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森友学園

「森友学園」問題と「教育勅語」そして中学での「銃剣道」――安倍政権の「戦前の価値観」への明確な回帰

「森友学園」問題は幼稚園児に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」と記された「教育勅語」を暗唱させている映像がテレビでも放映されたことが視聴者の関心を引いたこともあり、世論を動かすような事態となった。

しかし、安倍政権(ほとんどの閣僚が「日本会議」や「神道政治連盟」の「国会議員懇談会」に所属している)は、このような状況を政治利用する形で、憲法や教育基本法に反しない形での教育勅語の教材活用を否定しないとした政府答弁書を作成した。

そして、菅官房長官は 「教育勅語」について「親を大切にとか、兄弟姉妹仲良くとか、教育上支障のないことを取り扱うことまでは否定しない。適切な配慮の下、教材使用自体に問題はない」と説明した(なお、育鵬社の歴史教科書が政府見解を先取りするように「教育勅語」を肯定的に論じていることがツイッターに記されている)。

これに対しては朝日新聞が「この内閣の言動や思想をあわせ考えれば、今回の閣議決定は、戦前の価値観に回帰しようとする動きの一環とみなければならない」と厳しく批判し、毎日新聞も4日付朝刊で「戦前回帰 疑念招き」「安倍政権 保守層に配慮」との見出しを掲げた。

東京新聞も「戦前回帰の動きとすれば、封じ込めねばならない。安倍政権は、教育勅語を道徳教育の教材として認める姿勢を鮮明にした。個人より国家を優先させる思想である。復権を許せば、末路は危うい」との社説を5日に掲載した。

一方、「教育勅語を全否定する野党と一部メディアの大騒ぎ それこそ言論統制ではないか」と題する署名入りの記事でこれらの批判記事を紹介した産経新聞は、ことに朝日新聞が「おどろおどろしく断じていた。まさに『妄想』全開である」と小説『永遠の0(ゼロ)』の文章を連想させるような激しい言葉で批判した。さらに「教育勅語の排除と失効確認の決議はGHQ(連合国軍総司令部)の統治下に行われた」と「日本会議」と同じような主張を記して記事を結んでいる。

しかし、宗教学者の島薗進氏が『国家神道と日本人』で明らかにしていたように、「国家神道は教育勅語煥発以後、公的精神秩序の規範として次第に国民生活を蔽っていくようになり、諸宗教・思想はそれを受け入れた上で限定的な『信教の自由』を享受するという宗教・思想の二重構造が成立」していた。

そのような状況で「教育勅語」は絶対化されて、職員室や校長室に設けられた奉安所は、社や神殿のような荘厳な奉安殿となり、配属将校のもとで軍事教練を繰り返させられた若者たちは、「徹底した人命軽視の思想」(『永遠の0(ゼロ)』)によって行われていた悲惨な戦争へと駆り出されることになったのである。

たとえば、ツイッターで下記の写真を紹介した津川ともひさ氏(@TsugawaTomohisa)は、「かの人たちのイメージする『人づくり』はまさに下の写真の通り。1942年5月、東京中目黒国民学校の軍事教練。御真影と教育勅語を収めた軍事教練の前で銃剣をかついだ子どもたちに「かしらーツ、みぎツ」の号令が。」と書いている。

奉安殿2(←画像をクリックで拡大できます)

(写真は『別冊一億人の昭和史 学童疎開』(1977年9月15日 毎日新聞社、56~57頁より)

私はこのような方向性を教育界だけでなく文学界でも決定づけたのが、「教育勅語」の渙発の翌年の1月に起きた内村鑑三の「不敬事件」であり、その後に起きた「教育ト宗教ノ衝突」論争や「人生相渉論争」だっただろうと考えている。

それについてはこのホームページでもすでに言及しているので、ここでは先に公開された陸上自衛隊の新たなエンブレムと、公立中学校の「森友学園」化の危険性を示唆している図版を2点挙げるにとどめる。

陸上自衛隊、エンブレム銃剣道2

集団銃剣道を演ずる私学校の生徒(1942年、写真は「ウィキペディア」より)

