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原発事故

高市早苗総務相の「電波停止」発言と報道の危機――「私たちは怒っています!」

「環境の日」を知らなかった丸川珠代環境相が、メディアについて「自分の身を安全なところにおいて批判していれば商売が成り立つ」「文句は言うけど何も責任は取らない」などと批判的な発言していたことも報じられていました。

しかし、先ほども記したように、2013年6月18日に「東京電力福島第一原発事故で死者が出ている状況ではない」として原発の再稼働を求めて、「政治家を辞めるべき」と厳しい批判を浴びた高市氏が総務大臣となると、政権の独裁的な手法を批判するメディアを敵視して、恫喝的な発言を繰り返していることにはきわめて大きな問題があると思われます。

リンク→内務省の負の伝統」関連の記事一覧

このような状態にたいして、29日に日本記者クラブで記者会見を開いた金平茂平氏らのキャスターが「私たちは怒っています!」との声をあげ、「電波法停止発言は憲法、放送法の精神に反している」という声明を発表しました。

このニュースは昨日の、「朝日新聞」デジタル版で大きく報じられていましたが、今朝の「東京新聞」の「こちら特報部」でも、「息苦しさまん延」「負けられぬ戦い」などの見出しとともに大きく報じられていました。

この記事では田原総一朗氏が、高市氏の発言を「恥ずかしい発言で、全テレビ局の全番組が抗議すべきだ」と訴えたほか、鳥越俊太郎氏が「負ければ戦前のような大本営発表になる」と語ったことも伝えています。

一方、谷垣禎一幹事長は、27日放送のBS朝日の番組で「私はそういうことに自民党が踏み込んでいくのは非常に慎重で、それが自民党の放送政策だと思っている」と高市発言に否定的な考えを示したとのことです。

それならば、それまでの「自民党の放送政策」を否定し、独裁的な手法でメディアの自粛を強要している高市氏の即時罷免を安倍氏に進言すべきでしょう。自公両党にも良心的で骨のある議員は少なくないと思われますので、自分の選挙のためではなく孫や子の世代のことまで考えて、危険な安倍政権の実体を直視して頂きたいと願っています。

「僕は無智だから反省なぞしない」――フクシマ後の原発再稼働と知識人・小林秀雄

今日(2月27日)の「東京新聞」朝刊は、原発事故に関する二つの記事を一面のトップで伝えています。最初の記事は「高浜4号機 不安の再稼働 冷却水漏れ直後、予定通り」という大見出しと、「問われる責任 福島事故 生きない教訓」という見出しとともに掲載された下記の記事です。

*   *   *

〈関西電力は二十六日、高浜原発4号機(福井県高浜町)を再稼働させた。福島第一原発事故後の原子力規制委員会の新規制基準下では、九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県)、高浜原発3号機に続き二カ所四基目。4号機では二十日、原子炉補助建屋でボルトの緩みが原因で放射性物質を含む一次冷却水漏れが起きたが、関電は同様の弁を点検するなど対策を済ませたとして、当初予定通りの日程で再稼働させた。〉

もう一つは「東電元会長ら3人 29日に強制起訴」という見出しの次のような記事です。

〈東京電力福島第一原発事故で、東京第五検察審査会から二度、起訴すべきとの議決を受けた東電の勝俣恒久元会長(75)ら旧経営陣三人について、検察官役の指定弁護士が二十六日に会見し、三人を二十九日に業務上過失致死傷罪で、在宅のまま強制起訴することを明らかにした。〉

*   *   *

これらの記事を読みながら思い出したのは、敗戦後の1946年に戦前の発言について問い質されて、「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した。それについては今は何の後悔もしていない」と語り、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と啖呵を切って居直っていた日本の代表的な知識人・小林秀雄のことです(下線は引用者)。

なぜならば、「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注──ラスコーリニコフ)には現れぬ」と長編小説『罪と罰』を解釈した文芸評論家の小林秀雄の著作が、自民党の教育政策により教科書や試験問題でも採り上げられることにより「利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」という道徳観が広まったことで、自分の発言に責任を持たなくともよいと考える政治家や社長が増えたと思えるからです。

しかも、1948年の8月に行われた物理学者・湯川秀樹博士との対談「人間の進歩について」で、「私、ちょうど原子爆弾が落っこったとき、島木健作君がわるくて、臨終の時、その話を聞いた。非常なショックを受けました」と切り出した小林秀雄は、「人間も遂に神を恐れぬことをやり出した……。ほんとうにぼくはそういう感情をもった」と語り、「原子力エネルギー」の危険性を指摘してこう続けていたのです。

「目的を定めるのはぼくらの精神だ。精神とは要するに道義心だ。それ以外にぼくらが発明した技術に対抗する力がない」。

当時としてはきわめて先見の明のある発言だと思われますが、問題は「僕は無智だから反省なぞしない」と啖呵を切ることで戦争犯罪の問題を「黙過」していた小林が、原発の推進が「国策」となると今度は「原子力エネルギー」の危険性をも「黙過」するようになっていたことです。

