高橋誠一郎 公式ホームページ

本多猪四郎

1899年のハーグ万国平和会議から2017年の核兵器禁止条約へ

核兵器禁止条約

©共同通信社、「拍手にこたえる被爆者・サーロー節子さん」

記載がたいへん遅くなりましたが、広島・長崎への原爆投下から72年目にあたる今年の7月7日に日本の被爆経験を踏まえて条約の前文には「ヒバクシャ」が明記された核兵器禁止条約がようやく国連本部で採択されました。

また、ドストエフスキー作品の愛読者でもあった物理学者のアインシュタインは、アメリカの大統領にナチス・ドイツが核兵器の開発をしていることを示唆した自分の手紙が核兵器の開発と日本へ投下につながったことから、核兵器廃絶と戦争廃止のための努力を続け、それが1955年には戦争の廃絶を目指した「ラッセル・アインシュタイン宣言」や「パグウォッシュ会議」開催に繋がりました。

米ソの両大国の対立と冷戦という時代状況にも阻まれて核兵器の廃絶の動きはなかなか進まず、ようやく1957年の「パグウォッシュ会議」開催からようやく60年目にしての実現したことになります。

このホームページでもささやかながら黒澤明監督や本多猪四郎監督の映画や発言の考察をとおして、核エネルギーの危険性を明らかにし、核兵器や原発の廃止を訴えてきましたので、感慨深いものがあります。

国民の安全と経済の活性化のために脱原発を

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しかし、アメリカやロシア、フランスなどの核保有国が「核抑止力を必要とする世界の安全保障の現実を踏まえていない」などとして反発したばかりでなく、「アメリカの核の傘」で守られていると主張する安倍政権もこの条約には「署名しない」ことを明言しました。

カナダ在住の被爆者・サーロー節子さん(85)が「唯一の被爆国として反核運動の先頭に立つと言いながら、実際は何もやっていない」と厳しく批判したように、安倍晋三政権の「積極的平和主義」とは、被爆国でありながら原水爆の危険性を隠蔽してきた岸信介政権以降の核政策を受け継いだものだったのです。残念ながら今もこのような「核の傘」の論理に惑わされている日本人が多いように見えます。

しかし、南太平洋での核実験に対する国民の反発の高まりを受けて、「日本国憲法第九条」を参考にして1987年6月に「非核法」を制定していたニュージーランドのジェフリー・パーマー元首相はインタビューに答えて、核による抑止論については、核兵器が再び使われれば壊滅的な結果をもたらすことから「深刻な欠陥がある」と指摘し、「すべての国は、核兵器の使用がもたらす破滅を知る必要がある」とし、この条約の意義を強調しています(「東京新聞」)。

Enforcement_of_new_Constitution_stamp(←画像をクリックで拡大できます)

実際、1947年にはアメリカの『原子力科学者会報』が、核戦争などによる人類の滅亡を午前零時になぞらえた冷戦下の「終末時刻を残り7分」と発表していましたが、冷戦が終結した2015年にはその時刻がテロや原発事故の危険性から1949年と同じ「残り三分」に戻ったと発表したのです。

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化学兵器が人道に反するとして1899年にハーグで開かれた万国平和会議において初めて国際規制が明文化され、第一次世界大戦後の1925年には悲惨な結果を踏まえて「ジュネーヴ議定書」が締結され、その規制は現在はるかに厳しくなっているのです。

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(ガスマスクを着用し塹壕に隠れるオーストラリア兵。図版は「ウィキペディア」より)

原水爆が化学兵器よりもはるかに非人道的な被害をもたらすことを想起するならば、原水爆の使用だけでなく製造や保有、実験、移譲、そして核による威嚇なども全面禁止する今回の条約の正当性は明らかでしょう。

唯一の被爆国である日本は「核兵器使用による悲惨な結果を訴えるのに最も適した国。ぜひ発信を続けてほしい」と語っていたニュージーランド元首相などの熱い期待にそうためにも、日本人が戦前の日本の価値観の復活を目指している「日本会議」に牛耳られている現在の安倍政権を一刻も早くに退陣させて、世界から信頼される政権を打ち立てる必要があると思います。

年表8、『ゴジラの哀しみ』関連年表(「原水爆実験」と「原発事故」、それに関わる映画を中心に)

自著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の紹介文を転載

「桜美林大学図書館」の2016年度・寄贈図書に自著の紹介文が表紙の書影とともに掲載されましたので転載致します。

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復員兵として中国から帰還した際に広島の惨劇を目撃していた本多猪四郎監督は、原爆の千倍もの威力のある水爆実験によって「第五福竜丸」が被爆したことを知って映画《ゴジラ》を製作し、チェルノブイリ原発事故の後では黒澤明監督の映画《夢》に監督補佐として深く関わった。

本書では3つの視点からポピュラー文化を分析することで、日本人の核意識と戦争観の変化を考察し、核の時代の戦争を克服する道を探った。

最初に映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》にいたる水爆怪獣「ゴジラ」の変貌を、《モスラ》や《宇宙戦艦ヤマト》、《インデペンデンス・デイ》なども視野に入れて分析した。

宮崎駿監督が「神話の捏造」と批判した映画《永遠の0(ゼロ)》については、原作の構造と登場人物の言動を詳しく分析することによって、この小説が神話的な歴史観で「大東亜戦争」を正当化している「日本会議」のプロパガンダの役割を担っていることを明らかにした。

最後に、《七人の侍》から《生きものの記録》を経て《夢》に至る黒澤映画と、《風の谷のナウシカ》から《紅の豚》や《もののけ姫》を経て、《風立ちぬ》に至る宮崎映画の文明観の深まりを自然観に注目しながら考察した。

(リベラルアーツ学群 高橋 誠一郎)

リンク→『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の目次

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日(四)、「終末時計」の時刻と『ゴジラの哀しみ』の構想

いよいよ選挙の日が近づいてきましたが、いまだに新聞などの分析では「改憲」勢力が議席の三分の二を占める可能性が高いことが指摘されています。

できれば、選挙前に出版したかったのですが、全体の流れを紹介する序章をなんとか書き上げましたので、今回はその(四)を掲載します。より多くの人に安倍政権の反憲法的な危険性の一端が伝わり、一人でも多くの方が投票することを願っています。

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第四節 「終末時計」の時刻と『ゴジラの哀しみ』の構想

憲法学者の樋口陽一氏は、安倍政権の政治の手法によって日本では、「法治国家の原則が失われており、専制政治の状態に近づいている。そういう状態に、我々は立っている」と書いている(『「憲法改正」の真実』)。

