高橋誠一郎 公式ホームページ

福沢諭吉

なぜ今、『罪と罰』か(7)――教育制度の問題と長編小説『破戒』(2)

 

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(映画《二十四の瞳》、壺井栄原作、木下恵介監督。1954年 松竹大船。図版は「ウィキペディア」より)

前回は「教育勅語」と同時に公布された「小学令改正」により郡視学の監督下に置かれた小学校教育の状況がどのようなものとなったかが、長編小説『破戒』の第2章でかなり詳しく描かれているだけでなく、校長が郡視学の甥の若い教員・勝野文平を使ってなんとか丑松を学校から放逐したいと考えていたことも記されていることを確認しました。

*   *   *

第5章では明治6年(1873)国の祝日とされた天長節(天皇の誕生日)の式典をめぐって、教頭のような地位にあった丑松と校長の関係が次のように描かれています。

「主座教員としての丑松は反(かえ)って校長よりも男女の少年に慕はれていた。丑松が『最敬礼』の一声は言ふに言はれぬ震動を幼いものの胸に伝へるのであつた。やがて、『君が代』の歌の中に、校長は御影(みえい)を奉開して、それから勅語を朗読した。万歳、万歳と人々の唱へる声は雷(らい)のやうに響き渡る。その日校長の演説は忠孝を題に取つたもので、例の金牌(きんぱい)は胸の上に懸つて、一層(ひとしお)その風采を教育者らしくして見せた。」

このあとで、郡視学の甥・勝野文平をわざわざ呼び止めた校長が、「時に、どうでした、今日の演説は?」と尋ねて、「御世辞でも何でも無いんですが、今まで私が拝聴(うかゞ)った中(うち)では、先(ま)づ第一等の出来でしたらう」という返事を得たと記した藤村は、こう続けています。

「校長は、やがて思ふことを切出した。わざわざ文平を呼留めてこの室へ連れて来たのは、どうかして丑松を退ける工夫は無いか、それを相談したい下心であつたのである。」

さらに、第14章で校長が「この鍾愛(きにいり)の教員から、さまざまの秘密な報告を聞くのである。男教員の述懐、女教員の蔭口(かげぐち)、その他時間割と月給とに関する五月蠅(うるさい)ほどの嫉(ねた)みと争いとは、是処(ここ)に居て手に取るやうに解(わか)るのである」と記した藤村は、勝野文平が「学校に居られないばかりぢや無い、あるいは社会から放逐されて、二度と世に立つことが出来なくなる」かも知れないような丑松の出自についての情報を語ったと続けていました。

ここで注意を払っておきたいのは、「正教・専制・国民性」の「三位一体」が強調された「ロシアの教育勅語」により、言論の自由が厳しく制限されていたニコライ一世治下の「暗黒の30年」に青春を過ごしたドストエフスキーが、すでに第一作『貧しき人々』の女主人公ワルワーラの「手記」において「何から何まで時間割で」決っていた当時の寄宿学校の問題点を鋭く描いていたことです。

このことの意味と長編小説『罪と罰』との関連については次回考えることにしますが、『破戒』でも天長節の日に「忠孝」という「教育勅語」の理念を広めようとしていた校長が、その一方で四民平等が唱えられ、「穢多非人ノ称ヲ廃シ身分職業共平民同様トス」とされた1871(明治4)年の「解放令」のあとでも昔ながらの差別感を持ち続けており、自分の気に入らない丑松を学校から放逐する策略を裏で行っていたことが記されていたのです。

福沢諭吉は、自由民権運動と国会の開設への要求が高まりを見せていた明治一二年(一八七九)に書いた『民情一新』でニコライ一世が、「学校の生徒は兵学校の生徒」と見なしたばかりでなく、西欧の「良書を読むを禁じ、其雑誌新聞紙を見るを禁じ」、大学においては「理論学を教へ普通法律を講ずる」ことを禁じるなど「未曽有〔みぞう〕の専制」を行ったと厳しい批判をしていました(太字は引用者)。

