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『自由からの逃走』

「権力欲」と「服従欲」の考察――フロムの『自由からの逃走』を読む

1,「権威主義的な価値観」への盲従の危険性と「非凡人の理論」

自らがナチズムの迫害にあった社会心理学者のエーリッヒ・フロム(1900~1980)は、『自由からの逃走』(日高六郎訳、東京創元社、1985)において、ヒトラーの考えと社会ダーウィニズムとの係わりに注目して、ヒトラーが「自然の法則」の名のもとに「権力欲を合理化しよう」とつとめていたことを指摘していました。さらにフロムは、「種族保存の本能」に「人間社会形成の第一原因」を見るヒトラーの考えは、「弱肉強食の戦い」と経済的な「適者生存」の考え方を導いたと述べています*14。

注目したいのはフロムが、人間の歴史が個人の自由の拡大の歴史であることを確認しながら、それとともに、あまりに個人の自由が大きくなった時、獲得した自由が重みにもなり、人が自らそれを放棄することもあることを指摘しえていることです。

たしかに、近代以降、それまで土地や職業に縛られていた人間は、職業の選択の自由、移動の自由、さらには恋愛の自由など様々な個人の自由を拡大してきました。しかし、自由が大きくなればなるほど、どの道を選ぶかの選択の際の苦悩や不安は深まります。こうして、フロムは自らの道を選ぶことが難しい危機的な状況になればなるほど、人間は自らの自由の重みに耐えられずに、それをより強大な他の人物に譲り、彼に道を選んでもらうことで不安から逃れようとする傾向があることを明らかにしたのです。

この際にフロムはサディズムとマゾヒズムという心理学の概念を用いながら、人間の「服従と支配」のメカニズムに迫り得ています。すなわち、彼によれば、「権力欲」は単独のものではなく、他方で権威者に盲目的に従いたいとする「服従欲」に支えられており、自分では行うことが難しい時、人間は権力を持つ支配者に服従することによって、自分の望みや欲望をかなえようともするのです*15。

フロムは「神経症や権威主義やサディズム・マゾヒズムは人間性が開花されないときに起こるとし、これを倫理的な破綻だとした」(ウィキペディア)としていますが、彼の説明は第一次世界大戦の後で経済的・精神的危機を迎えたドイツにおいて、なぜ独裁的な政治形態が現れたかを解明していると言えるでしょう。

フロムは自分の分析をより分かり説明するために、ドストエフスキーの最後の大作『カラマーゾフの兄弟』から引用していますが*16、私たちにとって興味深いのは、このような問題がすでに『罪と罰』においても扱われていることです。

すなわち、ラスコーリニコフは「凡人」について「本性から言って保守的で、行儀正しい人たちで、服従を旨として生き、また服従するのが好きな人たちです。ぼくに言わせれば、彼らは服従するのが義務で」ある(三・五)と規定するのです。別な箇所でラスコーリニコフは「どうするって? 打ちこわすべきものを、一思いに打ちこわす、それだけの話さ。…中略…自由と権力、いやなによりも権力だ!」と語った後で、「ふるえおののくいっさいのやからと、この蟻塚(ありづか)の全体を支配することだ!」(四・四)と続けています。

この「おののく」という特徴的な言葉は、彼がナポレオンのことを想起しながら、路上に大砲を並べて「罪なき者も罪ある者も片端から射ち殺し」「言訳ひとつ言おう」しなかった者の処置こそ正しいと感じた時にも、「服従せよ、おののくやからよ、望むなかれ、それらはおまえらのわざではない」(三・六)と用いられていました。

創作ノートにはラスコーリニコフには「人間どもに対する深い侮蔑感があった」(一四〇)と書かれています。ドストエフスキーは自分の「権力志向」だけではなく、大衆の「服従志向」にも言及させることでラスコーリニコフのいらだちを見事に表現しえているのです。

こうして、ラスコーリニコフの「非凡人」の理念は、劣悪な状況におかれながらも、社会を改革しようとはせず、ただ耐えているだけの民衆に対するいらだちや不信とも密接に結びついていたのです。(中略)

しかも、ドストエフスキーは予審判事のポルフィーリイに「もしあなたがもっとほかの理論を考え出したら、それこそ百億倍も見苦しいことをしでかしたかもしれませんよ」とラスコーリニコフを批判させていました。

