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『翔ぶが如く』

正岡子規の時代と現代(4)――明治6年設立の内務省と安倍政権下の総務省

「この時期、歴史はあたかも坂の上から巨岩をころがしたようにはげしく動こうとしている」(司馬遼太郎『翔ぶが如く』、文春文庫、第3巻「分裂」。拙著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』81頁))

「よく考えてみると、敗戦でつぶされたのは陸海軍の諸機構と内務省だけであった。追われた官吏たちも軍人だけで、内務省官吏は官にのこり、他の省はことごとく残された。/ 機構の思想も、官僚としての意識も、当然ながら残った」(『翔ぶが如く』、「書きおえて」)。

isbn978-4-903174-33-4_xl装画:田主 誠/版画作品:『雲』

 

正岡子規の時代と現代4――1873年(明治6年)の内務省と安倍政権下の総務省

司馬遼太郎氏は長編小説『翔ぶが如く』で、「普仏戦争」で「大国」フランスに勝利してドイツ帝国を打ち立てたビスマルクと対談した大久保利通が、「プロシア風の政体をとり入れ、内務省を創設し、内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとしたと書いていました(第1巻「征韓論」、拙著『新聞への思い』、88頁)。

これらの指摘は一見、現代の日本を考える上では参考になるとは見えません。しかし、ドイツが福島第一原子力発電所の大事故の後で、国民的な議論と民衆の「英知」を結集して「脱原発」に踏み切る英断をしたのを見て、改めて痛感したのは、ドイツ帝国やヒトラーの第三帝国の負の側面をきちんと反省していたドイツと日本との違いです。

なぜならば、敗戦70年の談話で安倍首相は、「日露戦争の勝利」を強調していましたが、ヒトラーも『わが闘争』においてフランスを破ってドイツ帝国を誕生させた普仏戦争(1870~1871)の勝利を、「全国民を感激させる事件の奇蹟によって、金色に縁どられて輝いていた」と情緒的な用語を用いて強調していたのです。

こうして、ヒトラーはドイツ民族の「自尊心」に訴えつつ、「復讐」への「新たな戦争」へと突き進んだのですが、「官の絶対的威権を確立」したドイツ帝国を模範として第三帝国を目論んだヒトラー政権は、50年足らずで崩壊した「ドイツ帝国」よりもはるかに短期間で滅んでいました。

それゆえ、敗戦後に母国だけでなくヨーロッパ全域に甚大な被害を与えたナチスドイツの問題を詳しく考察したドイツでは、「官僚」の命令に従うのではなく、原発など「国民の生命」に関わる大きな問題を国民的なレベルで議論することを学んだのだろうと思われるのです。

*   *   *

それに対して日本では、「ドイツのワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。誰も気がつかない間に変わった。あの手口を学んだらどうか」とヒトラーの政治手法に言及した麻生副総理の発言は内外に強い波紋を呼んだものの、集中審議開催を与党が拒否したために、国会でのきちんとした論戦もないままに終わっていました。

本場のドイツとは異なり、日本では敗戦後も「内務省のもつ行政警察力」を中心とした「プロシア風の政体」の問題や政治家や経済界の責任を明らかにしなかったために、

『新聞紙条例』(讒謗律)が発布される2年前の明治6年に設置された内務省の危険性がいまもきちんと認識されていないようです。

一方、『坂の上の雲』を書き終えた後で司馬氏はナチスドイツと「昭和前期の日本」との類似性を意識しない日本の政治家の危険性を次のように厳しく批判していました。

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒットラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか」(「『坂の上の雲』を書き終えて」)。

司馬氏のこのような問題意識は、『坂の上の雲』の終了後に書き始めた『翔ぶが如く』にも受け継がれています。

すなわち、その後書きで「土地バブル」に多くの民衆が踊らされて人々の生命をはぐくむ「大地」さえもが投機の対象とされていた時期に、「土地に関する中央官庁にいる官吏の人」から「私ども役人は、明治政府が遺した物と考え方を守ってゆく立場です」という意味のことを告げられた時の衝撃を司馬氏はこう書いているのです。

「私は、日本の政府について薄ぼんやりした考え方しか持っていない。そういう油断の横面を不意になぐられたような気がした」。

そして司馬氏は、「よく考えてみると、敗戦でつぶされたのは陸海軍の諸機構と内務省だけであった。追われた官吏たちも軍人だけで、内務省官吏は官にのこり、他の省はことごとく残された。/ 機構の思想も、官僚としての意識も、当然ながら残った」と続けていたのです(『翔ぶが如く』文春文庫、第10巻「書きおえて」)。

