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島薗進

「森友学園」問題と「教育勅語」の危険性――『夜明け前』論にむけて(2)

ISBN4-903174-07-7_xl岩波新書<br> 国家神道と日本人

(図版は人文書館と紀伊國屋書店より)

「森友学園」問題と「教育勅語」の危険性――『夜明け前』論にむけて(2)

朝廷から「攘夷を進めるようにとの密勅が水戸藩に降った」のは、会沢正志斎が『新論』を書き上げてからすでに40年以上を経た時だった。そのため、「老成していた正志斎は、穏健現実派の立場から返納を主張した」(小島毅『増補靖国史観』ちくま学芸文庫、67頁)。

しかし、若い武田耕雲斎らが返納を拒絶して一八六四年に挙兵したのが、「天狗党の乱」と呼ばれることになる騒動であった。島崎藤村は「平田篤胤(あつたね)没後の門人」となった青山半蔵(自分の父・島崎正樹がモデル)を主人公とした『夜明け前』で池田屋の事件や「蛤御門の変」、さらには長州藩と「四国艦隊」との戦いなどについて簡単にふれたあとで、馬篭の宿など中山道を激しく動揺させたこの乱について詳しく記している。

長い間あこがれていた「王政復古」が達成されたあとで、かえって村民の暮らしが苦しくなったのを見て激しく苦悩した半蔵が菩提寺に放火をしかけて捕らえられ、狂人として座敷牢で亡くなるところで『夜明け前』は終わる。

研究者の相馬正一氏は、「藤村が『夜明け前』の構想を練っていた昭和2年から、これを発表しはじめた昭和4年までの日本の政情は、藤村の父正樹の生きた明治維新初期の政情と酷似している点が多い」ことに注意を促していたが、宗教学者の島薗進氏は「今の状態は、昭和10年の国体明徴運動に向かう時代の流れと似通っているように思います」とさえ語っている( http://iwj.co.jp/wj/open/archives/364520 … )。

実際、『夜明け前』の第二部が発表されたのは昭和7年であったが、その3年後にはそれまで国家公認の憲法学説であった天皇機関説が「『国体に反する』と右翼や軍部の攻撃を受け」、「東大教授の美濃部達吉は公職を追われ、著書は発禁」となっていた。安倍政権も憲法学者の樋口陽一氏や小林節氏などの指摘を無視して「安全保障関連法案」を強行採決していたのである。

*   *   *

2月28日の「こちら特報部」では、文部科学省幼児教育課や同省私学行政課の回答が歯切れが悪く及び腰であることも指摘していたが、注目したいのはその回答が森友学園理事長への感謝状の問題点を認識して、「取り消しを検討」との報道された稲田防衛相が語っていた次のような言葉ときわめて似ていることである。

「教育勅語の中の親孝行とかは良い面だ。文科省が言う、丸覚えさせることに問題があるということはどうなのかと思う。どういう教育をするかは教育機関の自由だ」。

しかし、「国体」概念の成立経過などを考慮するならば、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」と記されているだけでなく、臣民の忠孝を「国体ノ精華」とした「教育勅語」の文言には、「尊王攘夷」の思想が色濃く反映されていると思われる

「こちら特報部」の記事は「教育勅語(教育二関スル勅語)」の「学校への配布や礼拝、奉読が進むにつれ、「御真影」(天皇、皇后両陛下の写真)とともに「奉安殿」と呼ばれる立体物に保管されるなど神聖化され、軍国主義教育の要となった」ことも紹介している。

それゆえ、憲法学者の小林節氏が指摘しているように、「教育勅語の最後は『国に危機が迫ったら、国のために力を尽くし皇室の運命を支えなさい』と結ばれている。違憲のはずの教育勅語を教育の中心に据えようとする学校が、認可の手続きに乗っていること自体が問題だ」と思える。

奉安殿(図版は「ウィキペディア」より)

「教育基本法」に明らかに反した教育を行っていると思われるこの「幼稚園」からは3人もの教員が文部科学大臣優秀教員に認定されていたことも明らかになった。

【国有地払い下げ】問題だけでなく、「教育勅語」を暗唱させているような幼稚園の教員のどこが評価されて、文部科学大臣優秀教員に選ばれたのかも明らかにする必要があるだろう。