実際、八割を超える閣僚が「日本会議国会議員懇談会」に所属しているだけでなく、自分の気に入らない質問に対してはきちんと答えない安倍首相の国会答弁や、問答無用という感のある「特定秘密保護法」や「戦争法」の強行採決などを見ていると同じような危惧の念を強く持つ。さらに問題は、年金の問題など国民に公表すべき重要な情報であっても、ことに政権に不利な情報は徹底的に隠蔽することである。

それは大地震や火山の噴火が続くにも関わらず、川内原発などの稼働を止めない安倍政権の非科学的な自然観についてもいえる。安倍政権の閣僚たちは中世と同じように日本が「国造り神話」によって出来たと考えているのかもしれないが、地球の地殻変動で形成された日本が地震大国であり、火山の国でもあることを忘れてはならない。安倍政権は「四海に囲まれた自然豊かな風土を持つ日本」を強調しているが、その豊かな自然を放射能で汚染し、日本人の生命を危険にさらす原発政策を進めているのが安倍政権である。

たとえば、その意向を受けたNHKの籾井会長は、地震後の原発報道は「住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えてほしい」という指示を出していた。このような対応は核汚染の危険性の公表は国民を恐怖に陥れるとして報道規制をした政府の対応も描き出していた映画《ゴジラ》のことを思い起こさせる。

終戦直前の八月に広島と長崎にウラン型原子爆弾「リトルボーイ」とプルトニウム型原爆「ファットマン」が相次いで投下されてから二年後の一九四七年にアメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、原爆争など人類が生み出した技術によって世界が滅亡する時間を午前〇時になぞらえた「世界終末時計」の時刻が終末の七分前になったと発表した。さらに湯川秀樹博士ら著名な科学者は「第五福竜丸」の後の一九五五年に「ラッセル・アインシュタイン宣言」を発表して核の時代における戦争が地球を破滅に導く危険性を指摘したが、映画《ゴジラ》の公開はそれに先だっていたのである。

それゆえ、『ゴジラの哀しみ』の「第一部 映画《ゴジラ》から黒澤映画《夢》へ」では、本多監督と黒澤監督との交友にも注意を払いながら、「ゴジラ」の変貌の問題を「第五福竜丸」事件の後で撮影された映画《ゴジラ》からチェルノブイリ原発事故に衝撃を受けて製作された映画《夢》までの流れをとおして考察することにしたい。

すなわち、第一章「ゴジラの咆哮と悲劇の発生」では、映画《ゴジラ》と《ジョーズ》とを比較することでこの二つの映画では悲劇の発端が、重大な情報の隠蔽であることに注意を促す。

第二章「映画《モスラ》(一九六一)から《風の谷のナウシカ》(一九八四)へ」では、社会的・文化的な背景をも詳しく考察することで映画《モスラ》や《モスラ対ゴジラ》が、黒澤映画《用心棒》や《風の谷のナウシカ》とも深い関わりがあることを示した『モスラの精神史』を分析する。

第三章「映画《惑星ソラリス》から一九八四年版の映画《ゴジラ》へ」では、時間的には少し遡ることになるが、黒澤監督が映画《デルス・ウザーラ》の撮影中にソ連のタルコフスキー監督の映画《惑星ソラリス》(一九七三)を見ていたことに注目することにより、黒澤が語ったソ連の若者の核戦争観が、一九八四年版の映画《ゴジラ》の筋に強い影響を与えている可能性を指摘する。さらに、映画《日本沈没》(一九七三)における日本海トラフの指摘に注目することにより、一九八四年版の映画《ゴジラ》が地震大国であり火山国でもある日本の自然環境をきちんとふまえて映画化されていることを指摘する。

第四章「「ゴジラ」の理念の変質と映画《夢》」では、序章でも簡単に見た「ゴジラシリーズ」での「ゴジラ」の変貌を追うとともに、チェルノブイリ原発事故が起きた年に亡くなったタルコフスキーの《サクリファイス》にも注意を払うことで、福島第一原子力発電所を予言したとも言われる本多監督が演出補佐として参加していた映画《夢》の「赤富士」のシーンの意味に迫る。

昨年の一月二二日に『原子力科学者会報』は、「終末時計」が冷戦期の一九四九年と同じく「残り3分」になったと発表した。

冷戦が終わり、二一世紀に入った現代においても、世界終末時計が米ソの二つの大国が激しく対立していた一九四九年と同じ「残り3分」になったことに衝撃を受けた。軍事的な超大国となったアメリカを初めとして多くの国が、武力によって「テロ」などが制圧できると信じているようだが、歴史をふりかえるならばそれは妄想にすぎないだろう。一方、岸信介首相と同じように未だに原子力エネルギーの危険性を認識していないだけでなく、「歴史修正主義」的な傾向を強く持つ安倍政権は、原発だけでなく武器輸出などの軍拡政策をとることにより、目先の経済的利益を追求し始めているのである。

第二部「小説『永遠の0(ゼロ)』(二〇〇六)の構造と「オレオレ詐欺」の手法」では、安倍首相との共著もある百田尚樹氏が二〇〇六年に出版した『永遠の0(ゼロ)』(太田出版)を歴史的な事実をふまえて文学論的な手法で分析することにより、そこに秘められているイデオロギーの危険性を明らかにする。

すなわち、第一章「孫が書き記す祖父の世代の美しい物語」では、もう一人の主人公ともいえるほど影響力が大きい存在ながらあまり焦点が当てられないもう一人の「祖父」の役割などに注意を払うとともに、物語の骨格を定めている「取材という手法」と百田氏がノンフィクションと称する『殉愛』との類似性を指摘する。

第二章「地上での視線を欠いた『空』の戦いの物語」では、たしかにガダルカナル島での兵士の悲惨な状態や将軍たちの批判は為されてはいものの、それは伝聞の形で語られており、生の声で語られる体験としての迫力や説得力には欠けることを、国内の状況を具体的に描いた映画《少年H》や劇《闇に咲く花》との比較をとおして明らかにする。

第三章「高山という新聞記者――新聞の役割と『司馬史観』論争」では、小説のクライマックスともいえる高山と元一部上場企業の社長だった武田との対決やその前後の登場人物の言葉をとおして、この小説が一九九六年の司馬遼太郎の死後に起きたいわゆる「司馬史観」論争に際して科学的な歴史観を「自虐史観」と呼んだ「つくる会」のイデオロギーを強く受け継いでいることを、一九九七年に公演された井上ひさし氏の劇《紙屋町さくらホテル》と比較することで明らかにする。