それゆえ、代表的な知識人である小林が「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した」と発言していた文章を読み直したときには、「僕は政治的には無責任な一国民として事変に処した」と発言しているのと同じだと感じたのですが、小林秀雄の「道義心」の問題は「国民の生命」に関わる「原子力規制委員会」とも深く関わっています。それゆえ、再稼働を許可した「原子力規制委員会」関連記事一覧も次のブログで掲載します。

追記:

このような記述は、小林秀雄にたいして厳しすぎると感じる人が少なくないと思われます。戦前から戦時中の日本には言論の自由がなく、東条英機に批判的な発言をした者は、犯罪者として罰せられるか、懲罰召集されて前線に送られていたためです。それゆえ、ここではドストエフスキー研究者の立場から、戦後の発言についてのみ問題としています。

なお、自分の言葉がスメルジャコフに「父親殺し」を「使嗾」していたことに気づいたイワンが、深い「良心の呵責」に襲われ意識混濁や幻覚を伴う譫妄症にかかったと描かれている『カラマーゾフの兄弟』については、「アインシュタインのドストエフスキー観と『カラマーゾフの兄弟』」を参照してください。

 

北朝鮮の「水爆実験」と日本の核武装論者

昨日、北朝鮮が「水爆実験を行った」と発表したことで、「国際社会」が厳しい対応を検討し始め、日本のマスコミもこの問題を大きく取り上げています。

たしかに、「ラッセル・アインシュタイン宣言」で、世界を破滅させる危険性が指摘されている水爆実験を21世紀に入っても行う政治感覚は、厳しく批判されなければならないでしょう。

リンク→ラッセル・アインシュタイン宣言-日本パグウォッシュ会議

その一方で注目したいのは、核の危険性を指摘している宗教学者の島薗進氏がきむらとも氏の下記のツイートを紹介していることです。

「自衛隊も日本分析センターも、政府の要請でキセノンなど空気中の放射性物質測定開始した」とNHKが報じているが、311直後こんな報道は即座にあったか。「国産」の放射能汚染は安全だから騒ぐ必要ないが、「北朝鮮産」の放射能汚染だから危険と言うわけか。ならば、素晴らしきWスタンダードだ。」

実際、福島第一原子力発電所の大事故による放射能汚染については、最近、EUの調査機関などによりその汚染の実態は日本の政府が発表しているものよりはるかに大きい可能性が指摘され始めているのです。

リンク→欧州:日本の国土の約15%が「徹底的な放射能監視地域」に …

spotlight-media.jp/article/233058112628169725

*   *   *

さらに以前のブログ記事でも言及したように自民党の中には、昨年、復古的な「歴史観」と「道徳観」を披露して批判された武藤貴也衆議院議員など北朝鮮と同じように「核武装」しようとすることを公言している議員がかなりいます。

「核武装論」関連の記事一覧

麻生財務相の箝口令と「秘められた核武装論者」の人数

武藤貴也議員の核武装論と安倍首相の核認識――「広島原爆の日」の前夜に

武藤貴也議員の発言と『永遠の0(ゼロ)』の歴史認識・「道徳」観

 

つまり、かつては自分でも核武装論を唱えていたばかりでなく、党内に多くの核武装論者を抱え、さらに「違憲」の疑いが強い危険な「安全保障関連法」を強行採決して、原発だけでなく武器の輸出も積極的に始めようとしている安倍政権には、北朝鮮を非難する資格はないと思われます。

日本が国際的にも信頼される国家となり、世界の平和に貢献するためには、他国の問題点は厳しく非難する一方で、政権に不利な情報は新聞やテレビなどの情報機関に強い圧力をかけることで隠蔽している安倍政権に代わる政権を、一日も早くに樹立することが必要でしょう。

リンク→NHK新会長の発言と報道の危機――司馬遼太郎氏の報道観をとおして

デマと中傷を広めたのは誰か――「無責任体質」の復活(4)

Earthquake and Tsunami damage-Dai Ichi Power Plant, Japan

(2011年3月16日撮影:左から4号機、3号機、2号機、1号機、写真は「ウィキペディア」より)

 

デマと中傷を広めたのは誰か――「無責任体質」の復活(4)

東電の勝俣恒久元会長(75)、武藤栄(さかえ)元副社長(65)と、武黒(たけくろ)一郎元副社長(69)の三人について業務上過失致死傷罪で起訴すべきとした東京第五検察審査会の議決が出たことを受けて、先ほど〈原発事故の「責任者」は誰か――「無責任体質」の復活(3)〉というブログ記事をアップしました。

そこではサイト「文芸ジャンキー・パラダイス」の2013年7月12日の記述を紹介していましたが、その記述が「首相がデマを流していいのか?」と題されていたのは、「そうならないよう万全の態勢を整えている」と国会答弁をしていただけでなく、事故当時の最高責任者・菅直人氏を安倍晋三氏がメルマガで激しく誹謗中傷していたことを次のように批判していたからです。少し長くなりますが引用します(太字は引用者)。