安倍首相の年頭所感「日本を、世界の真ん中で輝かせる」と「安倍晋三記念小学校」問題――「日本会議」の危険性

(2017年3月2日、青い字の部分を追加し、その前後を変更)

「森友学園」問題と「教育勅語」の危険性――『夜明け前』論にむけて(1)

安倍首相夫人の挨拶(写真はネット情報より)

「東京新聞」の「こちら特報部」は、2月21日の記事でHPに掲載された安倍夫人の挨拶や、手紙、寄付の払い込み取扱書などの写真を掲載するとともに、「幼稚園では『教育勅語』 差別問題も」「保護者『軍国』じみている」などの見出しで「森友学園」への【国有地払い下げ】問題を特集していました。

2月26日の朝刊でも、「『親学』こそ源流」との見出しで、「親学推進議員連盟」の初代会長を務めた安倍首相により、「戦時家庭教育指導要綱」と似ている「家庭教育支援法案」が党内の了承手続きを終えたことの危険性が「森友学園」問題との関連で指摘されていました。

そして、今日(2月28日)の「こちら特報部」(25面)では、「否定された軍国主義の要」である『教育勅語』を教育の中心に据えようとする「森友学園」の問題を特集し、安倍首相夫人が2015年5月の講演で、「教育方針は大変主人も素晴らしいと思っている」と褒め称えていたことなどを紹介するととともに、憲法学者・小林節氏の「公教育では『違憲』認可論外」との見解を紹介していました。

「森友学園」問題と「教育勅語」の問題を分析したこの記事は、戦前の日本における教育現場を分かり易く視覚的に再現したような「森友学園」問題の根幹に迫っていると思えます。

*   *   *

この記事は「森友学園」が計画する小学校では、「教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成」を目的としているが、このような教育方針は戦前の価値観の復活をめざす「日本会議」の方針とまったく重なっていると言えよう。

なぜならば、島薗進氏が指摘しているように、「教育勅語」では「父母への孝行、夫婦の和、博愛、義勇奉公など十二の項目が列挙されて」おり、「儒教の徳目に対応するような、ある程度の普遍性をもつ道徳規範」も記されているが、「始まりと終わりの部分で天皇と臣民の間の紐帯、その神的な由来、また臣民の側の神聖な義務について」述べられているという構造を持っているからである(『国家神道と日本人』岩波新書)。

教育勅語

(図版は「ウィキペディア」より、クリックで拡大できます)

「教育勅語」では、臣民の忠孝が「国体の精華」とたたえられているが、「国体」という概念は、「神武創業ノ始」からあるものではなく、「会沢正志斎が『新論』の第一部に「国体」という篇名をつけ、日本の政体のあるべき姿」を論じたことに由来していた(小島毅『増補靖国史観』ちくま学芸文庫、38頁)。

靖国史観(図版は紀伊國屋書店より)

しかも、『新論』が刊行された翌年の一八五七年に朝廷から「攘夷を進めるようにとの密勅が水戸藩に降った」ことから、「国体」という概念は幕末の「尊王攘夷」のイデオロギーとの強い結びつきも持つようになり、「神の意を奉じる天皇の軍隊」が行う戦争は、「聖戦」と位置づけられるようになったのである(同書、65~67頁)。

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日(三)、「オバマ大統領の広島訪問と安倍首相の原爆観・歴史観」を掲載 

三、オバマ大統領の広島訪問と安倍首相の原爆観・歴史観

オバマ大統領の広島訪問は、被爆者の方々との真摯な対話もあり、核廃絶に向けた一歩前進ではあったと思える。その一方で「菅直人が原子炉への海水注入をやめさせたというデマ」を安倍首相が「自身のメルマガに書き」込んでいた安倍首相とその周辺は、「トリチウム汚染水を除染しないまま薄めて海に流してしまうという」経産省の提案を同じ五月二七日に発表し、さらには大統領と同行の写真を選挙活動の広告として使っている。