これらの図版は「積極的平和主義」を掲げつつ、広島・長崎だけでなく福島の悲惨な経験を反省することなく、原発産業や軍需産業に肩入れして戦争に突き進んでいる安倍自公政権の「戦前復帰的な」価値観を雄弁に物語っていると思えるからである。

「森友学園」問題と「教育勅語」の危険性――『夜明け前』論にむけて(5) 

前回は「森友学園」における「教育勅語」をめぐる問題のようなことは、内村鑑三の「不敬事件」以降、日本の近代化や宗教政策とも複雑に絡み合いながら常に存在しており、それを明治から昭和初期にかけて深く分析したのが作家の島崎藤村だったと記した。

今回は「教育勅語」の成立をめぐる問題をもう少し補った後で、島崎藤村と「教育勅語」の関わりを掘り下げることにしたい。

*   *   *

明治憲法は明治22年年2月11日に公布され、翌年の11月29日に施行されたが、この間にその後の日本の教育や宗教政策を揺るがすような悲劇が起きていた。すなわち、大日本帝国憲法発布の式典があげられる当日に「大礼服に威儀を正して馬車を待っていた」文部大臣の森有礼が国粋主義者によって殺されたのである。

林竹二は『明治的人間』(筑摩書房)において、この暗殺事件の背景には「学制」以来の教育制度を守ろうとした伊藤博文と国粋の教育を目指した侍講元田永孚のグループとの激しい対立があったと指摘し、この暗殺により「国教的な教育」を阻止する者はなくなり、この翌年には「教育勅語」が渙発(かんぱつ)されることになったと記している。

作家の司馬遼太郎も西南戦争の後で起きた竹橋事件を鎮圧して50余名を死刑とした旧長州藩出身の山県有朋が発した「軍人訓戒」が明治15年の「軍人勅諭」につながるばかりか、さらに「明治憲法」や「教育勅語」にも影響を及ぼしていることに『翔ぶが如く』(文春文庫)でふれていたが、このあとに総理大臣となった山県有朋は「勅語」の作成に熱心でなかった第二代文部大臣の榎本武揚を退任させ、代わりに内務大臣の時の部下であった芳川顕正を起用して急がせていた。

こうして、山県内閣の下で起草され、明治天皇の名によって山県首相と芳川文部大臣に下された「教育勅語」は、大日本憲法が施行されるより前の明治23年10月30日に発布され、また島崎藤村が長編小説『破戒』で描くことになる教育事務の監督にあたる郡視学や「小学校祝日大祭日儀式規程」などを定めた第二次小学校令もそれより少し前の10月7日に公布された。

注目したいのは、宗教学者の島薗進氏が「教育勅語が発布された後は、学校での行事や集会を通じて、国家神道が国民自身の思想や生活に強く組み込まれていきました。いわば、『皇道』というものが、国民の心とからだの一部になっていったのです」と語っていることである(『愛国と信仰の構造』集英社新書)。

このように見てくるとき、「言論の自由や結社の自由、信書の秘密」など「臣民の権利」や司法の独立を認めた明治憲法が施行される前に、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」と明記された「教育勅語」を、学校行事で習得させることができるような体制ができあがっていたように思われる。

実際、明治24年1月9日に第一高等中学校の講堂で行われた教育勅語奉読式においては教員と生徒が順番に「教育勅語」の前に進み出て、天皇親筆の署名に対して「奉拝」することが求められたが、軽く礼をしただけで最敬礼をしなかったキリスト教徒の内村鑑三は、「不敬漢」という「レッテル」を貼られ退職を余儀なくされたのである。

比較文明学者の山本新が指摘しているように「不敬事件」として騒がれた内村鑑三の事件は、「大量の棄教現象」を生みだすきっかけとなり、この事件の後では「国粋主義」が台頭することになったが、同じ年に「教育勅語」の解説書『勅語衍義(えんぎ)』を出版していた東京帝国大学・文学部哲学科教授の井上哲次郎が、明治26年4月に『教育ト宗教ノ衝突』を著して改めて内村鑑三の行動を例に挙げながらキリスト教を「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」とした「教育勅語」の「国家主義」に反する反国体的宗教として激しく非難したことはこのような動きを加速させた。