第四章「神話の捏造――英雄の創出と『ゼロ』の神話化」では、プロローグでは「悪魔のようなゼロ」と描かれていた「特攻」が、英雄の創出と零戦の神話化によって、エピローグでは正反対の価値観になっていることを具体的に示す。

私がはじめて宮崎駿監督の作品を意識したのは、《風の谷のナウシカ》で「火の七日間」と「巨神兵」による「最終戦争」と科学文明の終焉が描かれているのを見たときであった。そこでは『罪と罰』のエピローグで描かれている「人類滅亡の悪夢」が見事に映像化されていると感じるとともに、映画《ゴジラ》の最も重要なテーマを受け継いでいると感じた。それゆえ、安倍政権が一九世紀的な「積極的平和主義」を掲げて、戦争のできる国を目指して「改憲」を掲げる中、宮崎駿監督の強い信頼を得ている庵野秀明監督が、どのような《シン・ゴジラ》を製作するのかを強い期待と不安を持って見守っている。

全体の終章にあたる「映画《風の谷のナウシカ》から映画《風立ちぬ》へ」では、「神話の捏造」という言葉で『永遠の0(ゼロ)』を厳しく非難していた宮崎駿監督のアニメ映画《風の谷のナウシカ》から映画《風立ちぬ》までを分析することにより、専制政治と核戦争の岐路に立たされていると思える現在の日本の状況を明らかにする。

そして、最後に核エネルギーの悲惨さを知っている日本の「自衛隊」には、ブッシュ政権の「大義なき戦争」によって始まった二一世紀の混乱を収束させるためには憲法九条の理念に沿って戦争には参加せず、大地震の際の救助活動など平和的な目的に限って活動するとともに、核の廃絶を世界に訴えるという文明的な課題があることを示したい。

(2016年11月2日、改訂してタイトルを改題)

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日(二)、「季節外れの問題作」《生きものの記録》とアニメ映画《風の谷のナウシカ》を掲載

二、「季節外れの問題作」《生きものの記録》とアニメ映画《風の谷のナウシカ》

本多監督の盟友・黒澤監督は映画《ゴジラ》をすぐれた百本の映画の一つとして挙げていたが、「ゴジラ」の本場である日本でも、「ゴジラ」の哀しみや怒りは急速に忘れ去られたように思える。

「およそ将来の世界戦争においてはかならず核兵器が使用されるであろう」と指摘し、「あらゆる紛争問題の解決のための平和な手段をみいだすよう勧告する」という「ラッセル・アインシュタイン宣言」が発せられたのは、「第五福竜丸」事件の翌年七月のことであった。

この事件から強い衝撃を受けて「世界で唯一の原爆の洗礼を受けた日本として、どこの国よりも早く、率先してこういう映画を作る」べきだと考えた黒澤明監督も、映画《ゴジラ》から一年後に映画《生きものの記録》(脚本・黒澤明、橋本忍、小國英雄)を公開した*11。

この映画では、映画《ゴジラ》で古生物学の山根博士の役を見事に演じていた志村喬が、度重なる水爆実験や「核戦争」などの危険性を心配して家族とともにブラジルへ移民しようとする主人公の老人の気持ちを理解する重要な知識人の役を演じている。

一方、息子たちの強い反対にあい、裁判で準禁治産の宣告を受けたことで、精神的にも追い詰められたこの老人は工場が燃えれば息子たちもあきらめるだろうと考えて放火する。しかし、従業員たちの深い苦悩を見て自分たちだけで逃げようとしたことの非を主人公が悟る場面も描かれている。ことに、精神病院に収容された主人公が夕日を見て核戦争で燃え上がった地球とみなし、「とうとう地球が燃えてしまった!!」と叫ぶシーンは圧巻である。ドストエフスキーの研究者である私には、そこでは『罪と罰』のエピローグで描かれている「人類滅亡の悪夢」が見事に映像化されていると思えた*12。

映画《生きものの記録》が英語では《I Live In Fearと訳され、ロシア語でも«Я живу в страхе» (私は恐怖の中で生きている)と訳されていることもあり、いまだにこの主人公の老人・喜一は「恐怖」から逃げだそうとしたと誤解されることが多い。しかし、むしろ彼は「あんなものにムザムザ殺されてたまるか、と思うとるからこそ、この様に慌てとるのです」と語り、「ところが、臆病者は、慄え上がって、ただただ眼をつぶっとる」と批判していたのである。その意味でこの老人・喜一は自然の豊かさや厳しさを本能的に深く知っていた映画《デルス・ウザーラ》の主人公の先行者的な人物であったといえるだろう。

しかし、映画《七人の侍》の翌年に公開され、三船敏郎が見事な老け役を演じていたこの映画は営業的には大失敗に終わった。映画《ゴジラ》からわずか一年の遅れで公開された黒澤映画の失敗の原因についてはいろいろと指摘されているが、その遠因には一九五三年にアメリカ大統領のアイゼンハワーが、「原子力の平和利用」を国連で表明するとともに、被爆国の日本にたいして原子力発電所の建設を促す動きを強め、それに呼応して翌年の一九五四年一月一日から読売新聞による「ついに太陽をとらえた」とする原発推進の三〇回にわたる連載が始められていたことを挙げることができるだろう。この結果、一九五四年三月三日には、「国会に初めて原子炉予算として二億円あまり」を計上するという議案が提出され、数日後には成立していたのである。

広告研究家の本間龍氏は『原発プロパガンダ』 において、一九七〇年から福島第一原子力発電所の大事故が起きる二〇一一年までの大手電力会社の広告宣伝は二兆四千億円にも及び、政府広報予算も含めればさらに数倍にも膨れあがることや、二〇一三年からは安倍政権の意向に従って原発広告が復活し、ことに原発推進派だった読売新聞が「再び記事の中でも積極的に原発再稼働を唱え」始めていることを指摘している*13。同じようなことが「第五福竜丸」事件が起きた一九五四年から翌年までの間にもすでに起きていたのである。

