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チェーホフ

映画《生きものの記録》――原水爆の脅威と知識人のタイプ

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(東宝製作・配給、1955年、「ウィキペディア」)。

映画《生きものの記録》では、都内で鋳物工場を経営して成功し、妻と三人の妾とのあいだに多くの子供をもうけているワンマンな経営者の中島喜一(三船敏郎)が、「核実験」や「核戦争」の被害から家族を守るために、海外に移住しようとするが、自分たちの財産が無くなってしまうことを恐れた長女や息子たちから裁判に訴えられた出来事を、裁判所の調停委員として関わることになった歯科医・原田の眼をとおして描いている。

すなわち、「(沈鬱に)死ぬのはやむを得ん……だが殺されるのはいやだ!!」と語った喜一は、受け身的な形で「核の不安」に対処しようとすることを拒否して移住計画を進めるが、そのことを知った息子たちの要請で予定より早く二回目の審判が開かれた。

興味深いのはどのような結論を出すべきかの調停員の会議で、移住という手段をとってでも愛する家族たちの生命を守ろうとする喜一の行動力に感心もしていた調停員の原田が、「原水爆に対する不安は我々だって持っている」、「日本人全部に、強弱の差こそあれ、必ず有る気持ちです」と弁護していることである。

審判室に呼び出された喜一も「儂(わし)は、原水爆だって避ければ避けられる……あんなものにムザムザ殺されてたまるか、と思うとるからこそ、この様に慌てとるのです」と語り、さらに「(昂然と)ところが、臆病者は、慄え上がって、ただただ眼をつぶっとる」と続けていた。

しかし、「準禁治産者」の判定を下された後で工場に放火した喜一は、ついには精神病院に収容されることになる。注目したいのは、自分が加わった調停で心ならずも喜一に厳しい判決を下した歯医者の原田が、放火事件の後で喜一が収監された精神病院を訪れる場面で、原田と長女よしの夫・山崎の反応をとおして二つのタイプの「知識人」が見事に描き出されていたことである。

すなわち、病院に見舞いに訪れていた中島家の家族が病室から出てきた場面で、「しかし、何だな……結局……お父さんにとってはあれが一番倖せなんじゃないかな」と語った長女よしの夫・山崎に、喜一の家族全員が「無言の反撥を示す」ことが描かれたあとで偶然に出会った原田も、「私……どうも……気がとがめまして……」と見舞いの理由を説明し、「……いやそもそもあの裁判が間違っていたんじゃないか……と……」と続ける。

すると山崎は、苛立ちながら「大体、父の事を裁判所へ持ち込んだのが間違いなんです……最初から、ここへ連れてくればよかったンですよ」と断言し、「国策」に従わずに移住しようとする反抗的な喜一を「法律の手」で束縛したほうがよいと説明していた裁判所の参与と同じ見解を語ったのである。

個人的な印象になるが、私には最初、妻の父親の裁判にも積極的に参加しようとしていた長女の夫・山崎という人物像がよくわからなかった。しかし、映画《生きものの記録》の公開後に文学者の武田泰淳や後に「四騎の会」を共に起ち上げることになる木下恵介監督との鼎談で、「あの作品のなかでね、武田さん、僕は山崎という男ですよ」と語った黒澤が、「フランス文学者の……?」と武田から質問されると「ウン、あのくらいですよ」と答えているのを読んだ時に少し理解できたかと感じた。

すなわち、このやり取りからは山崎が、「国策」として遂行された「戦争」には保身のために反対しなかった黒澤自身の戯画であるとともに、戦後も「原子力エネルギー」の危険性も認識しながらも、原発が「国策」となると沈黙してしまうようなタイプの「知識人」全体の戯画でもあると思えたのである、

そのような「国権」に従順なタイプの「知識人」への批判は、喜一の治療にあたっていた精神科の医師の次のような言葉をとおして強調されている。「この患者を診ていると……なんだか……その……正気でいるつもりの自分が妙に不安になるんです……狂っているのは、あの患者なのか……こんな時世に正気でいられる我々がおかしいのか」。

ここにはチェーホフの短編『六号室』を思い起こさせるような深い考察があるが、この精神科医の言葉の後に置かれている映画《生きものの記録》の最後のシーンでは、『罪と罰』の主人公がシベリアの流刑地で見る「世界滅亡の悪夢」のような圧巻とも呼べるような光景が描かれている、

