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日本国憲法

上丸洋一著『「諸君!」「正論」の研究 保守言論はどう変容してきたか』(岩波書店)を読む(1)

上丸洋一(図版はアマゾンより)

 

はじめに

私が本書のことを知ったのは、三笠宮がご逝去された際に多くの追悼記事が新聞やツイッターなどに掲載されて、参謀として南京に派遣された時には〈軍紀の乱れを知り、現地将校を前に「略奪暴行を行いながら何の皇軍か」などと激烈な講話〉をされていたなど、そのお人柄やお考えが詳しく紹介された時でした。

すなわち、南京陥落から約五年後の1943年から1年間、皇族であることを隠すために「若杉参謀」という偽名で、中国・南京の派遣軍総司令部に勤務した際には、捕虜を銃剣で突くことや、毒ガスを使った生体実験を日本軍がしていたことを知って「『聖戦』のかげに、じつはこんなことがあった」とショックを覚えた、「内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか」とその理由を著書で推測していたのです。

しかも、天皇の生前退位が問題となり、現在はその多くが「日本会議」と関係の深い委員で構成されている有識者会議で議論が行われているようですが、三笠宮は1946年には皇室典範改正を審議中の枢密院に「(天皇に)『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法第十八条の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』といふ精神に反しはしないか?」 「(譲位を認めないなら)天皇は全く鉄鎖につながれた内閣の奴隷と化す」との意見書を出しておられたのです。

ことに、東京大学文学部の研究生となり歴史学を学ばれていた三笠宮は、「国家神道」的な考えと結びついた「紀元節」復活の動きに対しては、「二・一一論争と考古学」と題する論考を『日本文化財』13号(1956年5月)に発表されただけでなく、その翌年には歴史学者の会合で「反対運動を展開してはどうか」と呼び掛けられていました。

三笠宮が「昭和十五年に紀元二千六百年の盛大な祝典を行った日本は、翌年には無謀な太平洋戦争に突入した」。「架空な歴史……を信じた人たちは、また勝算なき戦争……を始めた人たちでもあった」と『文藝春秋』1959年1月号に記していたことを伝えたのが本書の著者である上丸氏のツイッターでした。

序章と終章を含めて全部で10章から成る本書は、『諸君!』『正論』両誌における「核武装論」や「靖国問題」などの重たいテーマや「岸信介と安倍晋三との関係」の分析、さらには新聞批判などさまざまなテーマについての論調の変遷を、その創刊の時期から丹念に分析することで、ほとんどの閣僚が「日本会議」や「神道政治連盟」の「国会議員懇談会」に属する安倍内閣が誕生するに至る過程を明らかにしています。

一方、私が研究している作家の司馬遼太郎も長編小説『竜馬がゆく』において幕末の「神国思想」が「国定国史教科書の史観」となったと指摘し、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と記して、現在の「日本会議」へと続く流れを示唆していました。

そして、日露戦争をクライマックスとした長編小説『坂の上の雲』を執筆中の1970年には、「歴史を動かすもの」というエッセーで「政治的なイデオロギー」の危険性を指摘しつつも司馬は、「私は戦後日本が好きである。ひょっとすると、これを守らねばならぬというなら死んでも(というとイデオロギーめくが)いいと思っているほどに好きである」と書いて「日本国憲法」を擁護していたのです(『歴史の中の日本』中公文庫)。

以下、本書の内容を章の流れに沿って私の感想も交えながら具体的に紹介することで、近代に成立した国家の統治体制の基礎を定める「憲法」を古代の神話的な歴史観で解釈し「改憲」しようとしている安倍政権がどのようにして生まれたのかにも迫りたいと思います(本稿では敬称は略し、頁数はかっこ内にアラビア数字で示す)。

一、「紀元節」の復活運動と三笠宮の歴史観

本書の冒頭では「皇紀二六七〇年の今日、神武天皇建国の理想に改めて思いをいたし、紀元節にあたり、奉祝祈念式典を開催します」との言葉で始まった2010年の「日本の建国を祝う会」の式典では、『正論』の2005年6月号に「憲法三原則」が「日本を蝕む」と記していた小田村四郎・「日本会議」副会長が、「神武創業の精神を体し、永遠の繁栄に力を尽くす」との挨拶を行ったことが紹介されている(1)。