私たちの視点から興味深いのは、長編小説『春』(明治41)において『文学界』の同人たちの交友や北村透谷の自殺を描いた藤村が、徳富蘇峰の『国民之友』に掲載された山路愛山の史論「頼襄(のぼる)を論ず」を厳しく批判した透谷の「人生に相渉(あいわた)るとは何の謂(いい)ぞ」と題した論文からも長い引用を行っていたことである。

島崎藤村は後に北村透谷について「彼は私達と同時代にあつて、最も高く見、遠く見た人の一人だ。そして私達のために、早くもいろいろな支度をして置いて呉れたやうな気がする」と書いているが、「尊皇攘夷の声四海に遍(あまね)かりしもの、奚(いづくん)ぞ知らん彼が教訓の結果に非るを」と、頼山陽をキリスト教の伝道師・山路愛山が書いたことを厳しく批判した透谷の論文も、その2ヶ月後におきる「教育ト宗教ノ衝突」論争をも先取りしていたようにみえる。

そして、島崎藤村も北村透谷の批判を受け継ぐかのように、日露戦争の最中に書いた長編小説『破戒』で、「教育勅語」と同時に公布された「小学令改正」により郡視学の監督下に置かれた小学校教育の状況を、明治6年に国の祝日とされた天長節の式典などをとおして詳しく描いた。

この長編小説では、ロシア帝国における人種差別の問題にも言及しながら、四民平等が宣言されたあともまだ色濃く残っていた差別の問題を鋭く描き出していることに関心が向けられることが多い。しかし、現在の「森友学園」の問題にも注意を向けるならば、「『君が代』の歌の中に、校長は御影(みえい)を奉開して、それから勅語を朗読した。万歳、万歳と人々の唱へる声は雷(らい)のやうに響き渡る。其日校長の演説は忠孝を題に取つたもので」と、「教育勅語」が学校教育に導入された後の学校行事を詳しく描き出していた長編小説『破戒』の現代的な意義は明らかだろう。

一方、自伝的な長編小説『桜の実の熟するとき』で学生時代に「日本にある基督教界の最高の知識を殆(ほと)んど網羅(もうら)した夏期学校」に参加した際に徳富蘇峰と出会ったときの感激を「京都にある基督教主義の学校を出て、政治経済教育文学の評論を興し、若い時代の青年の友として知られた平民主義者が通った」と描いていた。実際、明治19年に『将来之日本』を発行して、国権主義や軍備拡張主義を批判した言論人・徳富蘇峰は、翌年には言論団体「民友社」を設立して、月刊誌『国民之友』を発行するなど青年の期待を一身に集めていた。

しかし、『大正の青年と帝国の前途』(大正5)で蘇峰は、「教育勅語」を「国体教育主義を経典化した」ものと高く評価し、「君国の為めには、我が生命、財産、其他のあらゆるものを献ぐるの精神」の養成と応用に「国民教育の要」があると主張していた。

この長編小説が発行されたのが、第一次大戦後の大正8年であったことを考慮するならば、長編小説『桜の実の熟するとき』における「若い時代の青年の友として知られた平民主義者が通った」という描写には、権力に迎合して「帝国主義者」に変貌した蘇峰への鋭い皮肉と強い批判が感じられる。

奉安殿2(←画像をクリックで拡大できます)

(写真は『別冊一億人の昭和史 学童疎開』(1977年9月15日 毎日新聞社、56~57頁より)

司馬遼太郎は昭和初期を「別国」と呼んでいるが、大正14年に制定された治安維持法が昭和3年に改正されていっそう取り締まりが厳しくなると、学校の奉安殿建築が昭和10年頃に活発になるなど蘇峰が「国体教育主義を経典化した」ものと位置づけていた「教育勅語」の神聖化はさらに進んだ。ロシア文学にも詳しい作家の加賀乙彦氏は、この時代についてこう語っていた。