実際、世界を「生存闘争」の場ととらえるならば、かつての「イデオロギー」的な連帯から、「同種の文明国家」の連帯へと変わったと言っても、自らが「鬼」として滅ぼされないために、「圧倒的な力」を持つ文明に対抗して、他の文明も国力を挙げて軍備の拡大や「抑止力」としての核兵器の開発へと進まざるを得なくなるでしょう。

現在も「国益」や「抑止力」の名目で未臨界実験をも含む核実験や核兵器の保持が続けられていますが、多くの学者が指摘しているように、核兵器の使用は「核の冬」など地球環境の悪化による諸文明だけでなく、地球文明そのものの破滅をも意味するでしょう。

そのことをドストエフスキーは、ラスコーリニコフがシベリアの流刑地で見る「人類滅亡の悪夢」をとおして明らかにしていました。夢の中で彼は「知力と意志を授けられた」「旋毛虫」におかされ自分だけが真理を知っていると思いこんだ人々が互いに自分の真理を主張して「憎悪にかられて」、互いに殺し合いを始め、ついには地球上に数名の者しか残らなかったという光景を見るのです。

2,スピノザの「感情論」と『罪と罰』における感情の考察

興味深いのは、ドストエフスキーがこの「人類滅亡の悪夢」を描いた後でソーニャと再会したラスコーリニコフの「復活」を描いていたことです。

つまり、「だれが生きるべきで、だれが生きるべきじゃないか」などと裁くことが人間にできるのかとラスコーリニコフを鋭く問い質していたソーニャの考えには、論理化はされていないにせよ、存在や生命の尊厳に対する直感的な理解があると言えるでしょう。(中略)

貧しさのために大学を退学しなければならなくなり、「自尊心」を傷つけられた中で自分の専門的な知識で組み上げたラスコーリニコフの「論理」の矛盾を、ラズミーヒンが指摘しつつも彼に直接的な影響力を持てなかったのに対し、ソーニャの言葉は彼の感情に訴えかける力をもっていたのです。

この意味で注目したいのは、エーリッヒ・フロムが無意識的力に注目した思想家として、マルクスとフロイトの名を挙げながら、「西欧の思考的伝統の中で」、彼らに先立って「無意識についての明白な概念を持っていた最初の思想家は、スピノザであった」と書いていることです*7。

実際、スピノザは感情の分析をとおして「人間は、常に必然的に受動感情に屈従」するとし、「感情の力は、感情以外の人間の活動、あるいは、能力を凌駕することができる。それほどに感情は頑強に人間に粘着している」という事実を指摘しえています*8。

このような認識は自分が感情や他人の意見に左右されずに、主体的かつ理性的に行動していると考えていた人々にとっては苦痛でしょう。しかし、スピノザが指摘しているように、多くの場合「人々が自由であると確信している根拠は、彼らは自分たちの行為を意識しているがその行為を決定する原因については無知である」という理由に基づいているのです*9。

『未成年』の登場人物は、ある感情のとりこになった人間を正常に戻すには「その感情そのものを変えねばならないが、それには同程度に強烈な別な感情を代りに注入する以外に手はない」(六四)と語っています*10。この言葉は「感情は、それと反対の、しかもその感情よりももっと強力な感情によらなければ抑えることも除去することもできない」というスピノザの定理を強く思い起こさせます*11。

実際、ドストエフスキーが出版していた雑誌『時代』にはストラーホフの訳による「神に関するスピノザの学説」という論文が掲載されており、ドストエフスキーがスピノザの考えをある程度知っていたことは充分に考えられるのです*12。

つまり、評論家のシェストフは、ドストエフスキーが『地下室の手記』(一八六四)で「かつて、自分が拝跪していたものを…中略…泥の中に踏みつけてしまった」と記し、この作家をスピノザなどの哲学とは対立し、ニーチェとともに「理性と良心」を否定する「悲劇の哲学」の創造者と規定していましたが、ドストエフスキーにはスピノザ的な哲学にたいする深い理解があったと思えるのです。

私たちはスピノザの感情論を高く評価したフロムの考察をとおして『罪と罰』を読み解くことで、現代日本の問題点にも迫り得るでしょう。

*     *   *

エーリッヒ・フロム著、日高六郎訳『自由からの逃走』(東京創元社、1951)

序文

第一章  自由――心理学的問題か?