当時の民主党政権への批判決議が採択された後では、「正論大賞」受賞者の渡部昇一・上智大学名誉教授が、「日本の建国と日本人の感性」と題して行われた記念講演で、「日本の王朝(天皇家)は、神話が今につながる唯一の王朝です。日本は神話と歴史がつながっています。…中略…シナ文明は朝鮮半島まで到達しましたが、日本には及んでいません」と語って戦前のレベルの日本の歴史学をも否定していた。

このような運動の発端は、占領軍が1945年のいわゆる「神道指令」で、『国体の本義』や『臣民の道』など戦時下に国民教化のために発行された図書の頒布を禁止し、「大東亜戦争」や「八紘一宇」などの用語の使用も禁止したことに自民党や右派の論客たちが強く反発したことにあった。

すなわち、1952年4月に日本が独立を回復すると、その年のうちに自由党政調会文教部会は紀元節の復活を決定しした。一方、そのような動きに対して『日本のあけぼの 建国と紀元をめぐって』の序文で「偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた。……過去のことだと安心してはおれない。……紀元節復活論のごときは、その氷山の一角にすぎぬのではあるまいか」と記していたのが三笠宮であった。

さらに、1958年に「教員の団体である歴史教育者協議会が紀元節復活に反対する声明を発表」した際には、神武天皇の即位は神話であり史実ではないとして強く批判し、「国が二月十一日を紀元節と決めたら、せっかく考古学者や歴史学者が命がけで積上げてきた日本古代の年代大系はどうなることでしょう。本当に恐ろしいことだと思います」との書簡も寄せ、「これに反発した右翼が三笠宮に面会を強要する事件」も発生したが、自らの見解は曲げられなかった(10)。

陸羯南や正岡子規の新聞『日本』と比較しながら、拙著『新聞への思い――正岡子規と「坂の上の雲」』(人文書館)を著していた私にとって非常に興味深かったのは、戦前や戦中に「忠君愛国の精神」の重要性を説き、大日本言論報国会を設立して戦意高揚を叫んでいた言論人の徳富蘇峰が、1955年2月11日に東京日比谷公会堂で開かれた「国の初めを祝ふ会」で「紀元節」の復活を求める次のような講演をしていたことである。

「神武天皇に関することは、日本の歴史の父とも母とも云ふところの、日本書紀に特筆大書せられてあるのであつて、それを我々国民がそのまゝに信仰して、それを行事として行ふて来たのであるので、今日に至って二、三の歴史家の議論で、それを取消すなどといふものは、……軽率至極と云わねばならん」(太字は引用者、9)

蘇峰のこの演説は、「新しい歴史教科書をつくる会」の論客や「日本会議」系の論者だけでなく、一部の読者が「反戦小説」とも見なしている百田尚樹の『永遠の0(ゼロ)』の主要な登場人物である元一部上場企業社長の武田が、なぜ徳富蘇峰の『国民新聞』を高く評価しているのかを雄弁に物語っているだろう。

一方、司馬の『竜馬がゆく』の連載が始まった1962年の終戦記念日に産経新聞が社説でこう記していました。「敗戦とともに古い価値体系はくずれさり、神秘的な超国家は太平洋の波間に沈められて、非合理主義の時代は去った」(11)。

どうして、神秘的な国家観を捨てたはずの産経新聞が、雑誌『正論』を発行して右翼的な言辞を声高に唱えるようになったのだろうか。

 

山崎雅弘著『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書)を読む

戦前の『国体の本義』などの分析をとおして「日本会議」と安倍政権の本質に肉薄した好著である。膨大な資料をもとに「日本会議」の「思想の原点」に迫るとともに、二〇一二年に発表された自民党の「日本国憲法改正草案」の内容や文言が、むしろ戦前の『国体の本義』を連想させるものであることを明らかにしている。

