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新しい歴史教科書をつくる会

『「諸君!」「正論」の研究』を読む(3)――清水幾太郎の核武装論と「日本会議」

上丸洋一(図版はアマゾンより)

三、清水幾太郎の核武装論と「日本会議」

「日本核武装論――清水幾多郎と西村真悟の間」と題された第三章では、1960年には「日米安保条約改定反対運動をリードした」社会学者・清水幾多郎が、1980年に『諸君!』7月号に載せた論文「核の選択」とそれについての反響が紹介されている。

その第一部「日本よ国家たれ」で「国家の本質は軍事力である」と書いた清水は、「世界はすでに核兵器という平面にのぼってしまっている」とし、「被爆国」の「日本こそが真先に核兵器を製造し所有する特権を有している」と記したのである(85~86)。

さらに「自衛隊の元最高幹部といっしょに組織」していた「軍事科学研究会」の名で書かれていた第二部では、「ソ連の脅威が強調され」、「航空・海上・陸上各方面の大幅な軍事増強」を提案していた。

興味深いのはこの論文が『諸君!』に掲載される経緯を清水自身が10月号で書いており、自費で3000部出版した「核の選択」を防衛庁長官と同庁幹部に送っただけでなく、右派団体の日本青年協議会にも2000部を送っていたと明らかにしていたことである(87)。

なぜならば、菅野完が『日本会議の研究』で明らかにしたように、学生運動で左翼と激しく戦った右翼の学生組織を母体とした「日本青年協議会」は現在、安倍政権を支える「日本会議」の「中核」となっており(同書、87頁)、かつては「日本の核武装をも検討すべき」と主張していた稲田朋美氏が防衛相に任命されているからである。

1960年には「反戦・平和の旗を掲げていた」清水の変貌に対しては「猪木正道、野坂昭如などさまざまな立場の知識人が反論」を書き、作家の山口瞳も清水の言説を「デマゴギー」と批判し、その頃はまだ「日本の核武装について総じて否定的な姿勢をとってきた」雑誌『正論』も、翌年には清水には「思想的主体」がないと批判した松本健一の論文などを集めた特集を組んでいた(91~92頁)。

軍事に関しては素人なので専門的な考察はできないが、広島や長崎での「被爆」だけでなく、広島型原爆の1000倍もの威力を持つ水爆ブラボーの実験で被爆した「第五福竜丸」事件だけでなく、前年の1979年にはアメリカでスリーマイル島原発事故が起きていた。

拙著『ゴジラの哀しみ――映画《ゴジラ》から映画《永遠の0(ゼロ)》へ』の第一部では映画《ゴジラ》や《生きものの記録》などポピュラー文化との関連に注意を払いながら、「日本人の核意識の変化」について考察したが、水爆実験や原発事故なども踏まえて総合的に判断するならば、清水的な政策は19世紀には有効でありえたかもしれないが、核の時代にはむしろきわめて危険な思想に見える。

地殻変動によって国土が形成されて今も地震や火山の噴火が続いている日本においては、核兵器ばかりでなく、核エネルギーの危険性に対する認識の深まりと世界に反核の流れを作り出すことこそが、日本人の本当の意味での「安全保障」につがると思える。

一方、清水はすでに1963年に『中央公論』に論文を発表して、時代の変化に応じた「新しい歴史観」の必要性を唱えていたが(90)、「核武装の必要性」が声高に論じられて戦争の危機が煽られたことで、日本が行った「大東亜戦争」の評価などにも強い影響を及ぼしたようだ。

「空想と歴史認識」と名付けられた第9章で詳しく論じられているように、徐々に復古的な思想が強まる中で、文藝春秋の社長・池島信平が高く評価していた気骨のある歴史学者・林健太郎(1913~2004)は、1994年には雑誌『正論』誌上で「大東亜戦争は解放戦争だった」と主張する「日本会議」の小田村四郎や小堀桂一郎に「侵略戦争だった」との反論を行い、さらに「解放戦争」論者の中村粲(あきら)とも論争していた(380~388)

しかし、「新しい歴史教科書をつくる会」が活動を始めた1996、97年ごろから『諸君!』『正論』両誌の論文では、「反日」という言葉やレッテルをはりつけることが目立つようになったと指摘した著者は、1997年3月に「『自虐史観』を超えて」というテーマで開かれた「自由主義史観」を唱える「新しい歴史教科書をつくる会」の設立記念シンポジウムの模様を「完全収録」した『正論』は、その後は「つくる会の機関誌の様相」を呈するようになったと記している(389頁)。