*   *

福島原発事故で菅元首相が海水注入を止めたためメルトダウンを引き起こし、福島原発事故がひどくなったというデマが今も広く信じられている。

管元首相は事故時に放射性物質の予測拡散情報を公開せず、国民を無用な被曝に晒したことから、僕は菅氏に対して憤りを感じている。だが、安倍氏は無実の罪を菅氏になすりつけて、自分へ批判が向かないようにしており、その行為はあまりに姑息すぎる。

安倍氏は事故直後の2011年5月20日のメルマガで次のように記している。

「東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入しようと考えており、実行した。しかし、 やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だったのです」/「菅総理は間違った判断と嘘について国民に謝罪し直ちに辞任すべきです

だがその後の調査で、実際は福島第一原発・吉田所長の判断で海水注入は中止されてなかったし、菅首相から中止指示があったという指摘についても、国会の原発事故調査委員会において「中止の指示を出したのは総理大臣の菅ではなく、官邸へ派遣された東京電力フェローの武黒一郎によるものだった」ことを武黒本人が認めている。 さらに、当時安倍氏は情報の出所として「(経産省の)柳瀬か(保安院の)寺坂に聞けば分かる」と記者達に吹聴し、多くの記者が柳瀬氏に問い合わせたところ「ありえません」「安倍さんの言っていることは嘘です」と返答したという。

100歩譲って、事故直後は情報の混乱があり、安倍氏が誤った知識を得たのもやむなしとしよう。だが、問題は参院選直前の現時点(2013年7月12日)においても、公式WEBでその文章が削除もされずお詫び訂正もされてないこと(引用者注――現在は削除されているようです)。

それゆえ安倍氏の支持者は今も「自民政権だったら事故は防げた。フクシマの事故はすべて管元首相のせい」とネットに書きまくっている。あまりに悪質すぎる。 菅氏のブログにその苦悩が綴られているので転載したい。

http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/column15.html

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「ネットを利用した安倍晋三総理の巧妙な名誉毀損」2013年07月11日

ネットを利用し、嘘の情報を流すことで安倍晋三氏は私と民主党に対する重大な名誉毀損行為を行い、訂正の要求に応じないことで今も名誉毀損行為を続けている。

選挙戦を戦っていて、 多くの人の間でいったん定着した誤解を解く事がいかにむつかしいかを痛感している。福島原発事故で、当時の菅総理が海水注入を止めたためメルトダウンを引き起こし、福島原発事故がひどくなったという今も広く信じられている誤解。この嘘の情報を最初にネット上に発表したのが2011年5月20日付けの安倍晋三氏のメルマガ。この総理経験者のメルマガ情報を翌日の読売新聞と産經新聞が大々的に取り上げた。さらに何度も国会で同趣旨の質問を自民党議員が繰り返すことでマスコミに取り上げさせた。そして、6月2日に提出された菅内閣不信任案の理由の一つとされた。敵ながらあっぱれとでもいうべき見事な一連の情報操作だ。

その後海水注入は停止されていなかったことが故吉田所長自らの発言で明らかになったが、そのことは一般の人にまで伝わらず、菅総理が海水注入を止めて、メルトダウンが起きたという誤解だけが広く今日まで残っている。安倍氏と自民党のこうした一連の行為は私個人に対するだけでなく、民主党に対しても重大な名誉毀損に当たる。

誤解を解くためには安倍晋三氏に誤りを認めさせて、謝罪させる必要がある。安倍氏の発表がネット上のメルマガであったので、私もネット上でこれまで何度も誤りを認めて訂正と謝罪をするよう求めてきた。しかし、一切の反応はない。ネット選挙が解禁された中で、ネットを利用して嘘の情報を選挙開始前に流しておいて、それを訂正しないという事は選挙の公平性からも許されない行為だ。しかもそれを行ったのが当時でも総理経験者で今再び総理の座に在る安倍晋三氏本人となればなおさらのことだ。ネット選挙解禁を強力に進めた安倍総理の責任は重い。週明けまで安倍総理から何らかの反応がない場合には名誉毀損を正す他の手段を検討せざるを得ない。

*   *

この菅氏のブログを紹介したサイトの管理者は「安倍氏はデマを流したことを、菅氏や民主党だけでなく、原発の耐震性問題(配管が地震に弱い)から目をそらさせたことで、国民に謝罪するべきだ」と記すとともに、次のような元通産(経産)省官僚・古賀茂明氏の言葉も紹介しています。

「福島第一原発の事故が収束せず、事故原因さえ解明されていない状況で、総理がトップセールスで原発を売り歩くことは倫理的に許されない。まだ新しい安全基準も完全には出来上がっていないのに各国に原発を売り歩く安倍総理は世界へ原発事故と核拡散の種をばら撒く『死の商人』である」(2013.6)