さらに、NHKの大河ドラマ《花燃ゆ》では「桂小五郎(木戸孝允)が果たした重要な役割」が、吉田松陰の妹・文が再婚した相手の小田村伊之助が行ったことになっているとの視聴者からの批判を紹介した著者は、安倍首相の地元ともゆかりの深い小田村四郎・日本会議副会長に注目することで、人間的なドラマをも描き出すことに成功している。

ここでは、第一章と第三章、および第五章を考察することで本書の内容を簡単に紹介しておきたい。

第一章「安倍政権と日本会議とのつながり」では、第一次安倍政権時代から安倍首相が「日本会議」に忠実だったことや、安倍首相の返り咲きが「日本会議」の「運動の大きな成果」だと総会で報告されていたことが紹介されている。第二節「重なり合う『日本会議』と『神道政治連盟』の議員たち」では、この二つの組織が「美しい伝統の国柄を明日の日本へ」、「新しい時代にふさわしい新憲法を」、「日本の感性をはぐくむ教育の創造を」などの主要な三つの項目で両者の目標が一致しているばかりでなく、それ以外の活動方針にも対立するような点がないことが指摘されている。

「日本会議の「肉体」――人脈と組織の系譜」と題された第二章に続く、第三章「日本会議の『精神』――戦前・戦中を手本とする価値観」では、安倍首相が盛んに用いた「日本を取り戻す」というキャッチフレーズが、一九九七年に行われた「日本会議」の設立大会において小田村四郎・副会長が語った「かつての輝かしい日本に戻して参りたい」という言葉に由来することを明らかにしている。

さらに、日本会議の思想の原点を物語る書物」として『国体の本義』と『臣民の道』を挙げ、『国体の本義』の解説叢書の一冊として一九三九年に出版された『我が国体と神道』の冒頭では、「国体とは国がら」であると記され、「この皇国の本質を発揚すべく支持し奉っているものは、日本国民の信念」であり、「この国民的努力に励む心がすなわち、日本魂であり、日本精神である」と強調されていたことを指摘している。

さらに、アメリカとの全面戦争をも視野に入れた時期に出版された『臣民の道』では、「皇国の臣民は、国体の本義に徹することが第一の要件」であり、「実践すべき道は」、「抽象的な人道や観念的な規範ではなく…中略…皇国の道である」と続いていたことにも注意を促している。

これらを紹介して、戦前の「国体思想」「これは、当時の日本軍が、なぜ特攻や玉砕のような『非人道的』な戦法をくり返し行うことができたのか」についてのヒントを与えているように見えると続けていた山崎氏は、日本会議の活動方針が「戦前・戦中の思想と価値判断を継承」していると記している。

ついでながら、『風土・國民性と文學』と題された『国体の本義』解説叢書の一冊でも「敬神・忠君・愛国の三精神が一になっていることは」、「日本の国体の精華であって、万国に類例が無いのである」とされ、「神道」を諸宗教の頂点においた「国体」の意義が強調されていた。

しかし、「暗黒の三〇年」と呼ばれる時代にもロシア皇帝ニコライ一世は、「自由・平等・友愛」の理念に対抗するために「ロシアにだけ属する原理を見いだすことが必要」と考えて、「正教・専制・国民性」の「三位一体」による愛国的な教育を行うことを命じるロシア版の「教育勅語」を発していた。このような時代に青春を過ごしたドストエフスキーは言論の自由を求める執筆活動を行っていたが、それすらも厳しく弾圧されるなど専制政治が続き格差が広がったために、ロシアはついに革命に至っていたのである。「教育勅語」が渙発された後の日本は、教育・宗教システムの面ではロシア帝国の政策にきわめて似ていたといえるだろう。

第四章「安倍政権が目指す方向性」では、安倍首相と日本会議の方向性を、「教育改革」、「家族観」、「歴史認識」、そして「靖国神社」の問題に絞って具体的に考察している。

そして、第五章「日本会議はなぜ『日本国憲法』を憎むのか――改憲への情念」では、それまでの考察を踏まえた上で、「特定秘密保護法案」や「安全保障法案」などの重要法案を短期間の審議で次々と強行採決した安倍政権が「国民」に突きつけた「改憲」の問題の本質にも迫っている。