この一連の流れを見ながら思い出したのは、二〇一三年の終戦記念日に安倍首相の式辞を聞いたあとで強い危機感を抱き、ブログ記事を書いた時のことであった。記念式典で安倍首相は「私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切りひらいてまいります。世界の恒久平和に、あたうる限り貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります」と語った。しかし、そこではこれまで「歴代首相が表明してきたアジア諸国への加害責任の反省について」はふれられておらず、「不戦の誓い」や脱原発の文言もなかった*22。

一方、二〇一三年八月六日の「原爆の日」に広島市長は原爆を「絶対悪」と規定し、九日の平和宣言で長崎市長は、四月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える八〇カ国の共同声明に日本政府が賛同しなかったことを「世界の期待」を裏切り、「核兵器の使用を状況によっては認める姿勢で、原点に反する」と厳しく批判していた。

つまり、安倍首相はこれらの痛切な願いを無視していたのである。それゆえ、初代のゴジラと同じ一九五四年生まれであるにもかかわらず安倍首相は、広島と長崎、「第五福竜丸」の三度の被爆や、「世界が破滅する」危機と直面していたキューバ危機、さらにはいまだに収束せずに汚染水など多くの問題を抱えている二〇一一年の福島第一原子力発電所の大事故のことをきちんと考えたことがあるのだろうかという強い危惧の念を抱いた。

事実、政府が「武器輸出三原則」の見直しを検討しているとの報道がなされたのは、二〇一四年二月一一日のことであったが、「特定秘密保護法」を強行採決して報道機関などに圧力をかけて、言論の自由を制限し、翌年には「戦争法」の疑いのある「安全保障関連法案」も強行採決した安倍政権は、「アベノミクス」という経済政策とともに「積極的平和主義」を掲げて、原発の輸出だけでなく武器の輸出にも積極的に乗り出したのである。

しかも、岸信介元首相は「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」との国会答弁をしていたが、このような方針も受け継いだ安倍首相も二〇〇二年二月に早稲田大学で行った講演会における質疑応答では、「小型であれば原子爆弾の保有や使用も問題ない」と発言して物議を醸していた*23。そして、ついに内閣法制局長官に抜擢された横畠裕介氏は二〇一六年三月一八日の参議院予算委員会で核兵器の使用についても「憲法上、禁止されているとは考えていない」という見解したのである。

最初にふれたように映画《ゴジラ》が封切られたのは「第五福竜丸」事件が起き無線長が亡くなった一九五四年のことであり、この映画が大ヒットした背景には、度重なる原水爆の悲劇を踏まえて核兵器の時代に武力によって問題を解決しようとすることへの強い批判や、軍拡につながりかねない強力な兵器を創造することを拒んだ科学者の芹沢への共感があったと思える。

安倍政権による一連の決定は、水爆実験により安住の地を奪われた「ゴジラ」に仮託して、「核のない世界」を願った日本国民の悲願をないがしろにし、再び世界を「軍拡の時代」へと引き戻すものであると言わねばならないだろう。

ただ、ゴジラが誕生したこの年の七月一日には警察の補完組織だった保安隊と警備隊を改組した自衛隊も誕生していた。予告編では「水爆が生んだ現代の恐怖」などの文字だけでなく、「挑む陸・海・空の精鋭」、という文字も「画面いっぱいに」広がって広告効果を上げていた*24。これら後半の文字は初代の映画《ゴジラ》やその後のゴジラの変貌を考えるうえできわめて重要だと思える。

なぜならば、映画《ゴジラ》が公開されたのは日本国憲法が公布されたのと同じ一一月三日のことであったが、創刊三一年を記念した二〇〇四年の『正論』一一月号に掲載された鼎談で、衆議院議員の安倍晋三氏は「新しい歴史教科書をつくる会」(以下、「つくる会」と略す)第三代会長の高崎経済大学助教授・八木秀次氏(肩書きは当時)やジャーナリストの櫻井よしこ氏とともに「改憲」への意気込みを語ってもいたからである*25。

この号では石原慎太郎・八木秀次両氏による「『坂の上の雲』をめざして再び歩き出そう」という対談も行われており、ここで日露戦争の勝利を「白人支配のパラダイムを最初に痛撃した」と評価した石原氏は、「大東亜戦争」の正しさを教えられるような歴史教育の必要性を強調していた*26。