福島第一原子力発電所の大事故のあとで、原子力産業を優遇してこのような問題を発生させた官僚の責任が問われずに、地震大国である日本において再び国内だけでなく国外にも原発の積極的なセールスがなされ始めた時に痛感したのは「書きおえて」に記された司馬氏の言葉の重みでした。

*   *   *

それゆえ、11月28日に私は下記の文面とともに、「特定秘密保護法案に反対する学者の会」に賛同の署名を送りました。

〈「テロ」の対策を目的とうたったこの法案は、諸外国の法律と比較すると国内の権力者や官僚が決定した情報の問題を「隠蔽」する性質が強く、「官僚の、官僚による、官僚と権力者のための法案」とでも名付けるべきものであることが明らかになってきています。それゆえ私は、この法案は21世紀の日本を「明治憲法が発布される以前の状態に引き戻す」ものだと考えています。〉

特定秘密保護法案の衆議院強行採決に抗議し、ただちに廃案にすることを求めます

*   *   *

新聞報道の問題や言論の自由の問題のことを考えていたこの時期にたびたび脳裏に浮かんできたのは、郷里出身の内務省の官僚との対立から寄宿舎から追い出された後で、木曽路の山道を旅して「白雲や青葉若葉の三十里」という句を詠んだ正岡子規の姿でした。

日露戦争をクライマックスとした『坂の上の雲』では、どうしても多くの頁数が割かれている戦闘の場面の描写の印象が強くなるのですが、この後で東京帝国大学を中退して新聞『日本』の記者となった正岡子規を苦しめることになる「内務省」や新聞紙条例などの問題もこの長編小説では詳しく分析されているのです。

それゆえ、子規の叔父・加藤拓川と新聞『日本』を創刊する陸羯南との関係にも注意を払いながらこの長編小説を読み進めるとき、「写生」や「比較」という子規の「方法」が、親友・夏目漱石の文学観だけでなく、秋山真之や広瀬武夫の戦争観にも強い影響を及ぼしていることを明らかにすることができると思えたのです。

(初出、2013年11月27日~29日。改訂しリンク先を追加、2016年11月1日)

『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(目次

人文書館のHPに掲載された「ブックレビュー」、新聞への思い 正岡子規と「坂の上の雲」』

正岡子規の時代と現代(2)――「特定秘密保護法」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)

この時期、歴史はあたかも坂の上から巨岩をころがしたようにはげしく動こうとしている」(司馬遼太郎『翔ぶが如く』)

*   *   *

民主党政権を倒した後で現政権が打ち出した「特定秘密保護法」が、軍事的な秘密だけでなく、沖縄問題などの外交的な秘密や原発問題の危険性、さらにはTPPをも隠蔽できるような性質を有していることが、次第に明確になってきました。司馬作品の研究者という視点から、倒幕後の日本の状況と比較しつつ、この法律の問題点をもう一度考えてみたいと思います。

国民に秘密裏に外国との交渉を進めた幕府を倒幕寸前までに追い詰めつつも「大政奉還」の案を出した理由について、司馬氏は『竜馬がゆく』において竜馬に、政権が変わっても今度は薩長が結んで別の独裁政権を樹立したのでは、革命を行った意味が失われると語らせて、明治初期の藩閥独裁政権の危険性を示唆していました。

実際、長編小説『歳月』(初出時の題名は『英雄たちの神話』)では佐賀の乱を起こして斬首されることになる江藤新平を主人公としていましたが、井上馨や山県有朋など長州閥の大官による汚職は、江藤たちの激しい怒りを呼んで西南戦争へと至るきっかけとなったのです。

そのような中、「普仏戦争」で「大国」フランスに勝利してドイツ帝国を打ち立てたビスマルクと対談した大久保利通は、「プロシア風の政体をとり入れ、内務省を創設し、内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立しよう」としました(第1巻「征韓論」、拙著『新聞への思い』、88頁)。

一方、政府の強権的な政策を批判して森有礼や福沢諭吉などによって創刊された『明六雑誌』は、「明治七年以来、毎月二回か三回発行されたが、初年度は毎号平均三千二百五部売れたという。明治初年の読書人口からいえば、驚異的な売れゆきといっていい。しかしながら、宮崎八郎が上京した明治八年夏には、この雑誌は早くも危機に在った」(第5巻「明治八年・東京」。『新聞への思い』、95~99頁)。

