来のため、東洋平和のため」と教えられていたが、「戦争に良い戦争は絶対にない。すべて人殺しです」と続けた瀬戸内氏は、次のように結んでいました。

「最近の日本の状況を見ていると、なんだか怖い戦争にどんどん近づいていくような気がいたします。せめて死ぬ前にここへきてそういう気持ちを訴えたいと思った。どうか、ここに集まった方は私と同じような気持ちだと思うが、その気持ちを他の人たちにも伝えて、特に若い人たちに伝えて、若い人の将来が幸せになるような方向に進んでほしいと思います。」

仏陀だけでなく、イエスも「殺すなかれ」と語っていたことを思い起こすならば、憲法学者や歴史学者だけでなく、すべての宗教者が瀬戸内氏の呼びかけに答えてほしいと願っています。

 

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

標記の拙著に関しては発行が大幅に遅れて、ご迷惑や心配をおかけしていますが、ようやく新しい構想がほぼ固まりました。

本書では「黒塊(コツクワイ)」演説を行ったことが咎められて松山中学を中退して上京し、「栄達をすてて」文学の道を選んだ正岡子規に焦点を絞ることで、新聞記者でもあった作家・司馬遼太郎氏が子規の成長をどのように描いているかを詳しく考察しています。

長編小説『坂の上の雲』では、子規の死後に起きた日露戦争における戦闘場面の詳しい描写や戦術、さらには将軍たちの心理の分析などに多くの頁が割かれていますので、それらを省略することに疑問を持たれる方もおられると思います。

しかし、病いを押してでも日清戦争を自分の眼で見ようとしていた子規の視野は広く、「写生」や「比較」という子規の「方法」は、盟友・夏目漱石やその弟子の芥川龍之介だけでなく、司馬氏の日露戦争の描写や考察にも強い影響を及ぼしていると言っても過言ではないように思えます。

司馬氏は漱石の長編小説『三四郎』について「明治の日本というものの文明論的な本質を、これほど鋭くおもしろく描いた小説はない」と記しています。子規と漱石との交友や、子規の死後の漱石の創作活動をも視野に入れることで、長編小説『坂の上の雲』の「文明論的な」骨太の骨格を明らかにすることができるでしょう。

『坂の上の雲』の直後に書き始めた長編小説『翔ぶが如く』で司馬氏は、「征韓論」から西南戦争に至る時期を考察することで、「近代化のモデル」の真剣な模索がなされていた明治初期の日本の意義をきわめて高く評価していました。明治六年に設立された「内務省」や明治八年に制定されて厳しく言論を規制した「新聞紙条例」や「讒謗律(ざんぼうりつ)」は、新聞『日本』の記者となった子規だけでなく、「特定秘密保護法」が閣議決定された現代日本の言論や報道の問題にも深く関わると思われます。

それゆえ本書では、子規の若き叔父・加藤拓川と中江兆民との関係も視野に入れながらこの長編小説をも分析の対象とすることで、長編小説『坂の上の雲』が秘めている視野の広さと洞察力の深さを具体的に明らかにしたいと考えています。

ドストエフスキーを深く敬愛して映画《白痴》を撮った黒澤明監督は、『蝦蟇の油――自伝のようなもの』の「明治の香り」と題した章において、「明治の人々は、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』に書かれているように、坂の上の向うに見える雲を目指して、坂道を登っていくような気分で生活していたように思う」と書いています。

焦点を子規とその周囲の人々に絞ることによって、この作品の面白さだけでなく、「明治の人々」の「残り香」も引き立たせることができるのではないかと願っています。

リンク→『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館

( 2015年8月10日、改訂と改題)