*   *

かつて、このブログでは『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」という記事で、他党を誹謗して「さらば! 売国民主党政権」と語った百田尚樹氏の「憎悪表現」の問題を指摘しました。

それとともにこの書では〈「愛国心」や「モラル」の必要性が強く唱えられる一方で、戦争を起こした者や原発事故を引き起こした者たちの責任には全く言及されていないこと〉にも注意を促していました。

第二次安倍政権が発足してから起きた一連の出来事や発言からは、権力を握れば何でも出来ると考えているような安倍政権の「傲慢さ」と「無責任さ」や、岸信介氏が閣僚として加わっていた「東條英機内閣」との類似性が強く感じられます。

今回の東京第五検察審査会の議決を受けて菅元首相は、昨日のブログ記事で「安倍内閣は福島原発事故の十分な検証もできていない中で、川内原発の再稼働を急ごうとしている。安倍内閣は日本を滅ぼしかねない『亡国政権』だ」と厳しい批判をしています。

この言葉は大げさではなく、「アベノミクス」を前面に出した「公約」によって選挙に勝利したあとでは権力を背景に、「法治国家」や「民主主義の国」とは思えないような「強権的な手法」で沖縄の基地建設や、原発の再稼働、さらに自衛隊の軍隊化などが進められています。

「原発事故」を一刻も早くに収束して「国民の生命」や「国土」を守るためには、今回の「戦争法案」の「白紙撤回」だけでなく安倍首相の辞任を要求することが必要でしょう。

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(1)

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(広島に投下された原爆による巨大なキノコ雲(米軍機撮影)。キノコ雲の下に見えるのは広島市街、その左奥は広島湾。画像は「ウィキペディア」による)

 

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(1)――「沈黙」という方法と「道義心」

『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』(G・アンデルス、C・イーザリー著、篠原正瑛訳、筑摩書房)と題された翻訳書が発行されたのは、世界が核戦争による破滅に瀕したキューバ危機が起こる2ヶ月前の1962年8月のことでした。

「人間の進歩について」と題して1948年に行われた物理学者の湯川秀樹博士との対談で、文芸評論家の小林秀雄氏は「原子力エネルギー」を産み出した「高度に発達した技術」の問題を「道義心」の視点から厳しく批判していました。

私はそのことから強い感銘を受けていたので、小林氏が原爆パイロットの「良心の苦悩」が描かれているこの著作にも当然、強い関心を払い、言及しているだろうと考えていました。しかし、私の探し方が不十分なのかも知れませんが、まだこの著書に言及した書評や評論を見つけていません。

知っている方がおられたらお教え頂ければありがたいのですが、この問題に対しても小林氏は前回も指摘した「沈黙」という方法で素通りしてしまったように見えます。

この著作と小林氏の「良心観」との考察は、ある程度まとまってから「主な研究」の頁に一挙に掲載することも考えました。

しかし、福島第一原子力発電所の事故の後で原発の格納機の中の核燃料がどうなっているかが、わからないにもかかわらず原子力規制委員会によって原発の再稼働が認められた現在、この問題は切実さを増しているように思えます。

「道徳」の視点からも重要なので、暇を見つけて、このブログに少しずつ発表することにします。

リンク→小林秀雄の『罪と罰』観と「良心」観

 リンク→小林秀雄の原子力エネルギー観と終末時計

関連記事一覧

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(2)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(3)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(4)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(5)

アインシュタインのドストエフスキー観と『カラマーゾフの兄弟』

(2015年6月18日、写真と副題を追加。2016年1月1日、関連記事を追加)

 

 

「憲法記念日」と「子供の日」に寄せて――「積極的平和主義」と「五族協和」というスローガン

まだ福島第一原子力発電所事故も修復していないなか、汚染水は「アンダーコントロール」であると宣言した安倍政権は、日本の沖縄の民意を無視して辺野古基地の建設も強行しています。

その安倍政権は「積極的平和主義」を掲げて、憲法の改定も声高に語り始めていますが、「満州国」に深く関わった祖父の岸信介首相を尊敬する安倍氏が語る「積極的平和主義」は、「日中戦争」や「太平洋戦争」の際に唱えられた「五族協和」「王道楽土」などの「美しいスローガン」が連想されます。

すでにこのブログでも何回か触れたように「満州国」などの実態は、それらの「美しいスローガン」とは正反対のものだったのです。ただ、現在はまだ拙著の執筆に追われており、この問題についてじっくりと考える時間的な余裕がないので、ここでは、「子供の日」に寄せて――司馬遼太郎と「二十一世紀に生きる君たちへ」という題名で昨年の5月5日に書いたブログの記事の一部を改訂した上で抜粋しておきます。