その理由を司馬氏はこう書いています。「明治初年の太政官が、旧幕以上の厳格さで在野の口封じをしはじめたのは、明治八年『新聞紙条例』(讒謗律)を発布してからである。これによって、およそ政府を批判する言論は、この条例の中の教唆扇動によってからめとられるか、あるいは国家顛覆論、成法誹毀(ひき)ということでひっかかるか、どちらかの目に遭った」。

*   *   *

私は法律の専門家ではありませんが、この明治8年の『新聞紙条例』(讒謗律)が、共産主義だけでなく宗教団体や自由主義などあらゆる政府批判を弾圧の対象とした昭和16年の治安維持法のさきがけとなったことは明らかだと思えます。

なぜならば、『翔ぶが如く』で『新聞紙条例』(讒謗律)の問題を深く掘り下げて司馬氏は、子規の死後養子である正岡忠三郎など大正時代に青春を過ごした人々を主人公とした長編小説『ひとびとの跫音』で、「学校教練」にも触れながら、大正14年に制定された最初の「治安維持法」について次のように厳しく規定していたからです。

国家そのものが「投網、かすみ網、建網、大謀網のようになっていた」/「人間が、鳥かけもののように人間に仕掛けられてとらえられるというのは、未開の闇のようなぶきみさとおかしみがある」。

いわゆる「司馬史観」論争が起きた際には司馬氏の歴史観に対しては、「『明るい明治』と『暗い昭和』という単純な二項対立史観」であり、「大正史」を欠落させているとの厳しい批判もありました。

しかし、『ひとびとの跫音』において司馬氏は、「言論の自由」を奪われて日中戦争から太平洋戦争へと続く苦難の時期を過ごした彼らの行動と苦悩、その原因をも淡々と描き出していたのです、

*   *   *

『坂の上の雲』をとおしてナショナリズムの問題や近代兵器の悲惨さを描いた司馬氏は、「日本というこの自然地理的環境をもった国は、たとえば戦争というものをやろうとしてもできっこないのだという平凡な認識を冷静に国民常識としてひろめてゆく」ことが、「大事なように思える」と書いていました(「大正生れの『故老』」『歴史と視点』)。

同じことは原発問題についてもいえるでしょう。近年中に巨大な地震に襲われることが分かっている日本では、本来、原発というものを建ててはいけないのだという「平凡な認識を冷静に国民常識としてひろめてゆく」ことが必要でしょう。

戦争自体は体験しなかったものの病気を押して従軍記者となり、現地を自分の体と眼で体感した正岡子規が、『歌よみに与ふる書』で「歌は事実をよまなければならない」と記していました。この文章は『三四郎』を書くことになる親友の夏目漱石だけでなく司馬遼太郎氏の文明観にも強い影響を与えただろうと考えています。

何度も発行禁止の厳しい処罰を受けながらも、新聞『日本』の発行を続けた陸羯南や正岡子規など明治の新聞人の気概からは勇気を受け取りましたので、なんとか平成の人々にもそれを伝えたいと考えています。

(初出、2013年11月13日。改訂、2016年10月30日)

正岡子規の時代と現代(1)――「報道の自由度」の低下と民主主義の危機

→人文書館のHPに掲載された「ブックレビュー」、『新聞への思い 正岡子規と「坂の上の雲」』

「講座  『坂の上の雲』の時代と『罪と罰』の受容」を「新着情報」のページに掲載

リンク→講座 『坂の上の雲』の時代と『罪と罰』の受容

  3月4日に標記の題名で<世田谷文学館友の会>の講座を行うことになりましたので、講座のリード文と日時などを「おしらせ」123号より、「新着情報」のページに転載しました。

<世田谷文学館友の会>の講座では、これまでにも、2013年2月19日に「『草枕』で司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を読み解く」という題名で、2014年6月27日には、「新聞記者・正岡子規と夏目漱石――『坂の上の雲』をとおして」という題名でお話しする機会を頂きました。

今年は「憲法」のない帝政ロシアで1866年に書かれたドストエフスキーの『罪と罰』が発表されてから150年に当たり、スペインのグラナダで『罪と罰』をメインテーマとした国際学会(IDS)が開催されます。

それゆえ、今回の講座では新聞『日本』の記者でもあった正岡子規と夏目漱石や島崎藤村との関係などに注目しながら、評論「『罪と罰』の殺人罪」(1893年)を書いた北村透谷を主人公の一人とした藤村の『春』や日露戦争直後に上梓された『破戒』などとその時代を分析することにより、『罪と罰』が日本の近代文学に与えた深い影響と現代的な意義についてお話したいと考えています。