「原子力基本法」を成立させた日本政府は、「原子力の平和利用」を謳いながら、経済面を重視して原子力発電の育成を「国策」として進めるようになり、原子力発電の危険性を指摘する科学者を徐々に要職から追放しはじめることになる。こうして、日本が地震大国という地勢的な条件や原爆の悲惨さから目をそらして原子力大国への道を歩み出し始めた翌一九五五年の『文學界』の七月号に掲載されたのが石原慎太郎氏の小説『太陽の季節』だった。「既成道徳に対する反抗」を描いたこの小説が同じ年に第一回『文學界』新人賞を受賞するとこの作品は一躍、脚光を浴びることとなり、「太陽族」という流行語も生まれた*14。

さらに、一九五五年に「原子力潜水艦ノーチラス号」を製造した会社の社長を「原子力平和利用使節団」として招聘した読売新聞社の正力松太郎社主は、映画《生きものの記録》が公開されたのと同じ一一月からは「原子力平和利用大博覧会」を全国の各地で開催し、「原子力発電」を「国策」とするための社運を賭けた大々的なキャンペーンを行った*15。

それは福島第一原子力発電所の大事故の前に広告会社の電通などによって行われた「原子力の安全神話」を広める広告の先駆けのようなものであったといえよう。このような大々的な宣伝により日本における「核エネルギー」にたいする見方はがらりと変わり、この映画が封切りされた頃には原子力エネルギーが「第二の太陽」ともてはやされるようになり、映画《生きものの記録》は「季節外れの問題作」と見なされて興行的には大失敗に終わったのである。

このような事態に際して、一九四八年の対談で太陽熱も原子力で生まれており、原子力エネルギーは「そうひどいことでもない」と湯川秀樹博士が主張したのに対して、「高度に発達する技術」の危険性を指摘して「目的を定めるのはぼくらの精神だ。精神とは要するに道義心だ。それ以外にぼくらが発明した技術に対抗する力がない」と反論して、「原子力エネルギー」の危険性を正しく指摘していた文芸評論家の小林秀雄が、原発の推進が「国策」となると沈黙してしまったことも大きいと思われる*16。

一方、「ゴジラ映画三十年の変遷」を分析した浅井和康氏が一九七四年に公開された映画《ゴジラ対メカゴジラ》に言及して、ついには「贋者の」ゴジラが登場したと記していた*17。ましこ・ひでのり氏も一九八九年に公開された映画《ゴジラvsビオランテ》を考察して「〈憲法前文や9条の理念が邪魔で戦争が満足にできない〉といった好戦派のホンネがSFの形で露呈しているといえるのではないか」と書き、ここでは「先端技術をスマートに駆使して敵を撃破する“格好いい”自衛隊」が描かれていることを指摘している*18。

さらに、永田喜嗣氏は初期のゴジラ・シリーズでは、「文民統制」の原則が貫かれていたのに対し、《ゴジラvsビオランテ》では「ゴジラ映画初の自衛隊が人間を撃つ描写や、外国人を徹底的に悪人にし」、一九九一年に公開された《ゴジラvsキングギドラ》では、「日本企業が核ミサイル付き原潜を持つ」という設定がなされており、ゴジラ映画の右傾化であると批判した*19。

このことに言及した芹沢亀吉氏は、「ゴジラファンの間で原点回帰の傑作と評価されている」、二〇〇一年に公開された映画《ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃》を詳細に分析して、主人公の父親が終盤で「特殊潜航艇さつま」に乗って、海中にいるゴジラの口の中に突入する場面を、特攻をかっこよく見せる映画《永遠の0》の先駆けなのだと書き、「映画自体が大ヒットしたことで後続の東宝映画が特攻を肯定的に描く事を許容する前例になってしまった」と続けている*20。

これらの指摘はなぜ本多監督が、一九七五年に公開された映画《メカゴジラの逆襲》を最後に「ゴジラ・シリーズ」から去ったかということだけでなく、なぜ宮崎駿監督が「神話の捏造」という言葉で映画《永遠の0(ゼロ)》を厳しく批判したかをも説明していると思える。

最後に注意を払っておきたいのは、一九六一年に公開された映画《モスラ》(製作:田中友幸、監督:本多猪四郎、特技監督:円谷英二)のモスラの形象に注目した小野俊太郎氏が、「幼虫モスラと王蟲(オーム)の形状の類似」などを指摘していることである*21。

しかも、一九八四年に公開された宮崎駿監督のアニメ映画《風の谷のナウシカ》が映画《モスラ》の理念を継承していることにも言及し、両者を繋ぐ働きを黒澤映画《生きものの記録》が担っていることを指摘している。本多監督が日米合作企画映画として製作したこの映画《モスラ》は一九六一年七月三〇日に公開されたが、この映画の脚本が中村真一郎、福永武彦、堀田善衛という著名な作家三人の原作『発光妖精とモスラ』(『週刊朝日』)を元にして関沢新一が脚本を書いていた。日東新聞記者である主人公の福田善一郎という名前は、これらの三人の作家の名前を組み合わせて出来ているが、ここにはシナリオを重視してたびたび共同で書いていた黒澤明と同じような姿勢が強く見られるだろう。

 

*11 西村雄一郎『黒澤明と早坂文雄――風のように侍は――』筑摩書房、二〇〇五年、七七七頁。

*12 高橋誠一郎『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』成文社、二〇一四年、一三二頁。

*13 本間龍『原発プロパガンダ』 岩波新書、

*14 高橋誠一郎、前掲書、一三五頁。

*15 有馬哲夫『原発・正力・CIA――機密文書で読む昭和裏面史』新潮新書、二〇〇八年参照。

*16 高橋誠一郎、前掲書『黒澤明と小林秀雄』、一〇八~一〇九頁。

*17 浅井和康「ゴジラ映画三十年の変遷」、『モスラ対ゴジラ』講談社X文庫、一九八四年、二三九頁。

*18 ましこ・ひでのり『ゴジラ論ノート』三元社、二〇一五年、一〇八頁。

*19 永田喜嗣「ゴジラ ウルトラマン 怪獣平和学入門 ~怪獣映画にみる戦争~」、市民社会フォーラム第171回学習会、二〇一六年一月二三日、ライブ配信

*20 芹沢亀吉、ツイートまとめ「『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃(GMK)』は本当に原点回帰映画なのかを検証してみた」二〇一六年六月二五日。

*21 小野俊太郎『モスラの精神史』講談社現代文庫、二〇〇七年、二四八~二五一頁。

(2016年11月2日、タイトルを改題)

 

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日、(一)モスクワで観たゴジラとアメリカのゴジラ観を掲載