「昭和四年の大恐慌から、その後満州事変が起こり軍国主義になっていく。軍需産業が活性化して、産業資本は肥え太っていく。けれども、その時流に乗れないのは農村、山村、そして東北の人々などの…中略…草莽の人々は、昭和四年から昭和十年にかけて、どんどん置き忘れられて、結局は兵隊として役に立つしかないようになる」。

島崎藤村の大作『夜明け前』は、このように厳しい時代に書き続けられていたのである。

奉安殿(←かつて真壁小学校にあった奉安殿。図版は「ウィキペディア」より)

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「森友学園」問題と「教育勅語」の危険性――『夜明け前』論にむけて(2)

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「森友学園」問題と「教育勅語」の危険性――『夜明け前』論にむけて(4) 

「森友学園」問題と「教育勅語」の危険性――『夜明け前』論にむけて(4) 

「森友学園」をめぐっては次々と新たな疑惑が発覚している。

その一つが2月22日の国会質疑で以前から塚本幼稚園を知っていたかとの質問に、「聞いたことはありますけれど、その程度でございます」と答弁していた稲田防衛相の「教育勅語」観と「森友学園」との関係である。

「教育勅語」をめぐる問題は急に持ち上がったことではなく、内村鑑三の「不敬事件」以降、日本の近代化や宗教政策とも複雑に絡み合いながら常に存在しており、それを明治から昭和初期にかけて深く分析したのが作家の島崎藤村だったと私は考えている。

それゆえ、ここではもう少し現代の日本の政治と「教育勅語」の問題をもう少し考察しておきたい。

*   *   *

弁護士出身の稲田朋美防衛相と「森友学園」の問題がクローズアップされたのは、「保守の会」会長の松山昭彦氏が15年3月のFacebookに「塚本幼稚園の籠池園長とは今後も連絡を取り合うことにしました。ちなみに国会議員になる前の稲田朋美先生は塚本幼稚園の顧問弁護士だったそうです。驚きました」と書き込んだ投稿が見つかったことによる。

これには出典も明記されていたので、私も3月4日付けの記事で稲田氏が「顧問弁護士を努めていたことが判明した」と記した(稲田朋美・防衛相と作家・百田尚樹氏の憲法観――「森友学園」問題をとおして)

しかし、その後松山氏自身が2年前の書き込みの間違いを認めて削除した上、新たに「顧問弁護士だったのは稲田先生の旦那さんの方でした。この場を借りて訂正いたします」との書き込みをしていた。

この件については、「リテラ」(3月7日号)が「稲田と夫は同じ弁護士事務所で、政治的にも一心同体の関係。もし、稲田の夫が森友学園の顧問弁護士なら、稲田と森友学園もそれなりの関係にあったと考えるべきだろう」と書いていたが→lite-ra.com/2017/03/post-2970.html … @litera_web、菅野完氏の3月13日のインタビューと平成17年の文書によって、夫の稲田龍示氏だけでなく稲田朋美防衛相も森友学園の訴訟代理人を務めていたことが明らかなった。

しかも、この論考の第二回では2月23日の衆院予算委員会で民進党の辻元清美議員から質問された稲田氏が、「教育勅語の中の親孝行とかは良い面だ。文科省が言う、丸覚えさせることに問題があるということはどうなのかと思う。どういう教育をするかは教育機関の自由だ」と答弁していたことも紹介した。

今回の「リテラ」の記事からは、それがすでに2006年7月2日付紙面で「教育勅語 幼稚園で暗唱 大阪の2園 戸惑う保護者も 園長『愛国心はぐくむ』」と題した「東京新聞」の次のような記事への反論の延長戦上にあったことが分かった。

〈園側は「幼児期から愛国心、公共心、道徳心をはぐくむためにも教育勅語の精神が必要と確信している」と説明〉、さらに籠池理事長も「戦争にいざなった負の側面を際立たせ、正しい側面から目をそむけさせることには疑問を感じる」などと発言したことも記した同記事には、取材を受けた文部科学省幼児教育課が、「教育勅語を教えるのは適当ではない。教育要領でも園児に勅語を暗唱させることは想定していない」とコメントしたことも記載されていたが、これを厳しく批判していたのが当の稲田氏だったのである。