(参考図書:高橋『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』人文書館、2015年)。

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(2)――長編小説『竜馬がゆく』における「神国思想」の批判

ISBN978-4-903174-23-5_xl(←画像をクリックで拡大できます)

『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館、2009年)

 

安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」運動(2)――長編小説『竜馬がゆく』における「神国思想」の批判

いよいよ今年は、日本の未来をも左右する可能性の強い参議院選(あるいは衆参同時選挙)が行われる重要な年となりましたが、安倍政権の「憲法」観の危険性を認識している人がまだ少ないようです。

それゆえ、昨日は〈安倍首相の「改憲」方針と明治初期の「廃仏毀釈」〉と題して、安倍首相の「改憲」の本音に対する公明党・山口代表の不思議な批判について考察した記事を掲載しました。

戦後70年を迎えて語った「安倍談話」で、安倍氏が「歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます」と未来志向を語っていたので、このような批判は当たらないと思う人が少なくないかもしれません。

しかし、このように語り始めた安倍氏が「歴史の教訓」の例として取り上げたのは、明治時代における「立憲政治」の樹立と日露戦争の勝利でした。

昨年の「戦争法案」の強行採決に際しては安倍政権が「立憲政治」を尊重していないことが明らかになりましたが、長編小説『坂の上の雲』のクライマックスで描かれている日露戦争についても、安倍氏は「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と語っていたのです。

司馬氏の『坂の上の雲』は秋山兄弟など軍人に焦点が当てられることで、保守的な政治家や武器の輸出を目指していた大企業の幹部から高く評価されていましたが、『坂の上の雲』の映像化について司馬氏は「この作品はなるべく映画とかテレビとか、/そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品であります」と明確に記していました(『「昭和」という国家』日本放送出版協会、1998年)。

しかも、イデオロギーを「正義の大系」と呼んで、その危険性に注意を促していた司馬氏は、『坂の上の雲』執筆中の1970年に「タダの人間のためのこの社会が、変な酩酊者によってゆるぎそうな危険な季節にそろそろきている」ことに注意を促していました(「歴史を動かすもの」『歴史の中の日本』中央公論社、1974年、114~115頁)。

そして、この長編小説を書き終えた後では、「政治家も高級軍人もマスコミも国民も、神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と書いて、政治家やマスコミの歴史認識を厳しく批判していたのです(「『坂の上の雲』を書き終えて」『司馬遼太郎全集』第六八巻、評論随筆集、文藝春秋、2000年、49頁)。

*   *   *

司馬氏が「日露戦争の勝利から太平洋戦争の敗戦の時間」を「異胎」と呼び、そのことがマスコミなどで広がり、司馬が昭和初期を「別国」と呼んだこともよく知られており、そのために司馬氏が「明治国家」の讃美者であるかのように思っている読者は今も少なくないようです。

しかし、『竜馬がゆく』において幕末の「攘夷運動」を詳しく描いた司馬氏は、その頃の「神国思想」が、「国定国史教科書の史観」となったと歴史の連続性を指摘し、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と痛烈に批判していたのです(二・「勝海舟」)。

この記述に留意するならば、幕末の動乱を描きつつ司馬氏の視線が昭和初期の日本に向けられていたことは確かでしょう。〈拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館)、「序」参照〉。

しかも『翔ぶが如く』で、明治元年に「神事(祭祀(さいし)、大嘗(だいじょう)、鎮魂、卜占(ぼくせん)」をつかさどる奈良朝のころの「神祇官(じんぎかん)」が再興されていたことを説明した司馬氏は、「仏教をも外来宗教である」とした神祇官のもとで行われた「廃仏毀釈」では、「寺がこわされ、仏像は川へ流され」、さらに興福寺の堂塔も破壊されたことを紹介していたのです。

 

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(2017年1月3日、副題を追加)

 

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自著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』の紹介文を転載

「桜美林大学図書館」の2015年度・寄贈図書に自著の紹介文が表紙の図版とともに掲載されましたので転載します。

Masaoka_Shiki_Takahashi

 

木曽路の山道を旅して「白雲や青葉若葉の三十里」という句を詠み、東京帝国大学を中退して新聞『日本』の記者となった正岡子規は、病を押して日清戦争に従軍していました。

本書では子規の叔父・加藤拓川と幼友達の秋山好古や、新聞『日本』を創刊する陸羯南との関係にも注意を払うことにより、正岡子規の成長をとおして新聞報道や言論の自由の問題が『坂の上の雲』でどのように描かれているかを考察しました。「写生」や「比較」という子規の「方法」は、親友・夏目漱石に強い影響を及ぼしているだけでなく、秋山真之や広瀬武夫の戦争観を考える上でも重要だと思えるからです。