本書の第2章では、「事実」を「報道」する新聞社でありながら、「産経新聞社には社史がない」ばかりでなく、「縮刷版もない」ことが指摘されていた。1962年の社説で「古い価値体系はくずれさり」と書いていたこの新聞の変質の一因は、「歴史」の軽視によるものであると思える。

1999年に「日本の核武装を国会で議論すべきだ」という発言を行った西村真悟が防衛政務次官を更迭されると産経新聞と『正論』はさらに復古的な論調を強めることとなった。

すなわち、西村真悟の発言に対しては自民党首脳だけでなく、朝日、毎日、読売の各紙も厳しい批判をしたが、産経新聞は「引責責任はやむを得ない」としながらも「憂国の思い」への理解を示した。西村を擁護した『諸君!』と『正論』の両誌は、「さらに熱心に西村を誌上に登場」させたのである(99~100)。

著者は2002年の「阿南大使、腹を切れ! 今こそ興起せよ、大和魂」など「『諸君!』に掲載された一連の対談の過激な題名を挙げているが、2008年に日本の国防を担う航空自衛隊制服組のトップにいた元航空幕僚長・田母神俊雄が「日本は侵略国家であったか」と題する論文で、「日本軍の軍紀が他国に比較して」も「厳正であった」などと書いたことが原因で更迭される波紋は『諸君!』『正論』両誌の論調にも及んだ。

著者によれば、この問題に対する「姿勢は対照的」であり、「「『諸君!』が田母神の主張を相対化してとらえ」、「田母神から距離をおいた」のに対し、『正論』は「田母神を全面的に擁護」していた(370)。

たとえば、2009年4月号の『諸君!』は、ニーチェの専門家でもある「新しい歴史教科書をつくる会」の西尾幹二が「彼の論文には一種の文学的な説得力もある。細かいことはどうでもいいんでね」と弁護したことに対して、対談者の現代史家・秦郁彦が「やはり、そうはいかんのですよ。田母神さんは私の著書からも引用しているが、趣旨をまったく逆に取り違えている」と厳しい批判をしていたことももきちんと掲載していた。

一方、『正論』は問題となった田母神の受賞論文をそのまま載せるとともに「朝日新聞の恐るべきダブルスタンダード」と題した論文で、「『思想』そのものを問題とし罷免にまで追い込むことになれば、これは明らかに、『思想信条の自由』の侵害であり、憲法違反である」と記した日本会議の常任理事で憲法学者・百地章の論文を載せていた(370)。

しかし、その批判は権力を振りかざして「電波停止」発言をして、「報道の自由」を脅かした高市総務相にこそ当てはまると思える。『正論』の読者投稿欄でデビューした稲田朋美・防衛相も、2005年の演説では「売国奴」という「憎悪表現」を用いて朝日新聞社を壇上から非難したが(第8章「朝日新聞批判の構造」)、その翌年に小説『永遠の0(ゼロ)』でデビューした百田尚樹も小説において新聞記者の高山をあからさまに貶し、後に安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(ワック、2013年)に収められた対談ではそれが朝日新聞の記者であると明かしていた。

拙著『ゴジラの哀しみ』では、『永遠の0(ゼロ)』の思想的骨格には「自由主義史観」からの影響が強く見られることを具体的に示したが、その百田は田母神俊雄が2014年都知事選に出馬すると、NHK経営委員という立場でありながら複数回にわたって応援演説を行い、「この人は男だ」、「本当にすばらしい歴史観、国家観をおもちです」などと大絶賛したのである。

「カリスマの残影」と題された第7章「岸信介と安倍晋三を結ぶもの」では、『諸君!』や『正論』と安倍首相との関わりだけでなく岸元首相の「大東亜戦争観」が分析されており、『永遠の0(ゼロ)』で描かれている義理の祖父・大石と孫・健太郎との関係に注目しながら、この小説を読み解いていた私にとってことに興味深かった。

結語

以上、司馬遼太郎の研究者の視点から本書を読み解いてみた。できれば『諸君!』『正論』両誌における原発問題についての論文にもふれてもらいたかったが、政治史にはうとかった私にとっては両誌の論調の変遷をたどる過程で「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本会議」との関係にもふれられている本書からは多くのことを知ることができた。

本書の第4章では「靖国神社と東京裁判」が、第5章では「A級戦犯合祀」などの重たい問題が考察された後で、第6章「永遠の敵を求めて」では論争のパターンが分析されている。それらは「国家神道」の問題とも深く関わるので機会を改めて考察したい。