一、モスクワで観たゴジラとアメリカのゴジラ観

水爆大怪獣と名付けられた初代の「ゴジラ」がスクリーンに現れたのは、「第五福竜丸」事件が起き無線長の方が亡くなられた一九五四年のことであったが、予告編では「伊福部昭の曲ではなくて、ムソルグスキーの「展覧会の絵」の不気味な曲」にあわせて、様々なシーンとともに「人類最後の日来る!」「水爆が生んだ現代の恐怖」などの文字が画面いっぱいに示されていた*1。

実際、オリバー・ストーンはその著書で原爆の研究者たちが「議論を重ねるうち、原子爆弾の爆発によって海水中の水素や大気中の窒素に火がつき、地球全体が火の玉に変わるかもしれないことに突如として気づいた」ので計画が一時中断された時期があったが、その確率が極めて低いことが分かって研究が再開され、広島や長崎に原爆が投下されることになったことを記している*2。

しかし、原爆の千倍もの破壊力を持つ水爆「ブラボー」の実験がビキニ沖の環礁で行われた時には、その威力が予測の三倍を超えたために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われたのである。

それゆえ、三度も被曝した日本ではこの問題に対する関心がきわめて高く、水爆という重たいテーマを扱いながら「なるかゴジラ征服」という文字も示されていた刺激的な予告の効果や、その結末では日本を破壊し尽くしかねないゴジラに対してオキシジェン・デストロイヤーを使用することに同意した科学者の芹沢が、自分が発明した危険な兵器が悪用されないようにと自らもゴジラとともに滅ぶことを選んで亡くなるシーンを描いていたこともあり、この映画は「観客動員数九百六十九万人」に達する大ヒットとなった*3。

ゴジラが誕生してから六〇年を経て「ゴジラ」の還暦に当たる二〇一四年も、アメリカ映画の《Godzilla ゴジラ》も公開されるなどしたために、この年にはNHKのBSやテレビ東京で「ゴジラシリーズ」が放映されるなどゴジラの話題で盛り上がった。

単行本だけでなく雑誌でもゴジラ関連の特集が多く組まれており、『初代ゴジラ研究読本』(洋泉社MOOK)では、映画《ゴジラ》の脚本だけでなく、科学者の芹沢を演じた俳優の平田昭彦と本多監督との一九八一年の対談も掲載されていた。注目したいのは、その対談で黒澤監督が語ったソ連の若者たちが抱いている「核戦争への恐怖」を本多監督が伝えていたことである。

その対談を読みながら、かつてモスクワに留学していた時に映画《ゴジラ》を見たのは、かなり大きな映画観だったにもかかわらず満席で観客が真剣に見入っていたこと思い出した。映画《生きものの記録》で度重なる水爆実験や核戦争の恐怖を描いていた黒澤監督は、ソ連での生活が映画《デルス・ウザーラ》の撮影中とその前後の短い期間だったにもかかわらず、ソ連の若者たちの不安を正確に認識していたといえよう。この言葉からは黒澤が広島の被曝についても語られている映画《惑星ソラリス》を撮ったタルコフスキーとも、核戦争の危機について語り合っていたのではないかと感じた。

映画《夢》などの作品でも黒澤を補佐することになる本多監督も黒澤明研究会の例会で映画《ゴジラ》と原爆との関連についてこう明確に語っていた。「『ゴジラ』は原爆の申し子である。原爆・水爆は決して許せない人類の敵であり、そんなものを人間が作り出した、その事への反省です。なぜ、原爆に僕がこだわるかと言うと、終戦後、捕虜となり翌年の三月帰還して広島を通った。もう原爆が落ちたということは知っていた。そのときに車窓から、チラッとしか見えなかった広島には、今後七二年間、草一本も生えないと報道されているわけでしょ、その思いが僕に『ゴジラ』を引き受けさせたと言っても過言ではありません」*4。

さらに本多監督は、核兵器の開発に関わるような科学者を批判して、「ただ、水爆みたいなものを考えた人間というのは、いい気になって自分たちの勝手をやっていたら、自分たちの力で自分たちが完全に滅びる、自分たちだけじゃなくて、地球上のすべてのものを殺してしまうかもしれないほど人間というのは危険だ」とも語っていた*5。

ここには本多監督の鋭い原爆観だけでなく、戦争観も見られるが、それは二・二六事件を引き起こした陸軍第一師団第一連隊五中退に所属したために、一九三六年に徴兵で満州に派兵されたのをはじめとして、三度も懲罰的な徴兵をされていたのである。インパクトのあるゴジラの姿だけでなく、民衆が逃げ惑う迫力のあるシーンは、本多監督の苦しい実体験が反映されているだろう*6。実際、このような形で徴兵されたのは反乱軍の兵士のみならず、東条英機首相の方針に反対した丸山眞男などの学者や松前重義などの高級官僚も懲罰的な徴兵の対象とされていたのである。

本多夫人は夫と黒澤監督が「ドキュメンタリータッチの作品で有名な山本嘉次郎監督の門下生」で、互いにをクロさん、イノさんと呼び合う中であったことを紹介しながら二人の復員兵を主人公とした黒澤映画《野良犬》では、本多監督が「ファースト助監督」として迎えられ、「B班の撮影やロケ撮影を担当し」、「刑事役の三船さんがピストルを捜して東京の盛り場を歩き回る九分間、七十カットを撮り、戦後の荒廃した風俗の実像を生々しく描き出し」たと語っている*7。

さらに夫人は、映画《夢》についても言及して、「このなかで四つ目の ”トンネル”と題した十五分の物語は、クロさんには失礼かもしれませんが、間違いなくイノさん演出だったと思いますよ。戦争から帰って一年に数回、イノさんはうなされて大声で叫んで飛び起きる悪夢を見るのです」と証言している*8。

一方、アメリカにおける「ゴジラ」の受容については、『怪獣王ゴジラ』(GODZILLA KING OF MONSTERS!)と題した編集版が一九五六年にリリースされてから人気を得たことが指摘されている*9。

しかし、テリー・モース監督のもとで追加撮影と再編集がされたこの映画について、映画《ゴジラ》で主役を演じた宝田明氏は、「当時の時代背景に配慮した」ためか、「政治的な意味合い、反米、反核のメッセージ」は丸ごとカットされて」いたとし、「反核や反戦のテーマをこめた初代『ゴジラ』は米国にとって都合が悪く、大幅にカットしなければアチラで上映できなかった」と語っている*10。