第二章 個人の解放と自由の多義性

第三章 宗教改革時代の自由

1、中世的背景とルネッサンス

2、宗教改革の時代

第四章 近代人における自由の二面性

第五章 逃避のメカニズム

1、権威主義

2、破壊性

3、機械的画一性

第六章 ナチズムの心理

第七章 自由とデモクラシー

1、個性の幻影

2、自由と自発性

付録 性格と社会過程

(拙著『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』(刀水書房、初版1996年、新版2000年)、第8章「他者の発見――新しい知の模索」および、第9章「鬼」としての他者」より。

註の記述は省いたが、*7については、フロム著、阪本健二・志貴孝男訳『疑惑と行動』、東京創元社、1985年、167頁。*8については、スピノザ『エティカ』(『世界の名著』第二五巻)工藤喜作・斎藤博訳、中央公論社、1969年、273頁を参照)。

(2016年7月28日。「『罪と罰』とフロムの『自由からの逃走』』」を大幅に改訂して再掲)

原子雲を見た英国軍人の「良心の苦悩」と岸信介首相の核兵器観――「長崎原爆の日」に(1) 

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(長崎市に投下されたプルトニウム型原爆「ファットマン」によるキノコ雲。画像は「ウィキペディア」)。

 

7月27日付けの「朝日新聞」は、長崎への原爆投下の際に写真撮影機にオブザーバーとして搭乗し、原子雲を目撃した英国空軍大佐のチェシャーの苦悩に迫る記事を「原子雲目撃者の転身」と題して掲載していました。

すなわち、「核兵器が実際に使用される場面を軍人の目で見守らせ、今後に生かそうという首相チャーチルの意向で」派遣された空軍大佐のチェシャーは、帰国後には「原爆には戦争の意味をなくすだけの威力があり、各国が保有すればむしろ平和につながる」と軍人としては報告していました。

しかし、その直後に空軍を退役したチェシャーは、戦後に「福祉財団を立ち上げ、障害者のための施設運営に奔走」するようになるのです。

チェシャーは亡くなる前年の1991年に開かれた国際会議でも、「原爆投下が戦争を早く終結させ、多くの人の命を救った」と語ってアメリカの行為を正当化していましたが、原爆雲を観た際には「安堵と、やっと終わったという希望の後から、そのような兵器を使ったことに対する嫌悪感がこみ上げてきた」と後年、自著では振り返ってもいたのです。

このことを紹介した記事は次のように結んでいます。「やむない手段だったとの信念を抱くと同時に、原爆による人道的被害に対しては良心の苦悩も抱え続けた。原子雲の目撃者から福祉の道へ転じた歩みには、その葛藤が映っている」。

*   *   *

一方、東条内閣の閣僚として満州政策に深く関わっていた岸信介氏は、首相として復権すると自国民に地獄のような苦しみを負わせた原爆投下の罪をアメリカ政府に問うことなく、むしろその意向に迎合するかのように、国会で「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」と答弁していたのです。

それゆえ、広島への原爆投下に関わったことで深い「良心の呵責」を感じて、精神病院に収容された元パイロットと書簡を交わしていた精神科医のG・アンデルスも1960年7月31日付けの手紙で岸信介首相を次のように厳しく批判していました(『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』(筑摩書房、1962年。文庫版、1987年)。

「つまるところ、岸という人は、真珠湾攻撃にはじまったあの侵略的な、領土拡張のための戦争において、日本政府の有力なメンバーの一人だったということ、そして、当時日本が占領していた地域の掠奪を組織し指導したのも彼であったということがすっかり忘れられてしまっているようだ…中略…誠実な感覚をそなえたアメリカ人ならば、この男、あるいはこの男に協力した人間と交渉を持つことを、いさぎよしとしないだろうと思う。」

私自身も「国家」を強調して「国民」には犠牲を強い、他の国民には被害を負わせた岸氏が、原爆の被害の大きさを知りつつも「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」と無責任な発言をしていたことを知ったときには、たいへん驚かされ、どのような精神構造をしているのだろうかといぶかしく思い、人間心理の複雑さを感じました。

*   *   *

そのような権力者の心理をある程度、理解できるようになったのはドイツの社会心理学者であるエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』を読み、そのような視点から小林秀雄のドストエフスキー論を読み直してからのことでした