「リテラ」は稲田防衛相が自らほこらしげに「WiLL」(ワック)2006年10月号の新人議員座談会でこう語っていた箇所を引用している。

〈そこで文科省の方に、「教育勅語のどこがいけないのか」と聞きました。すると、「教育勅語が適当ではないのではなくて、幼稚園児に丸覚えさせる教育方法自体が適当ではないという主旨だった」と逃げたのです。/ しかし新聞の読者は、文科省が教育勅語の内容自体に反対していると理解します。今、国会で教育基本法を改正し、占領政策で失われてきた日本の道徳や価値観を取り戻そうとしている時期に、このような誤ったメッセージが国民に伝えられることは非常に問題だと思います」。

さらに「リテラ」は前述の座談会で、麻生太郎財務相が「教育勅語の内容はよいが、最後の一行がよくない」「『以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』と言ったような部分が良くない」と指摘したことを新人の稲田議員が「教育勅語は、天皇陛下が象徴するところの日本という国、民族全体のために命をかけるということだから、(略)教育勅語の精神は取り戻すべきなのではないかなと思ってるんです」と批判していたことも紹介している。

一番の問題はこの箇所だろう。なぜならば、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と記された箇所こそは、『教育勅語』を「国体教育主義を経典化した」ものと高く評価した言論人・徳富蘇峰が『大正の青年と帝国の前途』で、「君国の為めには、我が生命、財産、其他のあらゆるものを献ぐるの精神」の養成と応用に「国民教育の要」があると主張する根拠となった一節だと思えるからである。

戦時中の1942年12月には内閣情報局の指導のもとに設立された大日本言論報国会の会長となって言論統制にあたることになる蘇峰は同書において、集団のためには自分の生命をもかえりみない白蟻の勇敢さを讃えて、「我が旅順の攻撃も、蟻群の此の振舞に対しては、顔色なきが如し」と記して、作家の司馬遼太郎が『坂の上の雲』で「自殺戦術」によって兵士が「虫のように殺されてしまう」と厳しく批判した「突撃」の精神を讃えていた。

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 こうして、すでに2006年には「森友学園」の問題が指摘されており、公的な秘書が5人もついていたにもかかわらず、安倍昭恵首相夫人が2014年12月に続いて2015年9月にも「森友学園」で講演し、その教育方法を称賛して名誉校長を2017年2月24日まで引き受けていたことはきわめて問題だと思われる。

「森友学園」をめぐっては、さまざまな問題が次々と発覚するために報道もそれに追われてしまうという傾向も見られるが、徳富蘇峰の解釈に現れているように「徹底した人命軽視の思想」も秘めている「教育勅語」の重要性を強調する稲田防衛相と彼女を防衛相に任命した安倍首相の責任問題も焦点の一つであることはたしかだろう

(2017年3月13日、加筆しリンク先を追加)

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稲田朋美・防衛相と作家・百田尚樹氏の憲法観――「森友学園」問題をとおして(増補版)

菅野完(図版はアマゾンより)

新聞やテレビのニュースなどをとおして、「森友学園」問題の本質とその根の深さが徐々に明らかになってきている。

菅野完氏の『日本会議の研究』では「『生命の実相』を掲げて講演する稲田朋美・自民党政調会長(当時)」と園児たちに「愛国行進曲を唱和させる塚本幼稚園」との深い関係についてもふれられていた(221~232頁)。

さらに今日(3月4日)は、「復古」的な価値観を語る稲田朋美・防衛相が国会で、虚偽答弁の疑いのある発言をしていたことも判明したので、以下にそれに関する記事や考察を青い字で追記する。

*   *

昨年に12月に安倍首相とともにハワイの真珠湾を訪問して戦没者慰霊式典に出席していた稲田朋美防衛相は、帰国すると靖国神社に参拝して「神武天皇の偉業に立ち戻り」、「未来志向に立って」参拝したと語った。