*     *   *

幕末の志士・坂本龍馬などの活躍で勝ち取った「憲法」の意味が急速に薄れてきているように思われます。他民族への憎しみを煽りたて、「憲法」を否定して戦争をできる国にしようとしたナチス・ドイツの政策がどのような事態を招いたかはよく知られています。悲劇を繰り返さないためにも、今日は「子供の日」ですので、司馬氏の歴史観と 「二十一世紀に生きる君たちへ」の意味を確認したいと思います。

司馬遼太郎氏との対談で作家の海音寺潮五郎氏は、孔子が「戦場の勇気」を「小勇」と呼び、それに対して「平常の勇」を「大勇」という言葉で表現していることを紹介しています。そして海音寺氏は日本には命令に従って戦う戦場では己の命をも省みずに勇敢に戦う「小勇」の人は多いが、日常生活では自分の意志に基づいて行動できる「大勇の人」はまことに少ないと語っていました(太字は引用者、『対談集 日本歴史を点検する』、講談社文庫、1974年)。

司馬氏が長編小説『竜馬がゆく』で描いた坂本竜馬は、そのような「大勇」を持って行動した「日本人」として描かれているのです。

たとえば、「時流はいま、薩長の側に奔(はし)りはじめている。それに乗って大事をなすのも快かもしれないが、その流れをすて、風雲のなかに孤立して正義を唱えることのほうが、よほどの勇気が要る」と説明した司馬氏は、竜馬に「おれは薩長人の番頭ではない。同時に土佐藩の走狗でもない。おれは、この六十余州のなかでただ一人の日本人だと思っている。おれの立場はそれだけだ」と語らせていました。(太字は引用者、五・「船中八策」)。

司馬氏が竜馬に語らせたこの言葉には、生まれながらに「日本人である」のではなく、「藩」のような狭い「私」を越えた広い「公」の意識を持った者が、「日本人になる」のだという重く深い信念が表れていると思えます。

子供たちのために書いた「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章を再び引用すれば、「自己を確立」するとともに、「他人の痛みを感じる」ような「やさしさ」を、「訓練して」「身につけ」た者を司馬氏は「日本人」と呼んでいるのです。

*   *   *

子供や孫の世代を再び他国への戦場へと送り出す間違いと悲劇を繰り返さないためにも、時代小説などで戦争を描き続けていた司馬氏の「二十一世紀に生きる君たちへ」という文章は重要でしょう。

山城むつみ著『小林秀雄とその戦争の時』(新潮社、2014年)を「書評・図書紹介」に掲載

拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』の公刊は、私が予期していなかったような様々な反応を呼びましたが、昨日、発行された『ドストエーフスキイ広場』には、小林秀雄のドストエフスキー論をめぐる論考などが収められています。

比較文学者の国松夏紀氏には、論点が多く書評の対象としては扱いにくい拙著を書誌学的な手法で厳密に論じて頂きましたが、同じ頃に公刊された山城むつみ氏の『小林秀雄とその戦争の時――「ドストエフスキイの文学」の空白』の書評は私が担当しました。

『ドストエフスキイの生活』で「ネチャアエフ事件」に言及した文章を引用しながら、小林秀雄の『悪霊』論と「日中戦争の展開」との関係に注意を促しつつ、「急速にテロリズムに傾斜していった」ロシアのナロードニキの運動と、「心の清らかで純粋な人々が、ほかならぬアジアを侵略し植民地化して、まさしくスタヴローギンのように『厭はしい罪悪の遂行』に誘惑されて」いった「昭和維新の運動」との類似性の指摘は重要でしょう。

ただ、私が物足りないと観じたのは、フランス文学者であるだけでなくロシア文学にも通じており比較の重要性を認識していたはずの小林秀雄が、なぜ日本語の「正しく美しきこと」は「万国に優」るとして比較を拒絶し、「異(あだし)国」の「さかしき言」で書かれた作品を拒否した本居宣長論に傾斜していくようになるかが見えてこないことです。

また、「コメディ・リテレール」での「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した」という小林秀雄の発言にも言及されていますが、同じような問題は、湯川秀樹博士との対談では、「道義心」の視点から「原子力エネルギー」の問題を鋭く指摘していた小林が、数学者との岡潔との対談では、核廃絶を実践しようとしたアインシュタインをなぜか批判的に語っていることにも見られるでしょう。

「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注──ラスコーリニコフ)には現れぬ」と断言していた小林秀雄の「富と罰」の意識は、原爆や原発事故の問題に対する日本の知識人の対応を考えるうえでも重要だと思われます。

福島第一原子力発電所事故後の日本を考える上でも重要な著作ですので、一部を注で補うような形で書評を掲載します。

《かぐや姫の物語》が3月13日にテレビ初放送

高畑勲監督作品の《かぐや姫の物語》が3月13日の「金曜ロードSHOW!」でテレビ初放送されることがわかりました。「ねとらぽ」によれば、通常から放送を1時間繰り上げ、午後7時56分より完全ノーカット版となるとのことです。