福沢の批判を考慮するならば、自由民権運動の高まりによって、「薩長藩閥政府」から「憲法」を1889年に勝ち取っていた日本でも、その翌年に「教育勅語」が渙発されたことによって、次第に帝政ロシアに近い教育体制へと後退をし始めていたのです。

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少し脱線することになりますが、若い勝野文平を使って丑松を放逐しようとする校長の策謀や苦悩する丑松を助ける土屋銀之助の働きは、松山中学を舞台に「マドンナ」に惚れたために「うらなり」を放逐しようとしていた文学士の「赤シャツ」と「のだいこ」の策略を見抜いた「坊っちゃん」が「山嵐」とともに彼等を成敗して去って行くという夏目漱石の『坊つちやん』の構造も連想させられます。

『破戒』が自費出版されたのが1906年3月で、『坊つちやん』が『ホトトギス』の付録として載ったのが4月1日とのことですので、直接的な関係はないようですが、二人の文学者の当時の教育制度への批判がうかがえるように思えます。

さらに脱線を重ねることになりますが、小さな島の学校に1938年に赴任した若い大石先生と子供たちの触れ合いを描いた壺井栄の小説『二十四の瞳』(1952)では、夏目漱石の弟子・鈴木三重吉の影響下に事実を写生するように教えた「生活綴方運動」を教育の場で実践して六年生の文集『草の実』を編み、「生徒の信望を集めていた」教員が、「一朝にして国賊に転落させられた」という出来事も描かれています。

興味深いのはこの原作をもとに映画《二十四の瞳》(松竹大船、主演女優:高峰秀子)を1954年に公開した木下恵介監督が、池部良・桂木洋子・滝沢修などの俳優により、島崎藤村の『破戒』を原作とする映画を1948年に公開していたことです。

残念ながら映画《破戒》を見ていないので、詳しく論じることはできませんが、そのことからは『破戒』から『二十四の瞳』に至る教育制度の題点に対する木下監督の深い理解が感じられます。

追記:いずれ木下恵介監督の映画《破戒》についても記したいと思いますが、You Tubeに「予告」が掲載されていたことが分かりましたので、そのリンク先を取りあえず記しておきます。

リンク→破戒(予告) – YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=Po8Jmry4728

(2016年1月27日。青字の箇所を追加。2017年4月18日、改訂)

 

御嶽山の噴火と川内原発の再稼働――映画《夢》と「自然支配」の思想

 

御嶽山の噴火と川内原発の再稼働――映画《夢》と「自然支配」の思想

 

一、地震予知と火山噴火予知の難しさ

27日に長野、岐阜両県にまたがる御嶽山(3067メートル)が突然、噴火し、28日現在も山頂付近の登山道などで31人が心肺停止になっているのが発見されたとのニュースが流れています。この噴火からは火山の噴火や地震の予知などの難しさとともに、人間に恵みを与えてくれる大自然の力の脅威を改めて痛感させられました。

「東京新聞」の本日付けの社説は「地球上には約千五百の活火山がある。日本列島には、そのうち百十、約7%が集中している」が、「大学の研究者など火山専門家が常駐する観測施設があるのは桜島(鹿児島県)や有珠山(北海道)など五カ所だけ」であることを指摘し、「火山国に暮らすわれわれとしては」、「謙虚に火山を恐れ、よく備えなければならない」と記しています。

そして、原子力規制委員会が「今月、周辺に活火山群がある鹿児島県の九州電力川内原発について、新規制基準にかなうと判断した」ことに、「原発は、対応できるのか」との重大な疑問を呈しています。

二,原発の推進と19世紀の「自然支配の思想」

すでにこのHPでも引用していたように日本の近代化を主導した思想家の福沢諭吉は、西欧文明の優越性を主張したバックルの文明観に依拠しながら、『文明論之概略』において「水火を制御して蒸気を作れば、太平洋の波濤を渡る可し」とし、「智勇の向ふ所は天地に敵なく」、「山沢、河海、風雨、日月の類は、文明の奴隷と云う可きのみ」と断じていました。