その時は弁護士でもある稲田氏が明治の薩長政権が掲げた「王政復古」の理念の流れに沿う「神武天皇の偉業」に立ち戻ることと「未来志向」との論理的な矛盾を無視していることに驚かされた。

今度は森友学園理事長に感謝状を授与していた稲田防衛相が、2月22日の国会質疑で民進党の大西健介議員の前から塚本幼稚園を知っていたかとの質問に、「聞いたことはありますけれど、その程度でございます」と答弁していたにもかかわらず、15年3月に「保守の会」会長の松山昭彦氏がFacebookに書いた記述によっていたが顧問弁護士を努めていたことが判明した。

この後、松山氏は「顧問弁護士だったのは稲田先生の旦那さんの方でした」と訂正したが、菅野完氏の3月12日のインタビューと平成17年の文書によって、夫の稲田龍示氏だけでなく稲田朋美防衛相も森友学園の訴訟代理人を務めていたことが明らかなった。

さらに、「教育勅語」を暗唱させるだけでなく、「愛国行進曲」を唱和させていた塚本幼稚園には「思想教育」の懸念や「児童虐待」の疑惑もあった。その塚本幼稚園の3人もの教員が文部科学大臣優秀教員に認定されていたことも明らかになった。

安倍内閣ではほとんどの大臣が「日本会議国会議員懇談会」や「神道政治連盟国会議員懇談会」に所属しているが、「アッキード事件」とも呼ばれる今度の事態からは、彼らが重視しているのは「国民の意見」ではなく、「日本会議」の意向と「お友達の利権」であることが感じられる。

文部科学大臣の松野博一・衆議院議員もこれら二つの「国会議員懇談会」だけでなく、安倍首相を会長とする〈創生「日本」〉に所属している(『日本会議の全貌』花伝社、資料21頁)。

安倍首相夫妻と「日本会議大阪運営委員」である「森友学園」の籠池泰典・園長との関わりだけでなく、虚偽答弁と思われる稲田防衛相の発言や、どのような基準で文部科学大臣優秀教員に選ばれたのかをも追究する必要があるだろう。

*   *   *

稲田朋美・自民党政調会長(当時)の発言が忠実に記録されている菅野完氏のホームページhttps://hbol.jp/129132  @hboljpからは、安倍元総理(当時)との深い繫がりだけでなく、共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック株式会社、2013年)を出版していた『カエルの楽園』の作者・百田尚樹の憲法観との強い類似性も感じられる。

すなわち、「第六回東京靖国一日見真会」で稲田朋美・自民党政調会長(当時)」は、自分と主張がほとんど同じ聴衆に向かってこう語っていた。

「だいたい弁護士とか裁判所とか検察官とか特に、弁護士会ってとても左翼的な集団なんですね。なぜかというと憲法教、まぁ憲法が正しい、今の憲法が正しいと信じている憲法教という新興宗教(会場爆笑)がはびこっているんですねぇ。」(太字は菅野)

第90回帝国議会の審議を経て1946年11月3日に公布された「日本国憲法憲法」を守ろうとすることを「憲法教」と嘲笑するだけでなく、「新興宗教」とも名付けていることに驚かされるが、『カエルの楽園』の著者も2013年10月7日付のツイートでこう記していた。

「もし他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す。そして他国の軍隊の前に立ち、『こっちには9条があるぞ!立ち去れ!』と叫んでもらう。もし、9条の威力が本物なら、そこで戦争は終わる。世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる。」(太字は高橋)

広島と長崎に投下された原爆の悲劇が象徴的に物語っているように、科学技術の進歩に伴って兵器の威力も増大し、大規模な世界戦争が起きれば地球の破滅も予想されるようになっていた。そのような中で戦争を起こさないように努力することは、もはや単なる理想ではなく、現実的な要請だったと思える。

それゆえ、このような暴言を吐くことは現在ある戦争の危機から眼を背けるだけでなく、第90回帝国議会の審議にかかわったすべての政治家をも侮辱することにもなると思える。