このような「憲法」の軽視と日露戦争の賛美の流れは、『坂の上の雲』では「健康なナショナリズムに鼓舞されて、その知力と精力の限界まで捧げて戦い抜いた」と描かれているとする一方で、科学的な歴史観を「自虐史観」と決めつけ、「司馬の小説と史論を組み合わせると」新しい歴史観をうち立てることができるとした藤岡信勝氏の論調を受け継いでいると思える*27。この論考が発表された翌年の一九九七年一月には「つくる会」が発足し、七月にはそれに連動して安倍晋三氏を事務局長とした「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が立ち上げられているのである。

しかし、作家の司馬遼太郎は『坂の上の雲』執筆中の一九七〇年に「タダの人間のためのこの社会が、変な酩酊者によってゆるぎそうな危険な季節にそろそろきている」ことに注意を促し*28、書き終えた後では「政治家も高級軍人もマスコミも国民も、神話化された日露戦争の神話性を信じきっていた」と書いていた*29。

安倍政権の成り立ちと「日本会議」との関わりに注意を促した菅野完氏の著作に続いて『日本会議とは何か』(合同出版)、『日本会議の全貌』(花伝社)などが相次いで発行されたことで、反立憲主義的な「日本会議」と育鵬社との関わりが明らかになってきている。そのことに留意するならば「変な酩酊者」という用語で「歴史修正主義者」を批判した作家・司馬遼太郎の歴史観は、「事実」を軽視して自分のイデオロギーを正当化しようとする「つくる会」や「日本会議」の歴史認識とはむしろ正反対のものといわねばならない。

安倍首相が尊敬する岸元首相とも面識のあった憲法学者の小林節氏によれば、「彼らの共通の思いは、明治維新以降、日本がもっとも素晴らしかった時期は」、「普通の感覚で言えば、この時代こそがファシズム期」である、「国家が一丸となった、終戦までの一〇年ほどのあいだだった」のである*30。

政治学者の中島岳志氏との対談で「全体主義は昭和に突然生まれたわけではなく、明治初期に構想された祭政教一致の国家を実現していく結果としてあらわれたもの」で、「明治維新の国家デザインの延長上に生まれた」ことに注意を促した宗教学者の島薗進氏も、「戦前に起きた『立憲主義の死』」と「安倍政権が引き起こした『立憲主義の危機』」の関連を考察する必要性を提起し、「宗教ナショナリズム」の危険性を指摘している*31。

実際、安倍首相は今年の「施政方針演説で、改憲への意欲をあらためて示した」が、それは「神道政治連盟」の主張と重なっており、神社本庁が包括する初詣でにぎわう神社の多くには、改憲の署名用紙が置かれていた*32。

この意味で注目したいのは、映画《風立ちぬ》を製作した宮崎駿監督が、孫が記す祖父の世代の戦争の記録の形で著した百田尚樹氏の映画《永遠の0(ゼロ)》を「神話の捏造をまだ続けようとしている」と厳しく批判していたことである*33。宮崎監督が前節で見た映画《モスラ》の脚本家の一人でもあった作家の堀田善衛と司馬遼太郎との鼎談を行っていたことを考えるならばこの批判は重要だろう*34。

『日本会議の研究』を著した菅野完氏は、作者の百田尚樹氏について「剽窃と欺瞞の多いこの人物について言及することは筆が汚れるので、あまり言及したくはない」と記している*35。そのことには同感だが、多くの読者が安倍首相との共著『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』もある百田氏の小説『永遠の0(ゼロ)』に感動してしまったのは、「事実」を直視することを忌避して、東条英機内閣の頃のように美しいが空疎なスローガンを掲げている安倍政権や「日本会議」の歴史認識にも遠因があると思われる。

最近は「テキスト」を「主観的に読む」ことが勧められ、「テキスト」という「事実」をきちんと読み解くことが下手になっていると思われるので、宮崎監督のアニメ映画や批判を視野に入れながら文学論的な手法でこの小説や映画をきちんと分析することが必要だろう。

 