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。「ねとらぽ」より

2013年に公開されたこの作品についてはこのブログでも取り上げていましたが、私が高畑勲監督作品が国際的に高い評価を受けていることを実感したのは、モスクワに行く留学生の引率の際にロシアの新聞で《ホーホケキョとなりの山田くん》についてのほぼ一面を費やした解説記事を読んだ時でした。

《かぐや姫の物語》は残念ながら受賞こそ逃したものの、米国アカデミー賞長編アニメーション映画部門にも昨年の《風立ちぬ》に続いて2年連続でノミネートされ、ロサンゼルス映画批評家協会賞、ボストン映画批評家協会賞、トロント映画批評家協会賞を受賞しています。

*   *

注目したいのは、「リテラ」(2015.02.21)の記事によれば、元旦に神奈川新聞に掲載されたインタビューで、1988年に日本で公開されて海外でも高い評価を受けた《火垂るの墓》について高畑監督が、「反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」と答え、「為政者」は「惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」からだと説明し、次のように語っていたとのことです。

「私たちは戦争中の人と比べて進歩したでしょうか。3・11で安全神話が崩れた後の原発をめぐる為政者の対応をみても、そうは思えません。成り行きでずるずるいくだけで、人々が仕方がないと諦めるところへいつの間にかもっていく。あの戦争の負け方と同じです」

筆者の酒井まど氏は、高畑監督の次のような言葉でこの記事を結んでいます。「(先の戦争について)いやいや戦争に協力させられたのだと思っている人も多いけれど、大多数が戦勝を祝うちょうちん行列に進んで参加した。非国民という言葉は、一般人が自分たちに同調しない一般人に向けて使った言葉です。(中略)古くからあるこの体質によって日本は泥沼の戦争に踏み込んでいったのです。私はこれを『ズルズル体質』と呼んでいますが、『空気を読む』なんて聞くと、これからもそうなる危うさを感じずにはいられません。」

*   *

アニメ映画《かぐや姫の物語》が、米国アカデミー賞長編アニメーション映画部門にノミネートされたばかりでなく、数々の国際的な章を受賞していることは、日本最古の物語が持つ普遍性を明らかにしてといえるでしょう。

一方、福島第一原子力発電所の大事故が実際には今も完全には収束しておらず、日本の大地や海が汚染されており、地震や噴火の危険性が続いているにもかかわらず、安倍首相をはじめとする現代の「大臣(おおおみ)」たちは、国民」の関心をその危険性から逸らすかのように、自衛隊を海外に派兵するための法律を次々に閣議決定しています。

日本の庶民が持っていた自然観や宇宙観が繊細なタッチで見事に描き出されるとともに、当時の「殿上人」の価値観を痛烈に批判していたこの作品が多くの人々に鑑賞されることを望んでいます。

リンク→

《かぐや姫の物語》考Ⅰ――「かぐや姫」と 『竜馬がゆく』

《かぐや姫の物語》考Ⅱ――「殿上人」たちの「罪と罰」

 

 

菅原文太氏の遺志を未来へ

元俳優の菅原文太氏が亡くなられたことが報じられました。

謹んで哀悼の意を表するとともに、震災後に「日刊ゲンダイ」のインタビューで語った記事(デジタル版)と、震災後の活動が比較的詳しく書かれている「日刊スポーツ」デジタル版の記事をご紹介することで菅原氏の強い遺志の一端をお伝えすることにします。

*   *

「ポスト震災を生き抜く」

あれだけの大震災と原発事故を経て、日本人の意識が違う流れに変わるかな、と期待したけど、変わらないな。何も変わらないと言っていいほど。戦後の日本はすべてがモノとカネに結びついてきた。そこが変わらないとな。

俺は09年から有機栽培に取り組んできた。在来種を扱うタネ屋は数えるほどで、売られている野菜は「F1」といって一代限りで、タネを残せない一代交配種で作られている。農薬もハッキリ言って毒だよ。米軍がベトナム戦争で散布した枯れ葉剤のお仲間さ。極論すれば農薬と化学肥料とF1種で成り立っているのが、今の日本の農業じゃないのか。

農薬の怖さはそれこそ放射能とおんなじさ。人体への影響は目に見えない。農民は危ないから子どもたちを農地に入れないよ。儲からない上に危険だしじゃあ、後継者不足も当たり前だ。原発に農薬にと、日本はアメリカの実験場にされてきたんだ。

戦後の日本人は「世界一勤勉な国民だ」とシリを叩かれ、働いてきた。集団就職列車に乗って、大都会の東京や大阪の大企業や工場に送り込まれてきた。日本人総出で稼ぎに稼いで、豆粒みたいな島国が一時は世界一の金満国家になったけど、今じゃあ1000兆円もの借金大国だ。

農業も原発もアメリカの実験場だ

農薬の怖さはそれこそ放射能とおんなじさ。人体への影響は目に見えない。農民は危ないから子どもたちを農地に入れないよ。儲からない上に危険だしじゃあ、後継者不足も当たり前だ。原発に農薬にと、日本はアメリカの実験場にされてきたんだ。