『坂の上の雲』において一九世紀末を「地球は列強の陰謀と戦争の舞台でしかない」と規定し、「憲法」のない帝政ロシアとの比較を行った司馬氏は、西南戦争に至る明治初期の時代を描いた『翔ぶが如く』では、子規を苦しめることになる「内務省」や新聞紙条例などの問題を詳しく分析していました。

今世紀の国際情勢はこれまで以上に複雑な様相を示していますが、「文明の岐路」に立っている日本の今後を考えるためにも、文明論的な視点からこれらの司馬作品を考察した本書を一読して頂ければ幸いです。

(リベラルアーツ学群  高橋 誠一郎)

リンク→ 『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館、目次詳細

 

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について

標記の拙著に関しては発行が大幅に遅れて、ご迷惑や心配をおかけしていますが、ようやく新しい構想がほぼ固まりました。

本書では「黒塊(コツクワイ)」演説を行ったことが咎められて松山中学を中退して上京し、「栄達をすてて」文学の道を選んだ正岡子規に焦点を絞ることで、新聞記者でもあった作家・司馬遼太郎氏が子規の成長をどのように描いているかを詳しく考察しています。

長編小説『坂の上の雲』では、子規の死後に起きた日露戦争における戦闘場面の詳しい描写や戦術、さらには将軍たちの心理の分析などに多くの頁が割かれていますので、それらを省略することに疑問を持たれる方もおられると思います。

しかし、病いを押してでも日清戦争を自分の眼で見ようとしていた子規の視野は広く、「写生」や「比較」という子規の「方法」は、盟友・夏目漱石やその弟子の芥川龍之介だけでなく、司馬氏の日露戦争の描写や考察にも強い影響を及ぼしていると言っても過言ではないように思えます。

司馬氏は漱石の長編小説『三四郎』について「明治の日本というものの文明論的な本質を、これほど鋭くおもしろく描いた小説はない」と記しています。子規と漱石との交友や、子規の死後の漱石の創作活動をも視野に入れることで、長編小説『坂の上の雲』の「文明論的な」骨太の骨格を明らかにすることができるでしょう。

『坂の上の雲』の直後に書き始めた長編小説『翔ぶが如く』で司馬氏は、「征韓論」から西南戦争に至る時期を考察することで、「近代化のモデル」の真剣な模索がなされていた明治初期の日本の意義をきわめて高く評価していました。明治六年に設立された「内務省」や明治八年に制定されて厳しく言論を規制した「新聞紙条例」や「讒謗律(ざんぼうりつ)」は、新聞『日本』の記者となった子規だけでなく、「特定秘密保護法」が閣議決定された現代日本の言論や報道の問題にも深く関わると思われます。

それゆえ本書では、子規の若き叔父・加藤拓川と中江兆民との関係も視野に入れながらこの長編小説をも分析の対象とすることで、長編小説『坂の上の雲』が秘めている視野の広さと洞察力の深さを具体的に明らかにしたいと考えています。

ドストエフスキーを深く敬愛して映画《白痴》を撮った黒澤明監督は、『蝦蟇の油――自伝のようなもの』の「明治の香り」と題した章において、「明治の人々は、司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』に書かれているように、坂の上の向うに見える雲を目指して、坂道を登っていくような気分で生活していたように思う」と書いています。

焦点を子規とその周囲の人々に絞ることによって、この作品の面白さだけでなく、「明治の人々」の「残り香」も引き立たせることができるのではないかと願っています。

リンク→『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館

( 2015年8月10日、改訂と改題)

 

「集団的自衛権の閣議決定」と「憲法」の失効

 

「集団的自衛権の閣議決定」と「憲法」の喪失

 

昨年の10月25日に「特定秘密保護法案」を閣議決定し、その後、強行採決していた安倍内閣は、昨日、「集団的自衛権」を閣議で決定しました。

「集団的自衛権」の重大な問題点についてはすでに新聞などでも詳しく報道されていますが、「同時多発テロ」を理由にアメリカのブッシュ大統領が主導して行ったアフガンやイラクとの戦争には「大義」がなかったことが明白になっており、それが中東情勢やアフガンなどの混乱と直結しているのです。  