注目したいのは、「はじめに」でも言及されていた小田村四郎・日本会議副会長の憲法観をとおして、「憲法改正運動の最前線に躍り出た」日本会議の憲法観が伝えられていることである。二〇〇五年六月号の『正論』に、小田村氏は「日本を蝕(むしば)む『憲法三原則』国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という虚妄をいつまで後生大事にしているのか」というタイトルの記事を寄稿していた。

つまり、安倍首相を会長とする創生「日本」東京研修会で長勢甚遠・元法務大臣が、「国民主権、基本的人権、平和主義、これをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ」と語っている動画が最近話題となったが、これは小田村副会長の言葉のほとんど繰り返しにすぎなかったのである。

さらに、「自民党改善案では、日本国憲法にはまったく存在していない『第九章 緊急事態』という項目を、新たに創設して追加して」いることを指摘した著者は、「もし自民党の改憲案が正式な憲法となれば、時の政権は、自らを批判して退陣を求める反政府デモを鎮圧するために、この条文を使う可能性」があると書いている。

つまり、憲法学者の樋口陽一氏は安倍政権の政治の手法によって日本では、「法治国家の原則が失われており、専制政治の状態に近づいている。そういう状態に、我々は立っている」と『「憲法改正」の真実』(集英社新書)に書いているが、自民党の改憲案が採用されれば、首相がロシア皇帝と同じような独裁政治を行う権力を手にすることになると思える。

注目したいのは、「日本会議」の論客が「大東亜戦争」が「自存自衛の戦争であって侵略ではない」と主張していることに注意を促した著者が、「もし『大東亜戦争』が『侵略ではなく自衛戦争』であるなら、自民党の憲法改正案が実現した時、理論的には、日本は再び『大東亜戦争』と同じことを『自衛権の発動』という名目で行うことが可能になります」と指摘していることである。

敗戦七〇周年にあたる二〇一五年の「安倍談話」では日英の軍事同盟の締結(一九〇二)によって勝利した日露戦争の意義が強調されたが、日本はそれから四〇年足らずの一九四一年には、米英を「鬼畜」と罵りながら太平洋戦争に突入していた。

「報復の権利」を主張したアメリカのブッシュ元大統領が、イラク戦争を「正義の戦争」としていたことを考慮するならば、「日本会議」や安倍政権の方針に沿って教育された日本の若者たちは、早晩、「報復の権利」を主張してアメリカとの戦争にさえ踏み切る危険性があるといえるだろう。

*   *

緻密なインタビューによって、「強力なロビー団体」であり豊富な資金力を持つ神社などに支えられている「日本会議」の実態に迫った好著『日本会議の正体』(平凡社新書)の冒頭でジャーナリストの青木理氏は、イギリスの『エコノミスト』や『ガーディアン』、アメリカの『CNNテレビ』、オーストラリアの『ABCテレビ』、フランスの『ル・モンド』など多くの外国のメディアが「日本会議」について、「国粋主義的かつ歴史修正的な目標を掲げている」などと「かなり詳細な分析記事」を載せているのにたいして、日本の報道機関がほとんど沈黙を守っていたことを指摘していた。

「立憲主義」が存亡の危機に立たされた現在、ようやく「日本会議」についての充実した本が相次いで出版されるようになった。さまざまな戦史と紛争史を研究してきた山崎雅弘氏による本書も、『我が国体と神道』など過去の文献も読み込んだ歴史的な深みと世界史的な視野を持ち、分かりやすく説得力のある著作となっている。

 

樋口陽一・小林節著『「憲法改正」の真実』(集英社新書)を読む(改訂版)

樋口・小林対談(図版はアマゾンより)

最初に注目したいのは、本書の「はじめに」で改憲派の小林氏と護憲派の樋口氏の二人の憲法学者の会話をとおして、「法治国家の原則が失われて」、「専制政治の状態に近づいている」日本の現状が指摘されていることです。