農薬いっぱいの土壌からできたコメや野菜でいいのか。化学肥料と農薬を使わない本当の土壌にタネをまけば、よく根を張って力強くおいしい作物ができる。「農」が「商」だけになってはダメだ。「工」にもあらずだ。このトシになって、今さら夢はないけどな、農業を安全な本来の姿に戻したい。それが最後の望みだね。

戦後の日本人は「世界一勤勉な国民だ」とシリを叩かれ、働いてきた。集団就職列車に乗って、大都会の東京や大阪の大企業や工場に送り込まれてきた。日本人総出で稼ぎに稼いで、豆粒みたいな島国が一時は世界一の金満国家になったけど、今じゃあ1000兆円もの借金大国だ。

国はカネがない、増税しかないと言うけど、ぜひ聞いてみたい。日本人が汗水流して稼いだカネはどこへ消えたんですか、と。何兆円と稼いだカネが雲散霧消したのなら、この国にはどんなハイエナやハゲタカが群がっているんだ。(後略)

【日刊ゲンダイ新春特別インタビュー、2012年1月1日号より抜粋】

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「菅原文太さん、安倍政権に反対の政治活動」(「日刊スポーツ」デジタル版、2014年12月2日)

菅原さんは2012年に俳優を引退後、政治活動に熱心に取り組んだ。政治支援グループを立ち上げ、安倍政権が進める特定秘密保護法や原発再稼働などの方針に反対。米軍普天間飛行場移設問題が争点になった沖縄県知事選では、移設反対派候補の集会に参加。代表作「仁義なき戦い」のセリフを引用し、「絶対に戦争をしてはならない」と訴えた。

菅原さんは先月1日、沖縄県知事選で、普天間飛行場の名護市辺野古への移設反対を訴えた翁長雄志氏の決起集会に出席した。那覇市のスタジアムで1万人を前に「政治の役割にはふたつある。1つは、国民を飢えさせてはならない。もう1つ。絶対に戦争をしないこと」と訴えた。

「私は少年時代、なぜ竹やりを持たされたのか。今振り返っても笑止千万だ」

政治を考えるとき、自らの戦争体験があった。辺野古移設を容認し3選を目指した仲井真弘多氏を「戦争を前提に沖縄を考えている」と批判。代表作「仁義なき戦い」のラストシーンで口にした、「弾はまだ残っとるがよ」というセリフを引用し「仲井真さんに(その言葉を)ぶつけたい。沖縄は国のものではない」と主張した。翁長氏当選の流れを生んだ場になった。(後略)

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日本ペンクラブ・前会長の井上ひさし氏も「憲法」や言論の自由の自由、さらに農業の重要性をも強調されていました。

菅原氏の言葉と活動は、原発事故の現在の実態だけでなく、国民の生命の問題にも深く関わるTPP交渉をも幕末の幕府と同じように国民にはその内容を示さないままに一方的に進め、さらに「特定秘密保護法」で問題点を隠そうとしている安倍政権の危険性を明らかにしていると思われます。

菅原氏は「日刊ゲンダイ」のインタビューを「なにより2012年こそ被災地に生きる人々にとって良い一年になって欲しい。本当に祈っているよ」という言葉で結んでいました。氏の強い遺志を受け継ぎ、2015年を良い年にするためにも今回の総選挙では独裁的な傾向を強める安倍政権に対して NO という意思を示しましょう。

 

追記:「東京新聞」の朝刊にも詳しい記事が載っていましたが、サイト「デモクラ資料室」の12月2日のブログには「菅原文太さんが遺したメッセージ」が掲載されています。

 

『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』における「憎悪表現」

 

宮崎駿監督の映画《風立ちぬ》論をこのブログに書いた後で、映画通の方から百田尚樹氏の原作による映画《永遠の0(ゼロ)》との比較をしてはどうかと勧められていました。

しかし、ウェブ上には原作の『永遠の0(ゼロ)』が浅田次郎氏の『壬生義士伝』と坂井三郎氏の『大空のサムライ』のパクリとか、コピペの箇所も多いとの指摘が少なくなかったので、映画を見ないままに今日に至っていました。

ノーベル賞候補とまで騒がれたSTAP細胞の論文におけるコピペ問題はまだ記憶に新しいのですが、人文系の分野でもコピペの問題は指摘されており、引用文献と参考文献とは重みが異なるので、引用したならばその箇所をきちんと明記すべきでしょう。リンク→「STAP細胞」騒動と原発の再稼働問題

そのようなこともあり、いくつかの話題となった事柄以外は百田尚樹という作家についてはほとんど知らなかったのですが、前回のブログ記事「政府与党の報道への圧力とNHK問題」に関連して調べたところ、安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)があることが分かりました。