実際、ましこ・ひでのり氏はアメリカでは「大衆にとって、ソ連との核戦争の不安も所詮は対岸の火事であり、ゴジラは核兵器で退治される怪物とするボードゲームのキャラクターにされた」と書き、次のようにこの映画を分析している。

すなわち、「初代ゴジラを『編集した』アメリカ版『怪獣王ゴジラ』では、水爆実験とゴジラとの関連性を否定し、ゴジラから被曝した被災者の存在を隠蔽、ゴジラが復活する可能性にふれた原作の被災者の最終場面のセリフをカットし、アメリカ版用にでっちあげた主人公に『脅威は去った』と断言させるなど、およそ『編集』の域をこえた破壊だった」のである。

小野氏が「オリジナルである日本版の『ゴジラ』を普通のアメリカの観客が観ることができたのはずっとあとで、二〇〇四年に数館で上映されたのみである」と書いていることに注目するならば、アメリカの観客はようやく二〇〇四年になって「水爆実験」によって生まれた「ゴジラ」の哀しみを知ったといえるだろう。

 

*1 小野俊太郎『ゴジラの精神史』彩流社、二〇一四年、一一九頁。

*2 オリバー・ストーン、ピーター・カズニック、鍛原多恵子他訳『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史1 二つの世界大戦と原爆投下』早川書房、二〇一三年、二九一~二九三頁。

*3ウィリアム・M・ツツイ『ゴジラとアメリカの半世紀』中央公論新社、二〇〇五年、四三頁。

*4 堀伸雄「世田谷文学館・友の会」講座資料「『核』を直視した四人の映画人たち――黒澤明、本多猪四郎、新藤兼人、黒木和雄」より引用。

*5 本多猪四郎『「ゴジラ」とわが映画人生』ワニブックス、二〇一〇年、八七頁。

*6 切通理作『本多猪四郎 無冠の巨匠』洋泉社、二一四年、一八六~二一三頁。

*7 本多きみ『ゴジラのトランク 夫・本多猪四郎の愛情、黒澤明の友情』、宝島社、二〇一二年、九九頁。

*8 同上、一七七頁。

*8 小野俊太郎『ゴジラの精神史』、彩流社、二〇一四年、一四六頁。

*9 宝田明、「反戦がテーマのゴジラを国会で上映したい」『日刊ゲンダイ』二〇一五年六月三〇日。

*10 ましこ・ひでのり『ゴジラ論ノート 怪獣論の知識社会学』三元社、二〇一五年、六三頁。

(2016年11月2日、タイトルを改題)。

 

〈ハリウッド版・映画《Godzilla ゴジラ》と「安保関連法」の成立〉を「映画・演劇評」に掲載

昨年は映画《ゴジラ》が初めて公開されてから60周年ということで、原爆や原発に焦点をあてながら映画《ゴジラ》の特徴と「ゴジラシリーズ」の問題を4回にわたって考察した後で、〈映画《ゴジラ》の芹沢博士と監督の本多猪四郎の名前を組み合わせた芹沢猪四郎が活躍するアメリカ映画《Godzilla ゴジラ》は、映画《ゴジラ》の「原点」に戻ったという呼び声が高い〉ことを紹介し、下記のように結んでいました。

「残念ながら当分、この映画を見る時間的な余裕はなさそうだが、いつか機会を見て映画《ゴジラ》と比較しながら、アメリカ映画《Godzilla ゴジラ》で水爆実験や「原発事故」の問題がどのように描かれているかを考察してみたい」。

昨年は様々な事情からこの映画を観るのを控えていましたが、「安保関連法」が国会で「強行採決」された直後の9月25日夜に日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」で地上波初放送されたので、「映画・演劇評」のページに感想を記すことにします。

 

映画《ゴジラ》関連の記事一覧

映画《ゴジラ》考Ⅴ――ハリウッド版・映画《Godzilla ゴジラ》と「安保関連法」の成立

映画《ゴジラ》考Ⅳ――「ゴジラシリーズ」と《ゴジラ》の「理念」の変質

映画《ゴジラ》考Ⅲ――映画《モスラ》と「反核」の理念

 映画《ゴジラ》考Ⅱ――「大自然」の怒りと「核戦争」の恐

映画《ゴジラ》考Ⅰ――映画《ジョーズ》と「事実」の隠蔽

 

なぜ今、『罪と罰』か(2)――「ゴジラ」の咆哮と『罪と罰』の「呼び鈴」の音

ゴジラ

(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

1954年の3月1日にアメリカ軍による水爆「ブラボー」の実験が行われました。この水爆が原爆の1000倍もの破壊力を持ったために、制限区域とされた地域をはるかに超える範囲が「死の灰」に覆われて、160キロ離れた海域で漁をしていた日本の漁船「第五福竜丸」の船員が被爆しました。

この事件から強い衝撃を受けた黒澤明監督は「世界で唯一の原爆の洗礼を受けた日本として、どこの国よりも早く、率先してこういう映画を作る」べきだと考えて映画《生きものの記録》の脚本「死の灰」(黒澤明、橋本忍、小國英雄)を書き始めました。

水爆実験に同じような衝撃を受けた本多猪四郎監督が同じ年の11月に公開したのが映画《ゴジラ》でした。この映画を久しぶりに見た時に感じたのは、冒頭のシーンが第48回アカデミー賞で作曲賞、音響賞、編集賞などを受賞したスティーヴン・スピルバーグ監督の映画《ジョーズ》(1975年)を、映像や音楽の面で先取りしていたことです。

《ジョーズ(Jaws)》の内容はよく知られていると思いますが、観光地で遊泳していた女性が大型の鮫に襲われて死亡するが、事態を軽く見せるために「事実」を隠そうとした市長などの対応から事件の隠蔽されたために、解決が遠ざかることになったのです。

一方、映画《ゴジラ》の冒頭では、船員達が甲板で音楽を演奏して楽しんでいた貨物船「栄光丸」が突然、白熱光に包まれて燃え上がり、救助に向かった貨物船も沈没するという不可解な事件が描かれていました。伊福部昭作曲の「ゴジラ」のライトモチーフは、一度聴いたら忘れられないような強いインパクトを持っているが、その理由を作曲家の和田薫はこう説明しています。

「円谷英二さんから特に画を観させてもらったというエピソードがありますよね。あの曲は低音楽器を全て集めてやったわけですが、画を観なければ、ああいう極端な発想は生まれません」(『初代ゴジラ研究読本』、122頁)。