澄み切った明るい顔で鉄格子の病室に座り、地球を脱出して安全な星に居ると思いこんでいた喜一は、窓の外の燃えるような落日を見て、「燃えとる!! 燃えとる!! とうとう地球が燃えてしまった!!」と叫ぶのである。

主役の老人の役を三船敏郎が見事に演じただけでなく、前作の映画《七人の侍》と同じように黒澤明、橋本忍、小國英雄の共同脚本による映画《生きものの記録》は話題作となりヒットすることは確実だとも思われた。

しかし、脚本の共同執筆者であった橋本忍が書いているように、「『七人の侍』では日本映画開闢以来の大当たり、それに続く黒澤作品であり、ポスターも黒澤さん自身が斬新でユニークな絵を描き、宣伝も行き届いていた」にもかかわらず、「頭から客の姿は劇場にはなく、まったくの閑古鳥なのだ、まるで底なし沼に滅入り込むような空恐ろしい不入り」だったのである。

その理由は黒澤明と小林秀雄との「対談記事」が消えたことにも深くかかわっていると思えるので、稿を改めて考察することにしたい。

『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社、2014年より、第2章の当該箇所を再構成して引用)。

井上ひさしのドストエフスキー観――『罪と罰』と『吉里吉里人』、『貧しき人々』と『頭痛肩こり樋口一葉』をめぐって

雑誌「チャイカ」(第三号)のインタビューで、井上氏は自分とロシア文学との関わりについて語りながら、「まあ、全部読んでいるわけじゃないんですけど、やっぱり私の基本となっているのは、ドストエーフスキイとチェーホフですね」と語っている。この雑誌については知らない方も多いと思われるし、また両者の係わりを知ることは劇作家井上ひさしを考える上でも重要だと思えるのでその内容を簡単に紹介し、あわせて筆者の考えも二・三記しておきたい。

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「井上  それから小説……『吉里吉里人』なんていうのは、もうあれです、『罪と罰』を側におきながらですね、

本誌 お書きになったんですか?

井上 ええ、まあ、ロシア語は全然わかりませんけど何となくこうアノ、文章の息の長さとかですね、まあ、日本の文章は非常に盆栽風になりまして、こう、短く、一つの意味を一つの文で、それを貨車みたいに繋いでという方法が一番正しいとされていますね。…中略…でもドストエーフスキイ読みますと、アノ、長いですよね。…中略…今連載中の『一分ノ一』というのは『白痴』を読みながら、別にそれを採るっていうんじゃなくて、ある、こう何ていうんですかね、心構えといいますか、いつもドストエーフスキイはあるんです」。

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インタビューなので語り手の舌足らずな面もあり、氏はここでドストエフスキーの文体と姿勢について語っているにすぎないが、二作品が『罪と罰』や『白痴』を「側におきながら」書かれたという証言は重く、そこからは多くの興味ある類似点が派生する筈だ。

たとえば氏は別の箇所で「ドストエーフスキイの場合は、国家の作った法律よりも、こう、フォークロアっていいますかね、民間伝承とか諺でやってますね」と述べている。こうした民衆からの視点こそは長編小説『吉里吉里人』を支えていたものでもあった。そしてドストエフスキーには現代文明に対する鋭い危機意識とともに天下国家をも論じようとする広い視野があるが、それはまた、それ程前面には出ないにせよ井上氏の作品を特徴付けるものでもある。

それとともに、井上氏は「ドストエーフスキイの魅力」は「『謎解き・罪と罰』に全部出ていると思います」と述べながら、ドストエフスキーの「メチャクチャな」「名前のつけ方」や彼の笑いについて触れ、『罪と罰』が「叙情的でもありますし、反面、すごい叙事詩でもあるんですけど、それから哲学小説としても読めますけど」「滑稽小説」でもあるのだと主張し、「世の中つらいことばっかりあるわけじゃなくて、つらいことが九つあれば一つくらいバカバカしいオカシイことありますよね。それがやっぱり小説にも反映しなきゃいけないと思うんです」と語っているが、それは井上氏の小説作法の根幹に係わるものでもあるだろう。

さらに、第一章「あんだ旅券は持って居たが」、第二章「俺達の国語は可愛がれ」といった『吉里吉里人』の章の命名方が『カラマーゾフの兄弟』の章の題名を思い起こさせることも付記しておきたい。