*22 高橋誠一郎 ブログ記事「終戦記念日と『ゴジラ』の哀しみ」、二〇一三年八月一五日

*23 『サンデー毎日』(二〇〇二年六月二日号、参照。

*24 小野俊太郎『ゴジラの精神史』彩流社、二〇一四年、一一九頁。

*25 安倍晋三・八木秀次・櫻井よしこ「今こそ”呪縛”憲法と歴史”漂流”からの決別を」『正論』二〇〇四年一一月号、産経新聞社、八二~九五頁。

*26 石原慎太郎・八木秀次「『坂の上の雲』をめざして再び歩き出そう」『正論』、前掲号、五八頁。

*27 藤岡信勝『汚辱の近現代史』徳間書店、一九九六年、五一~六九頁。

*28 司馬遼太郎「歴史を動かすもの」『歴史の中の日本』中央公論社、一九七四年、一一四~一一五頁。

*29 司馬遼太郎「『坂の上の雲』を書き終えて」『司馬遼太郎全集』第六八巻、評論随筆集、文藝春秋、二〇〇〇年、四九頁。

*30 樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』集英社新書、二〇一六年、三二頁。

*31 島薗進・中島岳志著『愛国と信仰の構造』集英社新書、二〇一六年、一三二頁、二三七頁。

*32 「東京新聞」朝刊、特集〈忍び寄る「国家神道」の足音〉、二〇一六年一月二三日。

*33宮崎駿、雑誌『CUT』(ロッキング・オン/9月号)。引用はエンジョウトオル〈宮崎駿が百田尚樹『永遠の0』を「嘘八百」「神話捏造」と酷評〉『リテラ』二〇一四年六月二〇日より。

*34 堀田善衛・司馬遼太郎・宮崎駿『時代の風音』朝日文庫、二〇一三年参照。

*35 菅野完『日本会議の研究』扶桑社新書、二〇一六年、一一七頁。

(2016年7月1日、加筆。2016年11月2日、タイトルを改題)

「忍び寄る『国家神道』の足音」と井上ひさし《闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語》

闇に咲く花、アマゾン(図版は「アマゾン」より)

忍び寄る「国家神道」の足音〉という題名は今年1月23日付けの「東京新聞」朝刊「こちら特報部」の特集記事から引用したものですが、そこで「安倍首相は二十二日の施政方針演説で、改憲への意欲をあらためて示した。夏の参院選も当然、意識していたはずだ」と書いた特集記事はこう続けていました。

「そうした首相の改憲モードに呼応するように今年、初詣でにぎわう神社の多くに改憲の署名用紙が置かれていた。包括する神社本庁は、いわば『安倍応援団』の中核だ。戦前、神社が担った国家神道は敗戦により解体された。しかし、ここに来て復活を期す空気が強まっている。」

そして記事は「神道が再び国家と結びつけば、戦前のように政治の道具として、国民を戦争に動員するスローガンとして使われるだろう」と結んでいたのです。「戦争法」だけでなく「改憲」さえも強行しようとしている安倍政権の危険性を、井上ひさし氏の劇《闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語》はすでに予告していたように思えます。

30年ほど前に書いた井上ひさし氏の《闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語》について書いた劇評を再掲します。

*   *   *

「昭和庶民伝・第二部」にあたるこまつ座の劇《闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語》(井上ひさし作)もやはり記憶の喪失をテーマにしていた。

この劇では戦争が終った直後の一神社を舞台に物語は進んでいく。主人公の一人である神主の牛木公麿はかつては境内に捨てられていた赤ん坊をひろってわが子として育て、今も近所の主婦達の内職の場を提供するだけでなく、糊口を凌ぐためには神社の品を売り払ってヤミ米を買い、彼女達にも与える程、人が好く、心やさしい人物であるが、戦時中は国の政策を素朴に信じ、若者達を戦場へと送り出す役割を担っていたのだった。

この人物設定は前作の登場人物である実直で愛国的な傷痍軍人の源一郎を想起させるが、しかし大きな違いの一つは、前の劇が太平洋戦争に突入する直前だったのに対し、ここでは戦後の混乱がようやく収まり再び秩序が戻りつつある時期に設定されていることである。それゆえ、劇では源一郎と脱走兵正一の対立とは別の、しかし現在に生きる我々に直接係わってくる次元で神主の公麿と息子健太郎との対立が描かれている。