 

安倍政権のTPP法案・強行採決と『竜馬がゆく』における竜馬の農民観―― 「神国思想」と「公地公民」制の批判

ISBN978-4-903174-23-5_xl

「神国思想は明治になってからもなお脈々と生き続けて熊本で神風連(じんぷうれん)の騒ぎをおこし国定国史教科書の史観となり、…中略…その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」(司馬遼太郎『竜馬がゆく』文春文庫、第3巻「勝海舟」より)。

*   *   *

安倍氏が国会で「わが党においては結党以来、強行採決をしようと考えたことはない」と答弁していたにもかかわらず、昨日、またも安倍政権によりTPP法案の強行採決が行われました。

このニュース報道を受けて、早速、「国民の健康も不安も無視する安倍政権の戦前的な価値観」とのコメントをツイッターに載せたのに続いて、下記の文章とその理由を説明した文を掲載しました。

「農業や医薬、ISDS条項など、国民の生命や安全を犠牲にしてTPPの国会成立を急ぐ安倍政権と自公両党。責任者の甘利元大臣の証言がなく、資料が黒塗りでは議論にならないのは明白。安倍氏に仕える自公の議員の姿は、律令制度の頃の官僚に似ている」。

〈なぜならば、明治維新で成立した薩長藩閥政府が理想視していたのは、律令時代の太政官制度でしたが、司馬氏の言葉を借りれば律令制度の頃の「公地公民」という用語の「公」とは「公家(くげ)」という概念に即したものであり、その制度も「京の公家(天皇とその血族官僚)が、『公田』に『公民』を縛りつけ、収穫を国衙経由で京へ送らせることによって成立していた」からです(司馬遼太郎、「潟のみち」より〉。

残念ながら、司馬氏の文明史家ともいえる広い視野は「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本会議」などの論客による「褒め殺し」とも呼べるような一方的な解釈によって、いちじるしく矮小化され歪められてしまいました。

そのような解釈の顕著な例が、明治7年の台湾出兵や明治10年の西南戦争などで巨万の富を得て、三菱財閥を創業した政商・岩崎弥太郎を「語り手」としたNHKの《龍馬伝》(2010)でしょう。

安倍氏や「日本会議」などの論客からの強い要請によって放映されたと思われるこの大河ドラマは《龍馬伝》という題名に反して、「むしろ旗」を掲げて「尊王攘夷」というイデオロギーを叫んでいた幕末の宗教的な人々を情念的に美しく描いていたのです。

大河ドラマ《龍馬伝》の再放送とナショナリズムの危険性

大河ドラマ《龍馬伝》と「武器輸出三原則」の見直し

一方、司馬氏は『竜馬がゆく』の「勝海舟」の章で坂本竜馬についてこう記していました。

「たしかにこの宗教的攘夷論は幕末を動かしたエネルギーではあったが、しかし、ここに奇妙なことがある。/攘夷論者のなかには、そういう宗教色をもたない一群があった。長州の桂小五郎、薩摩の大久保一蔵(利通)、西郷吉之助、そして坂本竜馬である。」

そして、『竜馬がゆく』では当時の日本や世界の政治状況にもふれながら、勝海舟と出会った後の竜馬の視野の広がりと「文明論者」とも呼べるような思想の深まりが描かれていたのです。

それゆえ、ここでは拙著『「竜馬」という日本人――司馬遼太郎が描いたこと』(人文書館、2009年)より、「公地公民」制などについて考察した「”開墾百姓の子孫”」と題した第2節の一部(120~121頁)を引用することで、司馬氏の農政観の一端を記しておきます。

*   *   *

”古き世を打ち破る”   

竜馬と庄屋の息子である中岡慎太郎との出会いを描いたこのシーンは、商才が強調されることの多い坂本竜馬の農民観を推測する上でも重要だろう。

すなわち竜馬が商人的な「利」の視点を持っていたことはよく知られているが、司馬は武士が「その家系を誇示する」時代にあって、竜馬に自分は「長岡藩才谷村の開墾百姓の子孫じゃ。土地をふやし金をふやし、郷士の株を買った。働き者の子孫よ」とも語らせているのである(四・「片袖」)。