*   *

以下に、関連記事へのリンク先を記す。

ヒトラーの思想と安倍政権――稲田朋美氏の戦争観をめぐって

安倍首相の年頭所感「日本を、世界の真ん中で輝かせる」と「安倍晋三記念小学校」問題――「日本会議」の危険性

菅野完著『日本会議の研究』と百田尚樹著『殉愛』と『永遠の0(ゼロ)』

「日本会議」の歴史観と『生命の實相』神道篇「古事記講義」

 オーウェルの『1984年』で『カエルの楽園』を読み解く――「特定秘密保護法」と監視社会の危険性

 (2017年3月4日、青い字の箇所を追加、3月8日・14日加筆

「森友学園」問題と「教育勅語」の危険性――『夜明け前』論にむけて(2)

ISBN4-903174-07-7_xl岩波新書<br> 国家神道と日本人

(図版は人文書館と紀伊國屋書店より)

「森友学園」問題と「教育勅語」の危険性――『夜明け前』論にむけて(2)

朝廷から「攘夷を進めるようにとの密勅が水戸藩に降った」のは、会沢正志斎が『新論』を書き上げてからすでに40年以上を経た時だった。そのため、「老成していた正志斎は、穏健現実派の立場から返納を主張した」(小島毅『増補靖国史観』ちくま学芸文庫、67頁)。

しかし、若い武田耕雲斎らが返納を拒絶して一八六四年に挙兵したのが、「天狗党の乱」と呼ばれることになる騒動であった。島崎藤村は「平田篤胤(あつたね)没後の門人」となった青山半蔵(自分の父・島崎正樹がモデル)を主人公とした『夜明け前』で池田屋の事件や「蛤御門の変」、さらには長州藩と「四国艦隊」との戦いなどについて簡単にふれたあとで、馬篭の宿など中山道を激しく動揺させたこの乱について詳しく記している。

長い間あこがれていた「王政復古」が達成されたあとで、かえって村民の暮らしが苦しくなったのを見て激しく苦悩した半蔵が菩提寺に放火をしかけて捕らえられ、狂人として座敷牢で亡くなるところで『夜明け前』は終わる。

研究者の相馬正一氏は、「藤村が『夜明け前』の構想を練っていた昭和2年から、これを発表しはじめた昭和4年までの日本の政情は、藤村の父正樹の生きた明治維新初期の政情と酷似している点が多い」ことに注意を促していたが、宗教学者の島薗進氏は「今の状態は、昭和10年の国体明徴運動に向かう時代の流れと似通っているように思います」とさえ語っている( http://iwj.co.jp/wj/open/archives/364520 … )。

実際、『夜明け前』の第二部が発表されたのは昭和7年であったが、その3年後にはそれまで国家公認の憲法学説であった天皇機関説が「『国体に反する』と右翼や軍部の攻撃を受け」、「東大教授の美濃部達吉は公職を追われ、著書は発禁」となっていた。安倍政権も憲法学者の樋口陽一氏や小林節氏などの指摘を無視して「安全保障関連法案」を強行採決していたのである。

*   *   *

2月28日の「こちら特報部」では、文部科学省幼児教育課や同省私学行政課の回答が歯切れが悪く及び腰であることも指摘していたが、注目したいのはその回答が森友学園理事長への感謝状の問題点を認識して、「取り消しを検討」との報道された稲田防衛相が語っていた次のような言葉ときわめて似ていることである。

「教育勅語の中の親孝行とかは良い面だ。文科省が言う、丸覚えさせることに問題があるということはどうなのかと思う。どういう教育をするかは教育機関の自由だ」。

しかし、「国体」概念の成立経過などを考慮するならば、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」と記されているだけでなく、臣民の忠孝を「国体ノ精華」とした「教育勅語」の文言には、「尊王攘夷」の思想が色濃く反映されていると思われる

「こちら特報部」の記事は「教育勅語(教育二関スル勅語)」の「学校への配布や礼拝、奉読が進むにつれ、「御真影」(天皇、皇后両陛下の写真)とともに「奉安殿」と呼ばれる立体物に保管されるなど神聖化され、軍国主義教育の要となった」ことも紹介している。