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この対談で私の最も印象深かったのは、氏が一番好きな作品として『貧しき人々』を挙げ「あれは最高ですね、何ともいえないですね、あれはもう僕にとってですけど、世界の文学のトップですね、あんないい小説ないですね」と語り、「いつ読まれたんですか」という問いに「あれは随分前です」と答えながら、「あれが僕の妙な部分を作っていると思いますね」とまで述べている箇所である。

初めは少し意外な感じもしたが、しかしユーモアとペーソスを持って中年の官吏とみなし子の乙女の心理を描きながら、同時に彼らの視線を通してペテルブルグやロシアの生活の全体像にまで肉迫しえている『貧しき人々』と井上文学は、確かに奥深いところで結び付いているようだ。

たとえば氏には『頭痛肩こり樋口一葉』という女性ばかり六人が登場する戯曲がある。同じインタビューで氏は「アノ、家庭といいますか、ある小さな共同体の移り変わりが、宇宙の移り変わりと、こう照合していて、何も大ゲサなことをやらなくても、深く五・六人のことを書けば、そのうしろに宇宙があるっていうのは、まあ、チェーホフから影響を受けていますね」と語っているので、この戯曲もチェーホフとの関連で論じるべきかもしれない。

だが『貧しき人々』について語った氏の言葉を読んで、私が真っ先に思い浮かべたのはこの作品だったのだ。むろん、直接的な影響を指摘することはできない。しかし『貧しき人々』がプーシキンやゴーゴリの作品をとりあげながら、その文学的業績を積極的に吸収しようとしていた作品であり、さらにその女主人公ワルワーラも一葉と同じように文学を愛した貧しく病弱な女性であったこと、そして何よりもそこではワルワーラの生きかたを通して「女性の不幸は、男性の不幸でもある」という思想が語られていたことを思い起こすなら、これら二つの作品の結び付きはかなり強いと言えるのではないだろうか。

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最後に、ここに挙げられた作品以外で両者の関係を物語っていると思われる二編を紹介してこの小論の結びとしたい。

昭和四九年の井上氏の作品に『合牢者』という短編がある。この作品の主な登場人物の原田と矢飼は共に明治初期の貧乏巡査であるが、一方の原田は内田魯庵訳の『罪と罰』を読みラスコーリニコフの考えに共鳴して、悪辣な質屋の未亡人を殺す。もう一人の巡査矢飼は上司の命令で、罪を認めない原田のアリバイを崩すために同じ牢に入り事実を聞き出そうとする。

しかし、原田の不幸な境遇に同情を覚え、「真実などどうでもよくなった」時に彼は事実を語られ、しかも上司からはそのまま牢に留まっているか昇格を選ぶかと迫られて事実を告げてしまう。小説は「堂々と罪を犯し、くだる罰を発止と受けとめて」死刑になった原田を思いながら「小説が人間よりも小さいのか、あるいは大きいのか、おれにはいまだによくわからないが、あいつのことを考えるたびに、小説は人間より大である、というような気がしてならぬ」という原田の感慨で終わる。この短編では『罪と罰』は単に原田の犯行を動機付けしているばかりでなく、小説の主題とも重なり、また小説全体の筋にも関わっている。

『私家版 日本語文法』(昭和五三年から五五年)で井上氏は、雨乞唄を紹介しながらその「言葉の冗舌性と技巧」にふれて、先人たちには「必要があれば八百でもウソをついてひとつの願いを成就させようという意気込みが」あったと述べ、「筆者は不真面目だから、ひとつの誠を言うために八百のウソをつく方へ行くしかない」と述べている。

全体にドストエフスキーと同様井上氏にも言葉、殊に嘘に対する考察や言及が多いのだが、この箇所は「僕が人間なのは嘘をつくからなんだ」と述べさらに「嘘をついていれば――真理まで達せるのだ」と主張する『罪と罰』のラズミーヒンの言葉と殆ど重なっているように見える。ここにも井上ひさし氏の文学とドストエフスキーとの深いかかわりをみるのは、筆者の思い入れがすぎるだろうか。