リンク→『罪と罰』とフロムの『自由からの逃走』(日高六郎訳、東京創元社、1985)

「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注──ラスコーリニコフ)には現れぬ」と長編小説『罪と罰』を解釈した文芸評論家の小林秀雄が、戦後の1946年に行われた座談会の「コメディ・リテレール」では「僕は政治的には無智な一国民として事変に処した」と語って、言論人としての責任を認めようとしていなかったのです。

このような小林秀雄の「罪と罰の意識」をとおして考えるとき、岸氏の心理もよく見えるようになると思われます。

つまり、独自の「非凡人の理論」によって「悪人」」と規定した「高利貸しの老婆」を殺害したラスコーリニコフは、最初は「罪の意識」を持たなかったのですが、「米英」を「鬼畜」とする戦争を主導した岸氏も自分を選ばれた特別な人間と見なしていたならば、A級戦犯の容疑に問われて拘留された巣鴨の拘置所でも「罪の意識も罰の意識も」持つことなく、復権の機会をうかがっていたことになります。

しかし、『白痴』との関連にも注目しながら、『罪と罰』のテキストを忠実に読み解くならば、ラスコーリニコフはシベリアの流刑地で「人類滅亡の悪夢」を見た後で、自分の罪の深さに気づいて精神的な「復活」を遂げたことが記されているのです。

リンク→「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」関連の記事一覧

リンク→映画《この子を残して》と映画《夢》

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(4)

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(広島に投下された原爆による巨大なキノコ雲(米軍機撮影)。キノコ雲の下に見えるのは広島市街、その左奥は広島湾。画像は「ウィキペディア」による)

 

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(4)――良心の問題と「アイヒマン裁判」

前回のブログ記事では触れませんでしたが、小林秀雄氏が『ヒロシマわが罪と罰』についての沈黙を守った最も大きな理由は、この書物ではこのころ世界を揺るがしていたアイヒマンの裁判のことにも言及されていたからではないかと私は考えています。

ドストエフスキーは『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフに、非凡人は「自分の内部で、良心に照らして、流血をふみ越える許可を自分に与える」(下線引用者)のだと説明させていました。

一方、著者の一人のG・アンデルスは、「何百万という人間、ユダヤ人、ポーランド人、ジプシーなどの、みな殺し計画にあずかり、この計画を実行にうつした人間」であるアイヒマンが、「自分は“テロの機構の中の一本の小さなネジ”にすぎなかった、そして、ヒトラーへの忠誠の誓いを誠実に実行したにすぎなかったのだと、“良心にかけて”証言しているのだ」と原爆パイロットのC・イーザリーに説明していたのです(244-5頁)。

さらにG・アンデルスは、ケネディ大統領に送った1961年1月13日付けの書簡で、アイヒマンの裁判のことにも言及しながら、原爆パイロットのC・イーザリーを次のように弁護していました。

「ちがいます。イーザリーは決してアイヒマンの同類ではありません。それどころか、まさにアイヒマンとはまったく対蹠的な、まだ望みのある実例なのです。自己の良心の欠如をメカニズムに転嫁しようとするような男とちがって、イーザリーは、メカニズムこそ良心にとっておそるべき脅威であるということを、はっきりと認めているのです。そして、そのことによって彼は、今日における道徳的な根本問題の核心を、ほんとうに突いているのです。」(218-9頁)

*   *

一方、「非凡民族」という思想にもつながるラスコーリニコフの「非凡人の理論」の危険性を軽視していた小林氏は、鼎談「英雄について」でヒトラーを「小英雄」と見なしていました。

さらに、1940年に書いた『わが闘争』の書評では「これは天才の方法である、僕はこの驚くべき独断の書を二十頁ほど読んで、もう天才のペンを感じた、僕には、ナチズムといふものが、はつきり解つた気がした、(以下略)」とヒトラーを賛美していたのです。

問題はこのような初出における記述が、『全集』に収められる際に変えられていることです。このことを果敢に指摘した菅原健史氏の考察を拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』から引用しておきます。

〈初出時と『全集』との文章の差異を克明に調べた菅原健史は、『全集』では「天才のペン」の前に、《一種邪悪なる》という言葉が加筆されていることを指摘し、そのために『全集』に依拠した多くの研究者が、戦時中から小林がヒトラーを「一種邪悪なる天才」と見破っていたとして小林の洞察力を賞讃していたことに注意を促している。