それゆえ、憲法学者の小林節氏が指摘しているように、「教育勅語の最後は『国に危機が迫ったら、国のために力を尽くし皇室の運命を支えなさい』と結ばれている。違憲のはずの教育勅語を教育の中心に据えようとする学校が、認可の手続きに乗っていること自体が問題だ」と思える。

奉安殿(図版は「ウィキペディア」より)

「教育基本法」に明らかに反した教育を行っていると思われるこの「幼稚園」からは3人もの教員が文部科学大臣優秀教員に認定されていたことも明らかになった。

【国有地払い下げ】問題だけでなく、「教育勅語」を暗唱させているような幼稚園の教員のどこが評価されて、文部科学大臣優秀教員に選ばれたのかも明らかにする必要があるだろう。

安倍首相の年頭所感「日本を、世界の真ん中で輝かせる」と「安倍晋三記念小学校」問題――「日本会議」の危険性

(2017年3月2日、青い字の部分を追加し、その前後を変更)

「森友学園」問題と「教育勅語」の危険性――『夜明け前』論にむけて(1)

安倍首相夫人の挨拶(写真はネット情報より)

「東京新聞」の「こちら特報部」は、2月21日の記事でHPに掲載された安倍夫人の挨拶や、手紙、寄付の払い込み取扱書などの写真を掲載するとともに、「幼稚園では『教育勅語』 差別問題も」「保護者『軍国』じみている」などの見出しで「森友学園」への【国有地払い下げ】問題を特集していました。

2月26日の朝刊でも、「『親学』こそ源流」との見出しで、「親学推進議員連盟」の初代会長を務めた安倍首相により、「戦時家庭教育指導要綱」と似ている「家庭教育支援法案」が党内の了承手続きを終えたことの危険性が「森友学園」問題との関連で指摘されていました。

そして、今日(2月28日)の「こちら特報部」(25面)では、「否定された軍国主義の要」である『教育勅語』を教育の中心に据えようとする「森友学園」の問題を特集し、安倍首相夫人が2015年5月の講演で、「教育方針は大変主人も素晴らしいと思っている」と褒め称えていたことなどを紹介するととともに、憲法学者・小林節氏の「公教育では『違憲』認可論外」との見解を紹介していました。

「森友学園」問題と「教育勅語」の問題を分析したこの記事は、戦前の日本における教育現場を分かり易く視覚的に再現したような「森友学園」問題の根幹に迫っていると思えます。

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この記事は「森友学園」が計画する小学校では、「教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成」を目的としているが、このような教育方針は戦前の価値観の復活をめざす「日本会議」の方針とまったく重なっていると言えよう。

なぜならば、島薗進氏が指摘しているように、「教育勅語」では「父母への孝行、夫婦の和、博愛、義勇奉公など十二の項目が列挙されて」おり、「儒教の徳目に対応するような、ある程度の普遍性をもつ道徳規範」も記されているが、「始まりと終わりの部分で天皇と臣民の間の紐帯、その神的な由来、また臣民の側の神聖な義務について」述べられているという構造を持っているからである(『国家神道と日本人』岩波新書)。

教育勅語

(図版は「ウィキペディア」より、クリックで拡大できます)

「教育勅語」では、臣民の忠孝が「国体の精華」とたたえられているが、「国体」という概念は、「神武創業ノ始」からあるものではなく、「会沢正志斎が『新論』の第一部に「国体」という篇名をつけ、日本の政体のあるべき姿」を論じたことに由来していた(小島毅『増補靖国史観』ちくま学芸文庫、38頁)。

靖国史観(図版は紀伊國屋書店より)

しかも、『新論』が刊行された翌年の一八五七年に朝廷から「攘夷を進めるようにとの密勅が水戸藩に降った」ことから、「国体」という概念は幕末の「尊王攘夷」のイデオロギーとの強い結びつきも持つようになり、「神の意を奉じる天皇の軍隊」が行う戦争は、「聖戦」と位置づけられるようになったのである(同書、65~67頁)。