 安倍政権は中国などの脅威を強調して国民の不安を煽ることで、「国民の生命」を守るためには「集団的自衛権」が必要なことを強調しています。しかし、今回の法案は福島第一原子力発電所の大事故をまだ解決し得ていない日本が、国際的なテロに巻き込まれる危険性を増やし、「国民の生命」をより脅かすものだといえるでしょう。                     

「国民の生命」だけでなく、近隣諸国の安全にも関わる「集団的自衛権」の問題が、国会での十分な議論や国民への説明もほとんとないままに閣議で決定された2014(平成26)年7月1日を「昭和憲法」が実質的には失効した日として、記憶せねばならないでしょう。

*   *   *   

昨年の11月13日に私は、〈「特定秘密保護法案」と明治八年の「新聞紙条例」(讒謗律)〉というブログ記事で次のように書きました。

「征韓論」に沸騰した時期から西南戦争までを描いた長編小説『翔ぶが如く』で司馬遼太郎氏は、「この時期、歴史はあたかも坂の上から巨岩をころがしたようにはげしく動こうとしている」と描いていました(『翔ぶが如く』、第3巻「分裂」)。

世界を震撼させた福島第一原子力発電所の大事故から「特定秘密保護法案」の提出に至る流れを見ていると、現在の日本もまさにこのような状態にあるのではないかと感じます。

*     *   *

 「文明史家」とも呼べるような広い視野を有していた作家の司馬遼太郎氏は、日本が無謀な戦争へと突入することになる歴史的な経緯を、『坂の上の雲』や『翔ぶが如く』などの長編小説で描いていました。

 しかも司馬氏は、『竜馬がゆく』において幕末の「攘夷運動」を詳しく描き、その頃の「神国思想」が「国定国史教科書の史観」となったと歴史の連続性を指摘し、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と痛烈に批判していました(第2巻・「勝海舟」)。

「明治憲法」を有していた日本がなぜ、昭和初期の「別国」となったかについて司馬氏が明治を扱った長編小説で参謀本部や内務省の危険性に注意を促していたことに留意するならば、幕末の動乱を描きつつ司馬氏の視線が昭和初期の日本だけでなく、平成の日本にも向けられていたことは確かでしょう。

*    *   *

昨日、「あとがきに代えて――小林秀雄と私」をブログにアップし、『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』が私の手からは離れました。   

これからは積年の課題である『司馬遼太郎の視線(まなざし)』(仮題)に本格的に取り組むことで、「新聞記者としての正岡子規と漱石との友情」に注意を払いながら「憲法」の問題を分析することにより、「憲法」を持たなかったロシア帝国の滅亡を予告した秋山好古の言葉が終章で描かれている『坂の上の雲』の現代的な意義を解き明かすことにします。

   (7月4日、題名を〈「参謀本部の暴走」と「集団的自衛権の閣議決定」〉から変更し、記事を加筆)

 

原発再稼働差し止め判決と日本の司法制度

 

5月22日に大飯原発の再稼働差し止め訴訟で、最大の争点だった耐震性の目安となる「基準地震動」について「(炉心溶融に結び付く)一二六〇ガルを超える地震が来ないとの科学的根拠に基づく想定は、本来的に不可能」と判断し、一二六〇ガルを超える地震が起きる危険性が否定できないとした画期的な判決が出ました。

その内容を「東京新聞」の記事によって紹介したあとで、司馬遼太郎氏の記述をとおして日本の司法制度の問題を確認することにします。

*   *   *

 使用済み核燃料の保管状況について「福島原発事故では4号機の使用済み核燃料が危機的状況に陥り、住民の避難計画が検討された」と指摘。関電の「堅固な施設は必要ない」との主張に対し、「国民の安全が何よりも優先との見識に立たず、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しに基づく対応」と断じた。そのうえで「危険性があれば運転差し止めは当然」と指摘。福島事故で検討された住民への避難勧告を根拠に、原告百八十九人のうち二百五十キロ圏内の百六十六人の請求を認めた。

 また、生存権と電気代のコストを並べて論じること自体が「法的には許されない」ことで、原発事故で豊かな国土と国民生活が取り戻せなくなることが「国富の喪失」だと指摘。福島事故は「わが国が始まって以来、最大の環境汚染」であり、環境問題を原発推進の根拠とする主張を「甚だしい筋違い」と断じた。

 *   *   *

このような判断は、「地殻変動」によって国土が形成され、いまも大地震が続く日本の地理的な状況からすれば、ごく当然のものと思われます。

しかし、このような判決が「画期的」となってしまう理由を司馬氏は、司法卿・江藤新平を主人公にした長編小説『歳月』や『翔ぶが如く』などの作品で明らかにしようとしていました。