しかも菅原は、初出では引用した個所の直前には「彼(引用者注──ヒトラーのこと)は、彼の所謂主観的に考へる能力のどん底まで行く、そして其処に、具体的な問題に関しては決して誤たぬ本能とも言ふべき直覚をしつかり掴んでゐる。彼の感傷性の全くない政治の技術はみな其処から発してゐる様に思はれる」という記述があったが、その部分は『全集』では削除されていることも指摘している。〉

数学者の岡潔氏との対談『人間の建設』(新潮社)について考察した〈「不注意な読者」をめぐって(2)〉では、小林秀雄氏が「ドストエフスキーという人には、これも飛び切りの意味で、狡猾なところがあるのです」と語り、小説の構造の秘密を「かぎ出さなくてはいけないのです。作者はそういうことを隠していますから」と主張していたことを紹介した後で、私は次のような疑問を記していました。

〈小林氏は本当に「作者」が「隠していること」を「かぎ出した」のだろうか、「狡猾なところがある」のはドストエフスキーではなく、むしろ論者の方で、このように解釈することで、小林氏は自分自身の暗部を「隠している」のではないだろうか。〉

「“テロの機構の中の一本の小さなネジ”にすぎなかった」と主張したアイヒマンの「良心」の問題にも鋭く迫っていた『ヒロシマわが罪と罰』は、小林氏の「良心」解釈の問題点をも浮かび上がらせているように感じます。

リンク→『罪と罰』とフロムの『自由からの逃走』(東京創元社)

リンク→『罪と罰』と『罪と贖罪』――《ドストエフスキーと愛に生きる》を観て(1)

関連記事一覧

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(1)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(2)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(3)

「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」(5)

アインシュタインのドストエフスキー観と『カラマーゾフの兄弟』

(2015年6月18日、写真と副題を追加。2016年1月1日、関連記事を追加)

 

司馬作品から学んだことⅤ――「正義の体系(イデオロギー)」の危険性

 「特定秘密保護法案」に関する少し以前の記事をネットで探していたところ2013年11月28日の「毎日新聞」地方版に「やっぱりやってくれましたね、安倍首相…」という題名の記事が載っていたことが分かりました。

 衆院での強行採決を取り上げたこの記事は、安倍首相が就任当時の所信表明で「数の力におごることなく国民の声に耳を傾けたい」と語っていたのは「偽りだったようです」と指摘し、「秘密法案の是非を論じる以前に、国民の大半は『なぜ成立を急ぐのか』という疑問が解けていない、と思います」と続けています。

*    *   *

昨日のブログでは、特定秘密保護法案に反対するために国会周辺で行われている市民のデモについて石破茂幹事長が「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」と自分のブログに記していたことに言及しました。

この石破茂幹事長の記述は「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」と語っていた麻生副総理の発言を思い起こさせます。

毎日新聞の記事は、就任演説での所信表明を守らない安倍首相を批判していましたが、これらの発言に注目すると今回の強行採決は、「約束」を守るよりも自分の信じる「正義」を実行する勇気が大事であると安倍首相が考えているからではないかと思います。

なぜならば、安倍内閣の首脳たちの発言は、司馬遼太郎氏がその危険性を鋭く指摘していた「プロシア風の政体をとり入れ、内務省を創設し、内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとした明治期の国家観から今も脱却し得ていないことを示していると思われるからです。

それゆえ、このような安倍内閣によって提出された「特定秘密保護法案」に私は強い危機感を抱いており、今回の問題は単なる政治の問題ではなく、学問の根幹に関わる問題だと思っています。

*   *   *

拙著『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』では、フロムの『自由からの逃走』にも言及しながら、ラスコーリニコフの「非凡人の理論」と第一次世界大戦後のドイツにおける「非凡民族の思想」との関連をも考察していました。

ドイツが福島第一原子力発電所の大事故の後で、国民的な議論と民衆の「英知」を結集して「脱原発」に踏み切れたのは、ドイツ帝国やヒトラーの第三帝国の負の側面をきちんと反省していたからでしょう。