劇はヤミ米の買い出しから戻った主婦達と神主のやりとりで観客を笑わせたり、戦死した健太郎が実は捨子だったと彼の友人に語る神主の言葉でほろっとさせたりしながら進んでいくが、南方で戦死した筈の健太郎が戻って来るところから佳境に入っていく。彼は戦場で傷を負い、記憶喪失に陥って治療を受けていたのだ。名ピッチャー健太郎の帰還は父ばかりではなく、友人や知り合いの人々すべてを歓喜させる。だが彼の到着を追うようにして、無実の彼にC級戦犯の容疑がかけられていることが知らされ、それを聞いた健太郎は再び記憶を失う。

父はこのまま治療せずに審理から逃れさせようとするが、しかし彼と元バッテリーを組んだ医者の稲垣は、ともかく治してから山奥に隠すと請け合い、治療に専念して再び彼の記憶を呼び戻すことに成功する。

だが、父が「記憶を失って赤ン坊になるか、正気に返って怯えながら生きるか、そのどっちかしかないんだから、可哀想な子だ」と嘆きながら、山奥へ隠そうとしている所に捜査官が録音機を持って現れスイッチを入れると、語られたばかりの健太郎の言葉が再び発せられる。

「父さん、ついこのあいだおこったことを忘れただめだ、忘れたふりをしちゃなおいけない。……」「……過去の失敗を記憶していない人間の未来は暗いよ。なぜって同じ失敗をまた繰り返すにきまっているからね。神社は花だ。道ばたの名もない小さな花……」。

ここでもまた記憶のテーマが語られているのだが、井上氏は録音機という手段を用いることによってこのテーマを無理なく繰り返し、強調することに成功しているが、さらにそれは自分の声を聞く健太郎の心理と結びつけられて悲劇的だが感動的な結末へと導かれているのだ。

すなわち、最初健太郎は健忘症を装おおうとするが、しかし自分の声に励まされるようにして、自分の考えを最後まで述べるのである。

「花は黙って咲いている。人が見ていなくても平気だ。…中略…花と向かい合っていると、心がなごんで、たのしくなる、これからの神社はそういう花にならなくちゃね。花は心を落ちつかせる色をしているよ。(一瞬の、微かな怯え。しかし立ちなおって浄く明るく)ぼくは正気です」。

こうして健太郎は無実でありながら戦時中の日本人の罪を背負ってグアムで死刑になるのだが、この劇を『闇に咲く花』と名付けた井上氏は、健太郎のうちに人間の罪を背負って十字架に架けられたとされるキリストのイメージがだぶっていたのかもしれない。

見終えた後の印象は重苦しいものであったが、それはこの作品の持つテーマが現在に生きる我々とも深く結び付くものだったからだろう。殊に最近の日本の報道や風潮は、都市の外観だけをそのままに、一気に大正末へとタイムスリップしてしまったような感すら抱かせる。

劇団「夢の遊眠社」主宰の野田秀樹氏は「日本は主権在民といいながらも、この四十年間で天皇制にかわる思想の核というものをつくりきれなかったことが明らかになった、という気がします」と語っているが確かにそうだろう。一度の強い風でメッキは剥げ落ち、借り物の衣装や地表を覆っていたかに見えた根のない草木は吹き飛んだのだ。

だが、少なくとも「明らかになった」ことはよいと思える。私たちは飾り立てた自分の姿だけではなく、裸の自分の姿もしっかりと見据えておく必要があるのだ。盆栽や鉢植えの草木ではなく、戸外の自然の中で、激しい風雨や厳しい冬の寒さの中で大地に根を張るような草木をこそじっくりと育てるべきなのだろう。その時にこそ草木は美しい「花」を咲かせるだろう。

〈この劇評は同人誌『人間の場から』(第13号、1989年)に掲載された「見ることと演じること(4)――記憶について」の前半の箇所である。なお、本稿では文体レベルの簡単な改訂を行った〉。