すなわち、まず小林氏は「2015年9月19日の未明をもって、日本の社会は異常な状態に突入しました。…中略…この違憲立法によって、最高法規である憲法が否定されてしまった。今回、日本の戦後史上はじめて、権力者による憲法破壊が行われた」と語り、「私たち日本人は、今までとは違う社会、異常な法秩序の中に生きている」と指摘しています(3頁)。

この発言を受けて「立憲主義の破壊という事態がいかに深刻なものなのか。つまりは国の根幹が破壊されつつあるのです。…中略…立憲主義とともに民主主義も死んでいる」と応じた護憲派の樋口氏はこう続けています。

「今、その日本国憲法を『みっともない憲法』と公言してきた人物を首班とする政権が、〈立憲・民主・平和〉という基本価値を丸ごと相手どって、粗暴な攻撃を次々と繰り出してきています。…中略…「それに対しては、法の専門家である我々が、市民とともに、抵抗していかなくてはならない」と応じているのです。

本書は『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』に続いて発行された集英社新書ですが、驚いたのは〈「古代回帰」のユートピア主義が右翼思想の源泉になっていったのです〉という宗教学者の島薗氏の言葉と響き合うかのように、憲法学者の樋口氏も〈この草案をもって明治憲法に戻るという評価は、甘すぎる評価だと思うのです。明治の時代よりも、もっと「いにしえ」の日本に向かっている〉と自民党の憲法草案を批判していることでした。

本稿では、本書の第1章と第2章に焦点をあてて、まず「改憲」を目指す自民党議員の実態を明らかにした小林氏の発言を中心に現在の日本の状況を確認し、その後で樋口氏との対談もある司馬遼太郎氏の憲法観にも注目することで、「明治憲法」から「日本国憲法」への流れの意義を確認します。

*   *   *

「憲法を破壊した勢力の正体」と題された節では、小林氏が「最近の国会の風景をご覧になっていてお気づきのように、我が国与党の国会議員の多くは、『そもそも、憲法とはなにか』という基本的な認識が欠如しています」と指摘し、二〇〇六年の衆議院憲法審査会に参考人として呼ばれたときの出来事を紹介しています(25~26頁)。

すなわち、小林氏が「権力というものは常に濫用されるし、実際に濫用されてきた歴史的な事実がある。だからこそ、憲法とは国家権力を制限して国民の人権を守るためのものでなければならない」と語ると、これにたいして自民党の高市早苗議員が「私、その憲法観、とりません」といった趣旨の議論を展開しはじめたのです。

「おい、ちょっと待てよ、その憲法観をとる、とらないって、ネクタイ選びの話じゃねぇんだぞ」と批判した小林氏は、「国家に与えられている権力は、国民の権利や自由、基本的人権を侵害しないという『制限規範』に縛られた条件つきなのです。そういう認識が彼らにはないのです」と続けています。

総務大臣となって「電波法停止」発言をした高市議員の憲法認識はこの程度のものだったのです。その後でその高市氏を総務大臣に任命した安倍政権についても「鍵は、やはり、世襲議員たちです。自民党内の法務族、とりわけ改憲マニアとも言うべき議員のなかには世襲議員が多いのです」と語った小林氏は、「戦前のエスタッブリッシュメントの子孫と言えば、安倍首相などは、まさにその典型ということになりますね」と続けています(30~31頁)

さらに、小林氏は次のような衝撃的な証言をしています。

「岸本人とも一度だけですが、会ったことがあります。/そうしたつき合いのなかで知ったことは、彼らの本音です。/彼らの共通の思いは、明治維新以降、日本がもっとも素晴らしかった時期は、国家が一丸となった、終戦までの一〇年ほどのあいだだった、ということなのです。普通の感覚で言えば、この時代こそがファシズム期なんですね」(32頁)。

これには本当に驚愕させられました。司馬氏は日露戦争での勝利から太平洋戦争の敗戦までを、「異胎」の時代と呼んで批判していたのですが、その中でももっとも悲惨な時代を彼らは理想視しているのです。