 青年の頃に「神州無敵」などのスローガンに励まされて学徒出陣した司馬氏も、イデオロギーを「正義の体系」と呼んでその危険性に注意を促していました。

 しかも政治的な問題には極力関わらないような姿勢を保持しながらも司馬氏は、日本が「昭和初期の別国」のような状態になることは、なんとしても防ぎたいとの強い覚悟も記していたのです。

(「司馬遼太郎の洞察力――『罪と罰』と 『竜馬がゆく』の現代性」参照)

   *   *   *

次回は社会心理学者フロムの『自由からの逃走』の考察をとおして、『罪と罰』の現代的な意義を再考察したいと思います。それは現代の日本の政治が抱えている「権威主義的な価値観」の問題にも迫ることにもなるでしょう。

(2016年2月10日。リンク先を追加)

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司馬作品から学んだことⅠ――新聞紙条例と現代

司馬作品から学んだことⅡ――新聞紙条例(讒謗律)と内務省

司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構

司馬作品から学んだことⅣ――内務官僚と正岡子規の退寮問題  

司馬作品から学んだことⅥ――「幕藩官僚の体質」が復活した原因

司馬作品から学んだことⅦ――高杉晋作の決断と独立の気概

司馬作品から学んだことⅧ――坂本龍馬の「大勇」

「特定秘密保護法」と自由民権運動――『坂の上の雲』と新聞記者・正岡子規

司馬作品から学んだことⅨ――「情報の隠蔽」と「愛国心」の強調の危険性

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

 

『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』(刀水書房、2000年)を「著書・共著」に掲載しました

『罪と罰』はドストエフスキーがそれまでの自分の体験や当時の状況を踏まえて書いた渾身の長編小説です。

「主な研究(活動)」の前史でも書きましたが、都立広尾高等学校に在学中はベトナム戦争の時期だったこともあり、文学作品だけでなく宗教書や哲学書を夢中になって読みふけっていましたが、このころに「他者」を殺すことで、「自分」を殺してしまったという哲学的な言葉が記されているドストエフスキーの『罪と罰』と出会った時には、主人公の「非凡人の理論」の検証をとおして、功利主義的な考えや「弱肉強食の思想」、さらには自己の「正義」のためには大量殺戮も辞さない近代文明のあり方の根本的な考察がなされていると感じました。

ことにエピローグで主人公が見る「人類滅亡の悪夢」からは、すでにクリミア戦争の頃から急速に進歩を遂げるようになった機雷など最新の科学兵器の登場とその使用を分析することで、第二次世界大戦で使用され、世界を破滅させることのできる量が産み出された原子爆弾の使用とその危険性をも予告するとともに、近代的な自然観の見直しの必要性をも示唆していたことに強い感動を覚えました。

1992年に混乱のロシアを訪れたことで、『罪と罰』の世界を実感することがてきましたが、1994年から1年間、ブリストル大学のロシア学科で「ロシアと日本の近代化の比較」をテーマとして研究留学することができましたが、その際にリチャード・ピース(Richard Peace)教授の著作、Dostoevsky’s Notes from Undergroundを読む中で、日本では情念的な形で理解されることの多い主人公の言説には、イギリスで生まれた功利主義の哲学やイギリスの歴史家バックルが主唱した西欧中心的な文明観への強い反発が秘められていたことを確認することができました。

そのことは哲学的な視点と比較文学の手法を組み合わせた形で一般教養科目のための教科書『「罪と罰」を読む――「正義」の犯罪と文明の危機』(刀水書房、1996年)を書くことにつながりました。

職業的な作家であったドストエフスキーは、自分の作品がより多くの読者に読まれるように、悪漢小説や家庭小説の手法などさまざまな趣向を取り入れつつ、さらにエドガー・アラン・ポーのような推理小説的な手法で、主人公のラスコーリニコフが犯した「高利貸しの老婆」殺しの犯罪の「謎」に迫っていますが、そればかりでなく、近代的な知識人である主人公の「非凡人の思想」の批判的な検証をもきちんと行っていたのです。

この教科書を使った授業が好評でしたので、文明論的な視点をより強く出した新版『「罪と罰」を読む(新版)――〈知〉の危機とドストエフスキー』(刀水書房、2000年)を発行しました。ただ、一般教養科目のための教科書として書かれたこともあり、授業での説明がないと分かりにくい点もあるので、もし改版の機会があれば、一般の読者にも読みやすく文学論としても興味深く読めるようなものにしたいとも考えています。