すなわち、『坂の上の雲』で正岡子規の退寮問題と内務省とのかかわりにふれていた司馬氏は、「普仏戦争」で「大国」フランスに勝利してドイツ帝国を打ち立てたビスマルクと対談した大久保利通が、「プロシア風の政体をとり入れ、内務省を創設し、内務省のもつ行政警察力を中心として官の絶対的威権を確立」しようとしたと記していました(文春文庫、第1巻「征韓論」)。

フランスの民法を取り入れて近代的な司法制度を確立するために、井上馨や山県有朋などの汚職を厳しく取り締まろうとした江藤新平の試みは、「国家」を重視した当時の「薩長独裁政権」によってつぶされていたのです。

こうして、「プロシア風の政体」を取り入れて「国民」ではなく「国家」を重視した日本の司法制度の下では、列車事故などを引き起こした運転手などに対する「責任」は厳しく問う一方で、戦争など「国策」の名のもとに行った指導者に対しては、いかにその被害がおおきくても、その「責任」を問うことがまれとなり、それが後の「昭和別国」へとつながることを、長編小説『歳月』や『翔ぶが如く』などで強く示唆していました。

原発の再稼働問題だけでなく「特定秘密保護法」や「集団自衛権」などをとおして次第に明らかになってきたのは、 第二次安倍政権が目指しているのは、敗戦によってつぶされた「プロシア風の政体」を「取り戻す」強い意思であるように見えます。

 高裁や最高裁の判事が、原発の再稼働問題などでどのような判決をだすのかによって、司法制度の「独立性」が明らかになるでしょう。

 

「特定秘密保護法」と司馬遼太郎のナショナリズム観

特定秘密保護法」は国会できちんと議論されることなく政府与党によって強行採決されましたが、このことについてNHK新会長は、「一応(国会を)通っちゃったんで、言ってもしょうがない。政府が必要だと言うのだから、様子を見るしかない。昔のようになるとは考えにくい」と会見で語りました。

ジャーナリストとしての自覚に欠けたこのような発言からは、国民の不安とナショナリズムを煽ることでこの法案の正当性を主張した政府与党の方針への追従の姿勢が強く感じられ、戦前の日本もこのような認識からずるずると戦争へと引き込まれていったのだろうと痛感しました。

今回は「自らの戦争体験から危険性を訴え、廃止を求めている」瀬戸内寂聴氏への朝日新聞のインタビュー記事を引用し、その後で司馬氏のナショナリズム観を紹介することでこの法律の危険性を示すことにします。

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「朝日新聞」(1月11日)

 年内に施行される「特定秘密保護法」に対し、作家の瀬戸内寂聴さん(91)が「若い人たちのため、残りわずかな命を反対に捧げたい」と批判の声を上げた。10日、朝日新聞のインタビューに答え、自らの戦争体験から危険性を訴え、廃止を求めている。

 表面上は普通の暮らしなのに、軍靴の音がどんどん大きくなっていったのが戦前でした。あの暗く、恐ろしい時代に戻りつつあると感じます。

 首相が集団自衛権の行使容認に意欲を見せ、自民党の改憲草案では自衛隊を「国防軍」にするとしました。日本は戦争のできる国に一途に向かっています。戦争が遠い遠い昔の話になり、いまの政治家はその怖さが身にしみていません。

 戦争に行く人の家族は、表向きかもしれませんが、みんな「うちもやっと、お国のために尽くせる」と喜んでいました。私の家は男がいなかったので、恥ずかしかったぐらいでした。それは、教育によって思い込まされていたからです。

 そのうえ、実際は負け戦だったのに、国民には「勝った」とウソが知らされ、本当の情報は隠されていました。ウソの情報をみんなが信じ、提灯(ちょうちん)行列で戦勝を祝っていたのです。

 徳島の実家にいた母と祖父は太平洋戦争で、防空壕(ごう)の中で米軍機の爆撃を受けて亡くなりました。母が祖父に覆いかぶさったような形で、母は黒こげだったそうです。実家の建物も焼けてしまいました。

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長編小説『坂の上の雲』において常に皇帝や上官の意向を気にしながら作戦を立てていたロシア軍と比較することで、自立した精神をもって「国民」と「国家」のために戦った日本の軍人を描いた司馬遼太郎氏は、その終章「雨の坂」では主人公の一人の秋山好古に、厳しい検閲が行われ言論の自由がなかったロシア帝国が滅びる可能性を予言させていました。