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30年前に書いたこの劇評を読み直して感じたのは、自然を愛する心優しい神主とその息子の苦悩を描いたこの劇が、宗教学者の島薗進氏と政治学者の中島岳志氏が、現在の日本の危機的な状況を踏まえて、熱く深く語り合った対談『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書) のテーマと深く関わっていることです。

来る選挙での野党の統一を求めている多くの方々だけでなく、自然を愛する心やさしい神主の方々や仏法を信じる公明党の党員の方々に、いまこそ観て頂きたい劇です。

(2017年2月22日、一部改訂して図版を追加)

 

 

中島岳志・島薗進著『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書) を読む

島薗1

『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書) を読む――「国家神道」と全体主義の問題

ここでは宗教学者の島薗進氏と政治学者の中島岳志氏が、現在の日本の危機的な状況を踏まえて、熱く深く語り合った対談『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書) をとおして、安倍政権が引き起こした「立憲主義の危機」の問題と「国家神道」の伝統について考えることにします。本書では『坂の上の雲』における司馬遼太郎氏の「文明観」にも言及されているので、その作業をとおして「明治国家」の讃美者とされることの多い司馬氏が「文明史家」とも呼べるような視野をもっていたことも明らかにできるでしょう。

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第1章では分かりやすく問題点と議論の方向性が示されていますので、まずその小見出しを紹介してから、重要な指摘について考察します。

第1章「戦前ナショナリズムはなぜ全体主義に向かったのか」

現代日本の「右傾化」の背後にあるもの/グローバル化による個人の砂粒化と宗教ナショナリズムの台頭/今も国家神道は生きている/明治維新からの一五〇年――繰り返されるサイクル/幕府を倒した「一君万民ナショナリズム」/明治維新はフランス革命とどこが違うのか/「上からのナショナリズム」が再創造する「伝統」/国学のもたらしたもの――天皇と人民の一体化というユートピア主義/日本の儒教が育てたもの――「国体」論と天皇への忠誠/「下からのナショナリズム」が希求した「一君万民」的なユートピア/天皇主義者たちによる自由民権運動/全体主義を用意した右翼思想のふたつの潮流

最初に「グローバル化による個人の砂粒化と宗教ナショナリズムの台頭」の問題をお互いに確認した後で、宗教学者の島薗氏は「今も国家神道は生きている」と語り、「明治維新の時に、どういった類のナショナリズムと宗教の装置が、どのようにインストールされたのかを文明史的な視野から分析しなければなりません」と問題を提起しています。この視点は、比較文明を研究する私の視点とも重なる重要なものだと思います。

一方、政治学者の中島氏は、幕府を倒したのが「一君万民ナショナリズム」ともいうべき思想で、「万民は平等であって、天皇だけが超越的な権力を持つ」という「一君万民」の考え方は、「『特権階級的な人々がこの国を牛耳るのはおかしいではないか』という議論を生み出すことになり」、「幕末期になると、古代日本のあり方に立ち戻れば日本はうまくいくはずだというユートピア主義が広まって」いたことを指摘しています。この指摘は島崎藤村の父親をモデルとした『夜明け前』における主人公・青山半蔵の活動とその悲劇を理解する上でも有効でしょう。

注目したいのは中島氏が、明治維新の「一君万民ナショナリズム」とフランス革命との類似性にも言及して、「日本ではいまだにナショナリズムと言うと、右派の思想だというレッテルをはられてしまう。しかし、実際はナショナリズムそのものは左派的な出自を持った思想だ」指摘し、フランス革命は「『フランスはフランス人民のもの』というナショナリズムによって絶対王政を倒し、民主的な国民国家を作り上げた」と説明していることです。この認識は征韓論から西南戦争に至る時代を描いた長編小説『翔ぶが如く』における司馬氏の歴史観にも通じているでしょう。

一方、「上からのナショナリズム」にも注意を促した島薗氏は、「一八六七年の『王政復古の大号令』では、ペリー来航に始まる『未曾有ノ国難』を神武天皇以来の神話的過去に立ち返って克服するのだと宣言し」、明治維新の年には「天皇による神道的な祭祀と政治とを一元化させ、国民的団結を強化し、国家統一を進める」ことを宣言した「祭政一致布告」がでるなど「神道に基づいた」祭祀が強調されたことを指摘しています。