ここで竜馬が自分を「開墾百姓の子孫」と認識していることの意味はきわめて重いと思われる。なぜならば、「公地公民」という用語の「公とは明治以後の西洋輸入の概念の社会ということではなく、『公家(くげ)』という概念に即した公」であったことを明らかにした司馬が、鎌倉幕府成立の歴史的な意義を高く評価しているからである(「潟のみち」『信州佐久平みち、潟のみちほか』)*12。

すなわち、司馬によれば「公地公民」とは、「具体的には京の公家(天皇とその血族官僚)が、『公田』に『公民』を縛りつけ、収穫を国衙経由で京へ送らせることによって成立していた制度」だったのである。そして、このような境遇をきらい「関東などに流れて原野をひらき、農場主になった」者たちが、「自分たちの土地所有の権利を安定」させるために頼朝を押し立てて成立させたのが鎌倉幕府だったのである。

しかも『箱根の坂』(一九八二~三)ではさらに、「諸国を管理するのに守護や地頭を置いた」鎌倉幕府や室町幕府について、「個々の農民からいえば、かれが隷属している地頭との間のタテ関係しか持てなかった」と記した司馬は、主人公の北条早雲に「日本の支配層は支配層のためにのみ互いに争うのみで、農民(たみ)のために思った政治をなした者は一人もおりませぬ」とも語らせている(中・「富士が嶺」)*13。

それゆえ、司馬は応仁・文明の乱(一四六七~七七)によって、世が乱れ、農民(たみ)が苦しむのを見た早雲に、「わしは、坂を越えて小田原」に入り、「古き世を打ち破る」と語らせていた。そして、「単に坂といえば箱根峠のことである」と続けた司馬は、「年貢は、十(とお)のうち四」という低い税率の「伊豆方式」を発した早雲が、守護や地頭などの「中間搾取機構を廃した」ことの意義を強調したのである(下・「坂を越ゆ」)。

こうして、「農業経営の知識」が深く、「十二郷の百姓どもの百姓頭になり、この地を駿河では格別な地にしたい」と思った北条早雲が、「民政主義をかかげて」室町体制を打ちやぶったことを、「日本の社会史にとって」は、「革命とよんでもいい」と高く評価した司馬は、「江戸期に善政をしいたといわれる大名でも、小田原における北条氏にはおよばないという評価がある」と続けていた(下・「あとがき」)。

このような大地とのつながりを重視する農民的な視点は、商才にも富んでいた竜馬が、なぜ武力討幕の機運が高まった際に、武器を調達することで大儲けをすることができる絶好の機会である戦争を忌避して、「時勢」に逆らうことが自分の生命を脅かすことになることを知りつつも、幕府が自ら政権を朝廷に返上する「大政奉還」という和平案を提出したかのを理解するうえでも重要だろう。

*   *   *

なお、『箱根の坂』における農政問題に対する認識の深まりは、日露戦争をクライマックスとする長編小説『坂の上の雲』を書く中で、ロシアのコサックと日本の鎌倉武士とを比較しながら、専制国家・ロシアにおける「農奴制」の問題を考察した結果だと思えます。

上からの近代化を強行に推し進めた帝政ロシアは「富国強兵」には成功し、皇帝と一部の貴族は莫大な富を得ました。しかし、特権化した貴族や近代化のために増大した人頭税のために、人口の大部分を占め、それまでは自立していた農民は、権利を奪われ生活が貧しくなって「農奴」と呼ばれるような存在へと落ちぶれ、逃亡した農民の一部はコサックとなったのです。

それゆえ、『坂の上の雲』を書き終えた後で、司馬遼太郎氏は「私は、当時のロシア農民の場からロシア革命を大きく評価するものです」と書き、「帝政末期のロシアは、農奴にとってとても住めた国ではなかったのです」と続けていたのです(「ロシアの特異性について」『ロシアについてーー北方の原形』文春文庫)。

(2016年11月7日、青い字の箇所を追加)

「原水爆実験と原発事故」、および「ナショナリズムと歴史認識」の問題を考察した『ゴジラの哀しみ』関連年表を掲載

ようやく、『ゴジラの哀しみ』関連年表を作成しましたので、「年表とブログ・タイトル一覧」の頁に、これまでの年表8「核兵器・原発事故と終末時計」 (1945~2015)と差し替えて掲載します。

最初の案では映画《ゴジラ》関係の映画と原爆・原発事故のみに焦点を絞って、日本への原子爆弾投下から二年後の一九四七年にアメリカの科学誌『原子力科学者会報』の表紙絵で示された世界終末時計の時刻とともに記すというものでした。