このような福沢の文明観について歴史学者の神山四郎は、「これは産業革命時のイギリス人トーマス・バックルから学んだ西洋思想そのものであって、それが今日の経済大国をつくったのだが、また同時に水俣病もつくったのである」と厳しく批判しています(『比較文明と歴史哲学』)。

このような文明観が原発の推進を掲げる現政権や日本の経済界などでは受けつがれたことが、地殻変動により形成されていまもさかんな火山活動が続き地震も多発している日本列島に、原爆と同じ原理によって成り立っている原子力発電所を建設させ、福島第一原子力発電所の大事故を引き起こしたといえるでしょう。しかも、今回は運良く免れることができたものの、東京電力の不手際と優柔不断さにより関東一帯が放射能で汚染され、東京をも含む関東一帯の住民が避難しなければならない事態とも直面していたのです。

慧眼な思想家であった福沢諭吉ならば原発事故に遭遇したあとでは、その見解を変えて、「反核」「脱原発」運動の先頭に立っていたと思われます。しかし、19世紀の「自然支配」の思想を未だに信じている経済産業省や産業界は、大自然の力への敬虔な畏れの気持ちを持たないように見える首相をかつぐことで、大惨事の後も原発の再稼働や輸出の政策を強引に推し進めています。

このような経済産業省の姿勢からは、文明史家の司馬遼太郎氏が強く批判していた「参謀本部の思想」が連想させられます。「参謀本部」がミッドウェー海戦での大敗北についての情報を隠す一方で、「神州無敵」などのスローガンで「国民」を欺いたことが、沖縄での悲惨な戦闘や広島・長崎の被爆という悲劇を生み出していたのです。

三、映画《夢》における「知識人」の批判と民衆の叡智

1986年のチェルノブィリ原発事故の後で詳しくこの事故について調べた黒澤明監督は、作家のガルシア゠マルケスが対談で「核の力そのものがいけないのではなくて、(中略)核の使い方を誤った人がいけないんじゃないでしょうか」と、「核の平和利用」もありうると主張したことに対して、次のように批判していました。

「核っていうのはね、だいたい人間が制御できないんだよ。そういうものを作ること自体がね、人間が思い上がっていると思うの、ぼくは」と語り、「人間はすべてのものをコントロールできると考えているのがいけない。傲慢だ」。

この言葉にはドストエフスキーの『罪と罰』などをとおして、「知識人」の「良心」の問題を深く考察した黒澤監督の「原発」観だけでなく、自然観が明確に語られていると思います。実際、放射性廃棄物の中にはプルトニウムのように半減期が長く、安全なレベルまで放射能が減少するまでには10万年近くかかるものもあることが以前から指摘されており、目先の利益だけでなく、後の世代のことや日本の自然環境を考えるならば、そのような廃棄物を産み出す「原発」の推進は「傲慢」だといえるでしょう。

しかも、黒澤監督の発言は日本の「自然地理的な状況」を踏まえてのものでもあるとも感じます。なぜならば、黒澤監督のもとでチーフ助監督を務めた経験もある森谷司郎監督は、海底に異変が起きていることを発見し、続いて東京大地震、富士山噴火、そして列島全体が沈没するという壮大なテーマの長編小説『日本沈没』を橋本忍の脚本で1973年に映画化していたのです。

古代では「天変地異」を天が人間に伝える警告と捉えていましたが、それは民衆の「迷信」と見なすべきではなく、むしろ日頃から大地や自然と接して暮らすことから得た民衆の「叡智」と考えるべきでしょう。

原発事故が描かれている映画《夢》の第六話「赤富士」で、幼い子供たちを連れた母親に「原発そのものに危険はない。絶対ミスを犯さないから問題はない、とぬかした奴等は、ゆるせない!」と厳しく批判させていた黒澤監督は、第八話の「水車のある村」では古代の「モーゼのような髭を生やした」水車小屋の老人にこう語らせていたのです。

多くの「知識人」は、「人間を不幸せにする様なものを一生懸命発明して得意になっている。また、困った事に、大多数の人間達は、その馬鹿な発明を奇跡の様に思って有難がり、その前にぬかずく。/そしてそのために、自然が失われ、自分達も亡んで行くことに気がつかない」。