さらに、「『皇道』や『大教』といった言葉は、儒学者が尊皇意識を高め、神道的な祭祀や天皇への崇敬の教えを説くようになる過程で普及」したと語り、「国家神道」には儒教的な要素も強いことを指摘しているのです。

注目したいのは、政治学者の中島氏がこれまで比較的多く語られてきた「日蓮宗と全体主義の影響関係」だけでなく、「他力本願」を主張した親鸞主義者の三井甲之(こうし)も、「阿弥陀仏の本願力」を「天皇の大御心(おおみこころ)」と読み替えて、「日本人は現実をあるがままに任せ、ただ『日本は滅びず』と信じ、『祖国日本』と唱えれば、永遠の幸福を得ることができる」と主張していたことに注意を促していることです(第2章 「親鸞主義者の愛国と言論弾圧)。

このような中島氏の言葉を受けて島薗氏は、第4章で「全体主義は昭和に突然生まれたわけではなく、明治初期に構想された祭政教一致の国家を実現していく結果としてあらわれたものです。つまり、明治維新の国家デザインの延長上に生まれたものです」と語っています。

より論理的で体系的に語られてはいますがこの重たい指摘は、『竜馬がゆく』第2巻の「勝海舟」の記述にも通じるでしょう。

幕末の「尊皇攘夷思想」が「国定国史教科書の史観」となったことを指摘した司馬氏は、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と痛烈に批判していたのです。あまり注目されてはこなかったのですが、文明史的な視野を持っていた司馬氏の全体主義的なイデオロギーに対する危惧の念はきわめて深かったのです。

この意味で興味深かったのは、誤解されることの多い司馬氏の長編小説『坂の上の雲』について中島氏がこう語っていたことです。『坂の上の雲』という長編小説を理解する上でも参考になるので、少し長くなりますが引用しておきます。

「明治時代の前半(第一期)と後半(第二期)とでは、社会の雰囲気が大きく違います。/そのことを鋭く嗅(か)ぎ分け、描いた作家に司馬遼太郎がいます。彼の小説『坂の上の雲』は、タイトルが核心を見事についている。ポイントは『坂』と『雲』です。/明治時代の前半の日本はずっと坂を登っている状態でした」。

そして、「こうした時代では、個人の人生の目標と国家全体の目標が一体化」することを指摘したあとで、「しかし、重要なのは、『坂』を登りきった明治の後半の人々が見たものは『雲』にすぎなかったということです」と指摘し、こう続けているのです。

「その象徴が一六歳で華厳の滝に身を投じた藤村操でした。雲の中に入ってしまった青年たちは、国家の物語と個人の物語を一致させることができなくなり、自己喪失するのです」。

この記述はなぜ、日露戦争の勝利からしばらくして「国家神道」に基盤を置いた「全体主義」が勃興し、いままた安倍政権のもとでナショナリズムが広がっているのかをも説明しているでしょう。

「全体主義はよみがえるのか」と題された第8章で島薗氏は、「戦前に起きた『立憲主義の死』と、安倍政権が引き起こした『立憲主義の危機』。このふたつの危機の何が同じで、何が違うのか。そして、その原因は何なのか、ということを問わなくてはなりません」と語っています。

「核兵器の時代」に新たな戦争を勃発させないためにも、この問いに真剣に向き合わなければならないでしょう。

他にも現在の日本に関わる重要なテーマが多く語られていますが、「教育勅語」と「国家神道」のつながりについては次の機会に改めて考察することとし、この本の目次を紹介してこの稿を終えることにします。

第1章 戦前ナショナリズムはなぜ全体主義に向かったのか       第2章 親鸞主義者の愛国と言論弾圧 第3章 なぜ日蓮主義者が世界統一をめざしたのか 第4章 国家神道に呑み込まれた戦前の諸宗教 第5章 ユートピア主義がもたらす近代科学と社会の暴走 第6章 現代日本の政治空間と宗教ナショナリズム 第7章 愛国と信仰の暴走を回避するために 第8章 全体主義はよみがえるのか

(2017年2月22日、図版を追加)