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〈同人誌『人間の場から』(第13号、1988年)に掲載された初出時の題名は、「見ることと演じること(四)――記憶について」。後にその一部が「ドストエーフスキイと井上ひさし」という題で「ドストエーフスキイの会会報」(第107号、1989年)および、『場 ドストエーフスキイの会の記録Ⅳ』、244~245頁に転載される。本稿では地の文の表記をドストエフスキーで統一するとともに、誤記や文体レベルの簡単な改訂を行った〉。

 

「詩人プレシチェーエフとチェーホフ」の考察を「主な研究活動」に掲載しました

 

来る11月23日に「ドストエーフスキイの会」の例会で、著名なチェーホフ研究者の中本信幸氏による「チェーホフとドストエフスキー」という発表があります。(「ドストエーフスキイの会、第218回例会報告要旨のお知らせ」参照)。

「チェーホフとドストエフスキー」というテーマでの発表は最近なされていなかったのですが、『死の家の記録』との関係も深いのではないかと私が感じていたチェーホフの『サハリン島』にも言及されるとのことで、今からたいへん楽しみにしています。

なぜならば、ドストエフスキーは「農奴解放」や「言論の自由」を求めたためにシベリアに流刑されることになったのですが、その頃にきわめて親しかった詩人のプレシチェーエフが、劇作家オストロフスキーからチェーホフへの橋渡しをもしていたと思われるからです.

 

ドストエーフスキイの会、第218回例会(11月23日)のレジュメを「新着情報」に掲載しました

11月23日に行われる第218回例会では、著名なチェーホフ研究者・翻訳者の中本信幸氏(神奈川大学名誉教授)の発表が行われます。

ドストエーフスキイの会の「ニュースレター」 No.119に掲載された報告者紹介とレジュメを「新着情報」に再掲しました。

例会の時間と場所、および前回例会の「傍聴記」や「事務局便り」など詳しくは、ドストエーフスキイの会のHPhttp://www.ne.jp/asahi/dost/jdsでご確認ください。

「ブルガリアのオストロフスキー劇」を「主な研究(活動)」に掲載しました

標記の論文は、『バルカン・小アジア研究』(第16号、1990年)に寄稿したものです。

この稿ではブルガリアの社会情勢やオストロフスキー劇の内容についても触れながら、ブルガリア演劇の確立にオストロフスキー劇がどのように関わったのかを明らかにしようとしました。チェーホフ劇の上演に先立って紹介されたオストロフスキー劇の受容の問題は、クリミア戦争や露土戦争などにおけるブルガリアとロシアとの関わりや複雑なバルカン半島の情勢を知る上でも興味深い内容を含んでいます。

再掲に際してはトルコからの独立をめざすブルガリアからの留学生インサーロフを主人公の一人としたツルゲーネフの『その前夜』やドストエフスキー兄弟の雑誌『時代』との関わりについても言及するとともに、オストローフスキイをオストロフスキーにするなど人名表記を変更し、少しわかりにくかった注の記述も改めました。

書式がまだ整っていない箇所もありますが、時間的な余裕がないためにそのままにし、ドストエフスキーの「大地主義」の問題を掘り下げるためにとりあえずアップすることにしました。(右の記述をクリックするとリンク先に飛びます。 ブルガリアのオストロフスキー劇

 

 

 

長編小説『白痴』から戯曲『三人姉妹』へ――劇《三人姉妹》の感想を「映画・演劇評」に掲載しました

すでに先月の出来事になってしまいましたが、9月17日に俳優座で《三人姉妹》を見ました。

小劇場での上演という事で最初はロシアの広大な空間の感覚が損なわれるのではないかと少し心配していました。

演出家・森一氏のユニークな状況設定もあり、劇が始まると次第に違和感は消えて、最後は俳優たちの息づかいも感じられる小劇場の醍醐味を満喫しました。

しかも、「ドストエーフスキイの会」ではドストエフスキー作品とチェーホフとの関係についてもたびたび取り上げられてきましたが、私も地方貴族の娘たちの生活が描かれたチェーホフの『三人姉妹』では、エパンチン家の三姉妹の孤独と苦悩をとおして貴族社会の腐敗が痛烈に批判されていた長編小説『白痴』のテーマが受け継がれていると感じていました。

今回見た劇団俳優座のこの劇からも三人姉妹の孤独と決意のテーマが強く伝わってきましたので、記憶が薄れている箇所もありますが、劇から受けた印象を「映画・演劇評」に簡単に記しておきます。