そして日露戦争当時のロシア帝国と比較しながら司馬氏は、「ナショナリズムは、本来、しずかに眠らせておくべきものなのである。わざわざこれに火をつけてまわるというのは、よほど高度の(あるいは高度に悪質な)政治意図から出る操作というべきで、歴史は、何度もこの手でゆさぶられると、一国一民族は潰滅してしまうという多くの例を残している(昭和初年から太平洋戦争の敗北までを考えればいい)」と指摘していたのです(『この国のかたち』第一巻、文春文庫)。

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司馬氏は明治維新後の「征韓論」が藩閥政治の腐敗から生じた国内の深刻な対立から眼をそらさせるために発生していたことを『翔ぶが如く』(文春文庫)で指摘していました。

現在の日本でも参議院選挙の時と同じように、近隣諸国との軋轢については詳しく報道される一方で、国内で発生し現在も続いている原子炉事故の重大な危険性についての情報は厳しく制限されていると思えます。

今回のNHK会長の発言だけでなく、その発言を問題ないとした菅官房長官の歴史認識からは、戦争中に大本営から発表された「情報」と同じような危険性が強く感じられます。

司馬作品から学んだことⅣ――内務官僚と正岡子規の退寮問題

前回のブログ記事「司馬作品から学んだことⅢ――明治6年の内務省と戦後の官僚機構」で、人々の生命をはぐくむ「大地」さえもが投機の対象とされていた時期に、「土地に関する中央官庁にいる官吏の人に会った」司馬氏がその官僚から、「私ども役人は、明治政府が遺した物と考え方を守ってゆく立場です」という意味のことを告げられて、 「油断の横面を不意になぐられたような気がした」と書いていたことを紹介しました。

その後で司馬氏は、敗戦後も「内務省官吏は官にのこり、他の省はことごとく残された。/ 機構の思想も、官僚としての意識も、当然ながら残った」と続けていたのです(『翔ぶが如く』第10巻、文春文庫、「書きおえて」)。

晩年の司馬氏の写真からは、突き刺さるような鋭い視線を感じましたが、おそらく今日の日本の状況を予想して苛立ちをつのらせておられたのだと思います。

このように書くと、いわゆる「司馬史観」を批判する歴史家の方々からは甘すぎるとの反論があるでしょう。

しかしプロシアの参謀本部方式の特徴を「国家のすべての機能を国防の一点に集中するという思想である」と説明していた司馬氏は、このような方向性は当然教育にも反映されることとなり、正岡子規の退寮問題が内務官僚の佃一予(つくだかずまさ)の扇動によるものであったことを『坂の上の雲』において次のように記していたのです。拙著、 『司馬遼太郎の平和観――「坂の上の雲」を読み直す』(東海教育研究所、2005年、74~75頁より引用します。

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 このような風潮の中で…中略…後に「大蔵省の参事官」や「総理大臣の秘書官」を歴任した佃一予のように、「常磐会寄宿舎における子規の文学活動」を敵視し、「正岡に与(くみ)する者はわが郷党をほろぼす者ぞ」とまで批判する者が出てきていたのです。

 そして司馬は「官界で栄達することこそ正義であった」佃にとっては、「大学に文科があるというのも不満であったろうし、日本帝国の伸長のためにはなんの役にも立たぬものと断じたかったにちがいない」とし、「この思想は佃だけではなく、日本の帝国時代がおわるまでの軍人、官僚の潜在的偏見となり、ときに露骨に顕在するにいたる」と続けたのです。

 この指摘は非常に重要だと思います。なぜならば、次章でみるように日露戦争の旅順の攻防に際しては与謝野晶子の反戦的な詩歌が問題とされ、「国家の刑罰を加うべき罪人」とまで非難されることになるのですが、ここにはそのような流れの根幹に人間の生き方を問う「文学」を軽視する「軍人、官僚の潜在的偏見」があったことが示唆されているのです。

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  残念ながら、「特定秘密保護法案に反対する学者の会」の記事がまだ産経新聞には載っていないとのことですが、産経新聞には司馬作品の真の愛読者が多いと思います。日本を再び、昭和初期の「別国」とさせないためにも、この悪法の廃案に向けて一人でも多くの方が声をあげることを願っています。

(2016年11月2日、リンク先を変更)

正岡子規の時代と現代(5)―― 内務官僚の文学観と正岡子規の退寮問題

近著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)について