この言葉は映像と音楽の深い関わりを説明していますが、実は、長編小説『罪と罰』でも、若き主人公が「悪人」と見なした高利貸しの老婆のドアの呼び鈴を鳴らす場面も、あたかも悲劇の始まりを告げる劇場のベルのように響き、読者にもその音が聞こえるかのように描かれているのです。

*   *   *

ゴジラはなかなかその姿をスクリーンには現わさず、観客の好奇心と不安感を掻きたてるのですが、遭難した漁師の話を聞いた島の老人は大戸島(おおどしま)に伝わる伝説の怪獣「呉爾羅(ゴジラ)」の仕業ではないかと語り、昔はゴジラの被害が大きいときには若い女性を人身御供として海に捧げていたが、今はその代わりにお神楽を舞っているのだと説明します。

暴風雨の夜に大戸島に上陸して村の家屋を破壊し、死傷者を出した時にも「ゴジラ」はまだその全貌を現してはいないのですが、島に訪れた調査団の前に現れた「ゴジラ」の頭部を見た古代生物学者の山根博士(志村喬)は、国会で行われた公聴会で発見された古代の三葉虫と採取した砂を示しながら、おそらく200万年前の恐竜だろうと次のように説明します。

「海底洞窟にでもひそんでいて、彼等だけの生存を全うして今日まで生きながらえて居った……それが この度の水爆実験によって、その生活環境を完全に破壊された。もっと砕いて言えば あの水爆の被害を受けたために、安住の地を追い出されたと見られるのであります……」。

ここで注目したいのは、山根博士が古代の恐竜「ゴジラ」が水爆実験によって、安住の地を奪われたために出現したと説明していることです。その説明はビキニ沖での水爆実験によって、「第五福竜丸」事件を引き起こした後も、冷戦下で互いに核実験を繰り返す人間の傲慢さを痛烈に批判し得ているばかりか、黒澤監督が映画《夢》の第六話「赤富士」で予告することになる福島第一原子力発電所の大事故の危険性をも示唆していたと思えます。

*   *   *

『罪と罰』のあらすじはよく知られていますが、「人間は自然を修正している、悪い人間だって修正したてもかまわない、あいつは要らないやつだというなら排除してもかまわない」という考え方を持っていた主人公が、高利貸しの老婆を殺害したあとの苦悩が描かれています。

現在の日本でも「罪の意識も罰の意識も遂に彼(引用者注──ラスコーリニコフ)には現れぬ」と解釈した文芸評論家・小林秀雄長編小説の『罪と罰』論が影響力を保っているようですが、ここで重要なのは、この時期のドストエフスキーが「大地主義」という理念を唱えていたことであり、ソーニャをとおしてロシアの知識人というのはロシアの大地から切り離された人たちだと批判をしていたことです。

たとえば、ソーニャは「血で汚した大地に接吻しなさい、あなたは殺したことで大地を汚してしまった」と諭し、それを受け入れた主人公は自首をしてシベリアに流されますが、最初のうちは「ただ一条の太陽の光、うっそうたる森、どこともしれぬ奥まった場所に湧き出る冷たい泉」が、どうして囚人たちによってそんなに大事なのかが分からなかったラスコーリニコフが、シベリアの大自然の中で生活するうちに「森」や「泉」の意味を認識して復活することになる過程が描かれているのです。

このような展開は一見、小説を読んでいるだけですとわかりにくいのですが、ロシア文学者の井桁貞義氏は、スラヴには古くから「聖なる大地」という表現があり、さらに古い叙事詩の伝説によって育った庶民たちは、大地とは決して魂を持たない存在ではなく、つまり汚されたら怒ると考えていたことを指摘しています。つまり、富士山が大噴火するように、汚された大地も怒るのです。

そして、ソーニャの言葉に従って、大地に接吻してから自首したラスコーリニコフはシベリアの大地で「人類滅亡の悪夢を」見た後で、自分が正当化していた「非凡人の理論」の危険性を実感するようになることです。

この意味で『罪と罰』で描かれている「呼び鈴」の音は、単にラスコーリニコフの悲劇の始まりを告げているだけではなく、「覚醒」と「自然観の変化」の始まりをも示唆しているように思えます。

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(序)――「安倍談話」と「立憲政治」の危機

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(1)――「立憲主義」の危機と矮小化された『罪と罰』

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(3)――事実(テキスト)の軽視の危険性

リンク→なぜ今、『罪と罰』か(4)――弁護士ルージンと19世紀の新自由主義

ドストエーフスキイの会「第226回例会のご案内」を掲載

ドストエーフスキイの会「第226回例会のご案内」を「ニュースレター」(No.127)より転載します。

*   *   *

第226回例会のご案内

下記の要領で例会を開催いたします。今回は会場が変更になりました。ご注意ください!

皆様のご参加をお待ちしています。                 

日 時2015年3月21日(土)午後2時~5時         

場 所神宮前穏田(おんでん)区民会館第3会議室(2F)

℡03-3407-1807

 報告者:槙田寿文 

 題 目: 「創造は記憶である」 黒澤映画におけるドストエフスキーとバルザックの受容

*会員無料・一般参加者=会場費500円

*   *   *

報告者紹介:槙田寿文(まきたとしふみ)

1959年(昭和34)生まれ。商社、外資系メーカーを経て、現在、NPO法人映像産業振興機構所属。黒澤明研究会会員。黒澤明研究家&資料収集家。主な論文『黒澤明とバルザック』『黒澤明の青春』『謎解き「七人の侍」』(「黒澤明研究会会誌」所収)。『生誕百年 映画監督黒澤明展』(フィルムセンター)への資料協力とギャラリートーク。『イノさんのトランク~黒澤明と本多猪四郎 知られざる絆~』(NHKBS)の企画・監修。新資料発見に貢献。

*   *   *

「創造は記憶である」 黒澤映画におけるドストエフスキーとバルザックの受容

槙田 寿文

 

映画監督黒澤明のドストエフスキーへの傾倒ぶりは隠れもないことであるが、実は黒澤明のバルザックへの傾倒ぶりも深いものがあったことが最近明らかになりつつある。一方、ドストエフスキーのバルザックへの深い敬愛も明らかな事実である。黒澤明、ドストエフスキー、バルザックの相互の関連性と影響度を黒澤明の終戦直後の二つのエッセイを起点として考察を展開するのが今回の発表の概要である。