それゆえ、小説『永遠の0(ゼロ)』を論じた第二部や、宮崎駿氏のアニメ映画と黒澤明の映画との関係を中心に論じた第三部をうまく年表に組み合わせることができるか少し心配でしたが、何とかまとめることができたように感じています。

年表には二つの大きな山場となる年代があります。最初は一九五四年にビキニ環礁で行われた水爆「ブラボー」の実験で「第五福竜丸」などが被爆した年の一一月に公開された映画《ゴジラ》が大ヒットしたのに対して、黒澤映画《七人の侍》がヒットしていたにもかかわらず翌年に公開された映画《生きものの記録》が、興行的には大失敗に終わる流れです。

次は国民的作家と呼ばれた司馬遼太郎が亡くなった後で起きた一九九六年の「司馬史観」論争から一九九七年には「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本会議」が設立される一方で、アニメ映画《もののけ姫》が公開され、小説『少年H』が発行されるという経過です。

この二つの山場に注目しながら、拙著を読んで頂ければ、二〇一三年以降の政治や文化の流れも理解しやすくなると思われます。

年表の開始を何年からにしようかと迷いましたが、日露戦争などについては拙著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』(成文社)の巻末に収録した年表でふれていましたので、二・二六事件が起きた一九三六年を年表開始の年にしました。

この年には堀辰雄が『風立ちぬ』の執筆を開始し、堀越二郎の九試単座戦闘機が採用になっていたたばかりでなく、映画《ゴジラ》の本多猪四郎監督も二・二六事件を引き起こした陸軍第一師団第一連隊五中隊に所属していたために、三度も懲罰的な徴兵をされることになっていました。鼎談『時代の風音』で宮崎氏や司馬遼太郎と対談した作家・堀田善衛の長編小説『若き日の詩人たちの肖像』でも、主人公の青年が大学受験のために上京した日に二・二六事件に遭遇したことも描かれていました。

核エネルギーの視点から、原水爆の実験や原発事故に注目しながら映画《ゴジラ》から《シン・ゴジラ》に至る流れだけでなく、さらにはナショナリズムと歴史認識の問題にも踏み込んだこの年表が、核エネルギーの問題の深刻さとその克服の必要性の理解に役立てば幸いです。

(2016年10月24日。題名を変更)

リンク→年表8、『ゴジラの哀しみ』関連年表(1936~2016)

ヒトラーの思想と安倍政権――稲田朋美氏の戦争観をめぐって

稲田朋美氏の戦争観について記した8月2日のツイートへのリツイートが一日で500に、「いいね」も162に達したのは安倍内閣への不安の現れでしょう。さらに、「これどこかで聞いたなと思ったらオウム真理教がまったく同じ事言ってたよな。オウムはダメでこれはいいのか?」という質問も来ていました。

このことを受けて昨日は、ナチスの思想と稲田朋美氏の戦争観を比較する記事をツイッターに書きましたので、ここではその増補版を掲載します。

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私が稲田氏の発言に関心を抱いたのは、「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」という表現が、『わが闘争』において、「闘争は種の健全さと抵抗力を促進する手段なのであり、したがってその種の進化の原因でありつづける」と主張していたヒトラーの言葉を思い起こさせたからです。

それは稲田氏ばかりではありません。麻生副総理も憲法改正論に関してナチス政権の「手口」を学んだらどうかと発言して問題になっていましたが、明治政府は新しい国家の建設に際しては、軍国主義をとって普仏戦争に勝利したプロイセンの政治手法にならって内務省を設置していました。

その内務省の伝統を受け継ぐ「総務省」の大臣となり「電波停止」発言をした高市早苗氏も、1994年には『ヒトラー選挙戦略現代選挙必勝のバイブル』に推薦文を寄せていました。

かつて、私は教養科目の一環として行っていた『罪と罰』の講義でヒトラーの「権力欲」と大衆の「服従欲」を考察した社会心理学者フロムの『自由からの逃走』にも言及しながら、高利貸しの老婆の殺害を正当化した主人公の「非凡人の理論」とヒトラーの「非凡民族の理論」との類似性と危険性を指摘していました。

10数年ほど前から授業でもヒトラーを讃美する学生のレポートが増えてきてことに驚いたのですが、それは『ヒトラー選挙戦略現代選挙必勝のバイブル』に推薦文載せた高市氏などが自民党で力を付け、その考えが徐々に若者にも浸透し始めていたからでしょう。