これまでこの著書に気づかなかったのは迂闊(うかつ)だったと思いますが、安倍氏が総理に再就任した翌年の12月27日に出版された本書からは、今回の総選挙の手法の問題点も浮かび上がってきます。

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ようやく読み終わった段階ですが、次のような目次からは新たに総理として選ばれることになる安倍氏の政治的な抱負と放送作家・百田氏の著作の宣伝とが非常に上手に組み合わされていることが感じられます。

第1章 取り戻すべき日本とは何か

第2章 『永遠の0(ゼロ)』の時代、『海賊とよばれた男』の時代

第3章 「安倍晋三 再登板待望論」に初めて答える

第4章 安倍総理大臣で、再び日本は立ち上がる

  • さらば! 売国民主党政権
  • 百田尚樹 特別書き下ろし「安倍晋三論」

第5章 安倍総理大臣、熱き想いを語る

──日本をもう一歩前に

 

勇ましい文章が並んでいますが、政治の素人である私が目次を見て驚愕したのは、百田氏が書いた「第4章 安倍総理大臣で、再び日本は立ち上がる」には、「さらば! 売国民主党政権」という記述があることです。

それまで政権を担っていた政党に対して「売国」という、誹謗・中傷の域に達した形容詞を付けることは許されないと思われるのですが、安倍総理も当然、見て校正も行っていると思われるこの共著では、そのような過激な項目があるだけでなく、対話のなかでもしばしばそれに類した言葉が百田氏から発せられているのです。

本の内容紹介によれば、「小説を通して多くの読者に『日本の素晴らしさ』『日本人の美しさ』を伝えてきた百田尚樹。百田作品から国の命運を思い続けた安倍総理。月刊誌『WiLL』に掲載されたふたりの対談や日本再生論を書籍化」とあります。

このような二人の深い関係やその後の経過から判断すると、国際的にも大きな問題となった日本におけるヘイトスピーチ(「憎悪表現」「憎悪宣伝」「差別的表現」「差別表現」などと訳される)の発端の一因が総理と放送作家がタッグを組んで出版したこの著に記された「憎悪宣伝」にあるのではないかとさえ思われてきます。

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実は、自分の思想とは対立する考えの持ち主やそのグループを「売国奴」などの用語で非難して、追い落とし自分たちが権力を握ろうとする傾向は、「尊皇攘夷思想」が強かった幕末の日本でも目立っていました

それゆえ、 『竜馬がゆく』において幕末の「攘夷運動」を詳しく描いた司馬氏は、その頃の「神国思想」が「国定国史教科書の史観」となったと指摘し、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と痛烈に批判していたのです( 『竜馬がゆく』第2巻、「勝海舟」)。リンク→『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館、2009年)

問題は鉄道などの運転手が事故を起こせば厳しく罰せられるにもかかわらず、「国策」として行われた「戦争」を指導した軍人や政治家、高級官僚がその罪をほとんど問われず、その被害の重みを「国民」が一方的に背負わされることになったことです。

同じことは東京電力・福島第一原子力発電所の大事故の際にも起きました。東京電力の幹部社員だけでなく、推進した議員と官僚、さらにはそれを大々的に広告した会社などの責任は問われることはなく、「絶対安全」だという言葉を信じていた多くの住民が今も「原発事故の避難民」として苦しい生活を余儀なくされているのです。

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安倍首相と百田尚樹氏の共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』を読んで気づいたことの一つは、「愛国心」や「モラル」の必要性が強く唱えられる一方で、戦争を起こした者や原発事故を引き起こした者たちの責任には全く言及されていないことです。

この著書には安倍政権の問題点が集約されているように思われますので、これからも分析していきたいと思います。

ここで確認しておきたいのは、この書で安倍氏が賞賛している『永遠の0(ゼロ)』におけるコピペの問題に関連して、「方々で言ってることやけど、『永遠の0』は、浅田次郎先生の名作『壬生義士伝』のオマージュである」との2012年6月29日付けの百田氏の弁明がウェブ上のツイッターに載っていることです。

しかし、日本ペンクラブ会長でもある浅田次郎氏は、「特定秘密保護法案」や「集団的自衛権」などの決定の方法について、「これら民主的な手順をまったく踏まない首相の政治手法は非常識であり、私たちはとうてい認めることはできない」と厳しく批判しているのです(日本ペンクラブ・ホームページ)。

『永遠の0(ゼロ)』という小説が安倍氏の政治手法を厳しく批判している浅田氏の著作の「オマージュ」という説明は、苦し紛れの言い訳のようにしか聞こえてきません。

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この問題の根は深いので、次回は〈百田尚樹氏の『殉愛』と安倍晋三氏の「愛国」の手法〉という題で、ノンフィクションとフィクションの問題をとおして安倍首相の政治手法の問題を考え、最後に映画《永遠のゼロ》の原作を厳しく批判した宮崎駿監督の言葉をとおして、イデオロギー(正義の大系)を厳しく批判した司馬遼太郎氏の言葉の重みを再考察したいと思います。