御嶽山の噴火と映画《夢》」より改題

〈「グローバリゼーション」と「欧化と国粋」の対立〉を「主な研究」に掲載

拙著『欧化と国粋――日露の「文明開化」とドストエフスキー』(刀水書房)の序章の一部を、「著書・共著」のページで紹介していましたが、そのページ内ではかえって見つけにくいので、「主な研究」のページに移動するとともに改題しました。

日本がアメリカなど欧米の強い圧力で「開国」や「文明開化」を迫られていた時期に起きていた露土戦争は、イギリスやフランスなどがトルコ側に参戦したためにクリミアで激しい戦争が行われました。

クリミア戦争やその敗北後の「大改革」の時代をドストエフスキーの作品をとおして考察することは、「集団的自衛権」という名前で「軍事同盟」の必要性が再び唱えられるようになった日本の未来を考える上でも重要だと思われます(8月29日改訂)。

リンク先→「グローバリゼーション」と「欧化と国粋」の対立

「大地主義」と地球環境

このブログのタイトルで使っている「大地」という単語は、『虐げられた人々』や『死の家の記録』などで重要な役割を担っていたドストエフスキーの「大地(土壌)主義」から用いたものです。

この理念は『罪と罰』や『白痴』だけでなく、『カラマーゾフの兄弟』の頃までもドストエフスキーの中で脈々と続いていますので、「大地主義」と長編小説との関係についてはじっくりと考えていきたいと思っています。

ただ、ここでは「文明史家」ともいえる司馬遼太郎氏においても、「大地主義」とも呼べるような理念が近代の功利主義的な考え方に対する批判の核になっていることを指摘しておきたいと思います。

たとえば、 日本の「文明開化」を導いた福沢諭吉は、『文明論之概略』において「水火を制御して蒸気を作れば、太平洋の波濤を渡る可し」とし、「智勇の向ふ所は天地に敵なく」、「山沢、河海、風雨、日月の類は、文明の奴隷と云う可きのみ」と断じていました。

しかし、夏目漱石は自ら「俳諧的小説」と名づけた長編小説『草枕』において、「汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて轟(ごう)と通る」と記し、「おさき真闇(まっくら)に盲動する汽車はあぶない標本の一つである」と結んでいます。

ここには、「蒸気」を用いて「山沢、河海」などの「自然」を「文明の奴隷」とすることができるとした福沢の文明観に深い危惧の念も読み取ることができるでしょう。

そして、福沢諭吉の比較文明論的な方法を高く評価していた歴史学者の神山四郎も、福沢のこの記述については、「これは産業革命時のイギリス人トーマス・バックルから学んだ西洋思想そのものであって、それが今日の経済大国をつくったのだが、また同時に水俣病もつくったのである」と厳しく批判していました(『比較文明と歴史哲学』)。

このことは大量に流出した放射能により日本の大地や河川、さらに海が汚された今回の原発事故の場合に、より強く当てはまるでしょう。

 

歴史小説家の司馬遼太郎氏は『坂の上の雲』においては、農民が自立していた日本と「農奴」とされてしまっていたロシアの農民の状態を比較しながら、戦争の帰趨についても論じていました。

それゆえ、「大地」の重要性をよく知っていた司馬氏は、「土地バブル」の頃には、「大地」が「投機の対象」とされたために、「日本人そのものが身のおきどころがないほどに大地そのものを病ませてしまっている」ことを「明石海峡と淡路みち」(『街道をゆく』第7巻)で指摘していました。

しかもそこで、「海浜も海洋も、大地と同様、当然ながら正しい意味での公のものであらねばならない」が、「明治後publicという解釈は、国民教育の上で、国権という意味にすりかえられてきた。義勇奉公とか滅私奉公などということは国家のために死ねということ」であったと指摘した司馬氏は、「われわれの社会はよほど大きな思想を出現させて、『公』という意識を大地そのものに置きすえねばほろびるのではないか」という痛切な言葉を記していたのです。