本間龍氏は『原発プロパガンダ』で「宣伝を正しく利用するとどれほど巨大な効果を収めうるかということを、人々は戦争の間にはじめて理解した」というヒトラーの言葉を引用しています。

ヒトラーが理解した宣伝の効果を「八紘一宇」「五族協和」などの美しい理念を謳い上げつつ厳しい情報統制を行っていた東条内閣の閣僚たちだけでなく、「景気回復、この道しかない」などのスローガンを掲げる安倍内閣もよく理解していると思われます。

安倍首相も「新しい歴史教科書をつくる会」などの主張と同じように「日露戦争」の勝利を讃美していましたが、それも自国民の優秀さを示すものとして普仏戦争の勝利を強調していたヒトラーの『わが闘争』の一節を思い起こさせるのです。

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さて、昭和16年に谷口雅春氏が書いた『生命の実相』の「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」という表現からは、『わが闘争』の「闘争は種の健全さと抵抗力を促進する手段なのであり、したがってその種の進化の原因でありつづける」という記述が思い浮かびます。

ダーウィンの「進化論」を人間社会にも応用した「社会ダーウィニズム」は、科学的な世界観として19世紀の西欧で受け入れられたのですが、「進化」の名の下に「弱肉強食の思想」や経済的な「適者生存」の考え方を受け入れ、奴隷制や農奴制をも正当化していたのです。

たとえば、ピーサレフとともにロシアでダーウィンの説を擁護したザイツェフは一八六四年に記事を発表し、そこで「自然界において生存競争は進歩の推進機関であるから、それは社会的にも有益なものであるにちがいない」と主張し、有色人種を白人種が支配する奴隷制を讃えていたのです。

クリミア戦争後の混乱した社会を背景に「弱肉強食の思想」を理論化した「非凡人の理論」を生み出した主人公が、高利貸しの老婆を「悪人」と規定して殺害するまでとその後の苦悩を描いたドストエフスキーの長編小説『罪と罰』は、ヒトラーの「非凡民族の理論」の危険性を予告していました。

すなわち、ヒトラーは『わが闘争』において「非凡人」の理論を民族にも当てはめ、「人種の価値に優劣の差異があることを認め、そしてこうした認識から、この宇宙を支配している永遠の意志にしたがって、優者、強者の勝利を推進し、劣者や弱者の従属を要求するのが義務である」と高らかに主張したのです。

社会心理学者のフロムはヒトラーが世界を「弱肉強食の戦い」と捉えたことが、ユダヤ人の虐殺にも繋がっていることを示唆していました。

考えさせられたのは、日本でも障害者の施設を襲って19人を殺害した植松容疑者のことを、自民党のネット応援部隊が擁護して「障がい者は死んだほうがいい」などとネットで書いたとの記述がツイッターに載っていたことです。この記事を読んだときに連想したのが、ユダヤ人だけでなくスラヴ人への偏見も根強く持っていたナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の考え方です。

すでにハフィントンポスト紙は2014年9月12日の記事で、「高市早苗総務相と自民党の稲田朋美政調会長と右翼団体『国家社会主義日本労働者党』代表の2ショット写真」が、「日本政府の国際的な評判を一気に落としてしまった」と指摘していました。

「内務省」を重視した戦前の日本は、過酷な戦争にも従順に従う国民を教育することを重視して国民の統制を強める一方で、外国に対して自国の考え方を発信して共感を得ようとするのではなく、考えを隠したことで外国からは疑われる事態を招き、国際的な緊張が高まり、ついに戦争にまでいたりました。

自分自身だけでなく、安倍内閣の重要な閣僚による「政治的公平性」が疑われるような発言が繰り返される中で、情報を外国にも発信すべき高市総務相が「電波停止」発言をしただけでなく、政権による報道への圧力の問題を調査した国連報道者のデビット・ケイ氏からの度重なる会見の要求を拒んだ高市氏が、一方で「国家神道」的な行事に出席することは国際社会からは「政治的公平性」を欠くように見えるでしょう。

最後に死後に起きた「司馬史観」論争において「新しい歴史教科書をつくる会」などの主張によって矮小化されてしまった作家・司馬遼太郎氏の言葉を引用しておきます。

「われわれはヒトラーやムッソリーニを欧米人なみにののしっているが、そのヒトラーやムッソリーニすら持たずにおなじことをやった昭和前期の日本というもののおろかしさを考えたことがあるだろうか」(「『坂の上の雲』を書き終えて」)。

(2016年10月1日、一部訂正)