二つのエッセイとは、一つは雑誌『芸苑』の昭和21年(1946年)7‐8月合併号に掲載された『わが愛読書』という題名の一文で、当時三十六歳の黒澤明が自身の愛読書に関して約二千五百字に亘って率直に述べている。もう一つは、雑誌『シナリオ』昭和23年(1948年)2月号に掲載された『シナリオ三題』というシナリオに関する当時の黒澤明の考えを述べたものである。

当時、戦後第1作『わが青春に悔いなし』を製作中であり、まだまだ、新進気鋭という枕詞がついて回る時期だった黒澤明は、『わが愛読書』の中で、「先ず、一番始めに『悪霊』という名前と『戦争と平和』という名前が浮かんできました。そして、それに続いて『カラマーゾフの兄弟』『アンナ・カレーニナ』『死の家の記録』『虐げられし人々』『白痴』と云う名前が次々に飛び出してきました。それから、少し間を置いて『従妹ベット』『ゴリオ爺さん』『セザール・ビロトー』『幻滅』と云う名前が続きます。(中略)だから、僕はやっぱり一番の愛読書はトルストイとドストエフスキーとバルザックのそれぞれの代表作であると申し上げる外はありません。(中略)何故なら、僕はこれ等の本を愛すると申すより、その前に跪づいていると申した方が適当だからです。云はば、僕にとってこれ等の本は聖書の様なものだからです。」と述べている。

一方、『シナリオ三題』の中では、「ひとつ、社会的に大きな波紋を投ずる程の人物が創造出来ないものだろうか。例えば、今の日本では、ヴォートランやスタブローギンやバザロフの様な人物の創造は不可能なのだろうか。」と述べている。この時期は、黒澤明の評価を決定づけた傑作『酔いどれ天使』の撮影開始直前である。つまり、二つのエッセイは巨匠黒澤明としてではなく、終戦後、日本人が生き方を模索していた時期に、同様に映画作家としての方向性を模索していた黒澤明として書かれたものであり、昭和20年代の黒澤映画と黒澤明の思想的発展を解くカギの一つとなりうると私はみなしている。

発表の前半では、この二つのエッセイを起点として、バルザックが各界に与えた様々な影響、ドストエフスキーのバルザックへの敬愛、そしてアンドレ・ジイドと寺田透によるドストエフスキーとバルザックの比較を通して黒澤作品への影響を考察してみたい。また、バルザック作品のドストエフスキーへの影響や、黒澤作品におけるポリフォニーとカーニバルに関しても再考したい。

発表の後半では、「戦後思想と黒澤明」を大きなテーマとして、「戦後の作家」である黒澤作品が昭和20年代に辿った精神・思想の成長過程と破綻をバルザックとドストエフスキーからの影響である自我の確立、ヒューマニズム、ニヒリズムといった切り口を交えながら見ていきたい。そこでは、最近、黒澤明がゴーストライターであったことが確認された戦中の映画『愛の世界』におけるドストエフスキー的ヒューマニズムの源流や、戦後の黒澤映画に登場するドストエスキー的人物を語ることになるだろう。また、『シナリオ三題』で挙げられたヴォートランやスタヴローギンへの強い関心や憧れはどこから来て、どのように消えたのかも類推してみたい。

多田道太郎は黒澤明の戦後の歩み(昭和20年代)を「黒沢明はずい分遠い道を歩いたものだ。(中略)しかし通してずっとみてみると、それは戦後の、芸術分野での、最高の歩みの一つである。」と述べているが、それを上記のような様々な切り口で追体験できればと考えている。

*   *

 例会の「傍聴記」と「事務局便り」など会の活動については、「ドストエーフスキイの会」のHPhttp://www.ne.jp/asahi/dost/jdsでご確認ください。

なお、HPにはスペインのグラナダで2016年6月7日から10日に開催される国際ドストエフスキー・シンポジュウムの情報も掲載されました。

映画《ゴジラ》考――「ゴジラ」の怒りと「核戦争」の恐怖

 「第五福竜丸」事件が起きた年に映画《ゴジラ》(原作:香山滋。脚本:村田武雄・本多猪四郎)が製作されてから、今年が60周年に当たります。アメリカで製作された《Godzilla ゴジラ》がヒットしていることもあり、NHKのBSで7月8日にデジタルリマスター版《ゴジラ》の第一作が放映されました。

 久しぶりにこの映像を見直すと、志村喬の演じた古代生物学者の山根博士などの言葉をとおして、水爆の危険性と核エネルギーの問題点が鋭く指摘されていたことに気づかされます。

 昨年の「終戦記念日」にはブログ記事の〈終戦記念日と「ゴジラ」の哀しみ〉で、原爆が投下された後の広島を見た体験について語った本多猪四郎監督の言葉を紹介しながら、映画《ゴジラ》が核の危険性を鋭く指摘していたことを紹介しました。

 最近、『初代ゴジラ研究読本』(洋泉社MOOK、2014年)に《ゴジラ》の脚本が掲載されましたので、今日と「広島原爆の日」の明後日の2回にわたって「映画・演劇評」のページで、黒澤映画《生きものの記録》も視野に入れながら映画《ゴジラ》を考えてみたいと思います。

 第一回の今回は〈「ゴジラ」の怒りと放射能の隠蔽〉と題して、スピルバーグ監督の映画《ジョーズ》(1975年)にも言及しながら、「情報」の隠蔽の問題がこれらの作品でどのように描かれているかを考察し、第二回には〈「ゴジラ」の恐怖と「核戦争」の恐怖〉と題して、タルコフスキーの映画《サクリファイス》にも言及しながら、冷戦下の軍備拡大の恐怖とソ連から観た映画《ゴジラ》の問題を考察することにします。

リンク→映画《ゴジラ》考Ⅰ――映画《ジョーズ》と「事実」の隠蔽

リンク→映画《ゴジラ》考Ⅱ――「大自然」の怒りと「核戦争」の恐怖

リンク→映画《ゴジラ》考Ⅲ――映画《モスラ》と「反核」の理念

リンク→映画《ゴジラ》考Ⅳ――「ゴジラシリーズ」と《ゴジラ》の「理念」の変質

リンク→映画《ゴジラ》考Ⅴ――ハリウッド版・映画《Godzilla ゴジラ》と「安保関連法」の成立

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 リンク→『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』(のべる出版企画)の目次

(2015年10月30日、リンク先を追加。2016年1月2日、リンク先と書影を追加)