そして「(敗戦の)事実を直視できないから、ポツダム宣言をつまびらかに読んではいないと公言する三世議員の首相が登場してしまう」と語った樋口氏の言葉を受けて、小林氏は「ポツダム宣言を拒否し、一億玉砕するまで戦争を続けていれば、私も今の若い人も、生まれることすらなかったわけです」が、「ポツダム宣言の受諾を屈辱として記憶しているのが戦前の支配層」であり、その子孫たちが「旧体制を『取り戻そう』としているのではないでしょうか」と続けています(32~34頁)。

一方、樋口氏は「自民党の国会軽視は数限りなく続いているので、例を挙げればキリがない」としながら、ことに首相が内閣総理大臣席から野党議員に対して「早く質問しろよ」という野次を飛ばしたことは「小さなことのようで、これは権力分立という大原則を破っているのです。立法府において行政側の人間が、勝手に議事を仕切る権利はない」と批判しています(45~46頁)

*   *   *

注目したいのは、司馬氏との対談「明治国家と平成の日本」で樋口氏は『明治という国家』(NHK出版)にも言及していましたが、そこで司馬氏が「明治憲法は上からの憲法だ」といわれるが、「下からの盛りあがりが、太政官政権を土俵ぎわまで押しつけてできあがったものというべき」と明治憲法の発布にいたる過程を高く評価していたことです(「『自由と憲法』をめぐる話」)。

樋口氏も「まるで明治憲法のような古色蒼然(こしょくそうぜん)とした、近代憲法から逸脱したこんな草案を出してきた」という小林氏の発言に対しては、「ただ、戦前をまるごと否定的に描きだしすぎてもいけない」と語って、「敗戦で憲法を『押しつけられた』と信じている人たちは、明治の先人たちが『立憲政治』目指し、大正の先輩たちが『憲政の常道』を求めて闘った歴史から眼をそらしているのです」と指摘しているのです(51~55頁)。

この指摘は「伝統を大切にせよ」と説く自民党の議員が、自分たちの思想とはそぐわない先人の努力を軽視していていることを物語っているでしょう。

さらに国際的な法律にも詳しい樋口氏は、「明治憲法」の第三条には「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という「一般の人が誤解しがちな文言」が記されており、「『神聖』というと、天皇の神権が憲法に書きこまれているではないかと感じるかもしれません」が、「あれはヨーロッパの近代憲法の伝統から言うと、正常な法律用語」であり、「これは王は民事・刑事の裁判に服さないというだけの意味です」という重要な指摘をしています(59頁)。

そして、「連合国側は、ファシズム以前の日本に民主主義的な流れがあったことをきちんと知っていた」とし、「それは大正デモクラシ-だけではなく、その前には自由民権運動があり、幕末維新の時代には『一君万民』という旗印で平等を求める動きもあった。それどころか、全国各地で民間の憲法草案が出ていた」ことを指摘した樋口氏は「そういう『民主主義的傾向』の歴史を、アメリカのほうは、理解していた」と続けて、「日本国憲法」が「明治憲法」を受け継いでいることも説明しているのです。

*   *

このように見てくるとき、『「憲法改正」の真実』(集英社新書)は、「立憲政治」を目指した明治の人々の成果である「明治憲法」と太平洋戦争の惨禍を踏まえて発布された「日本国憲法」の普遍性を示すと同時に、「前近代への回帰」ともいえる自民党憲法案の危険性を浮き彫りにしているといえるでしょう。

他にも現在の日本に関わる重要なテーマが多く語られていますが、「憲法」と「教育勅語」とのかかわりについては次の機会に改めて考察することとし、この本の目次を紹介してこの稿を終えることにします。

第1章 破壊された立憲主義と民主主義/ 第2章 改憲草案が目指す「旧体制」回帰とは?  / 第3章 憲法から「個人」が消える衝撃 / 第4章 自民党草案の考える権利と義務/ 第5章 緊急事態条項は「お試し」でなく「本丸」だ/  第6章 キメラのような自民党草案前文―復古主義と新自由主義の奇妙な同居/  第7章 九条改正議論に欠けているもの/  第8章 憲法制定権力と国民の自覚/ 第9章 憲法を奪還し、保守する闘い/  対論を終えて

(2017年4月14日、改訂)

武藤貴也議員と高市早苗総務相の「美しいスロ-ガン」――戦前のスローガンとの類似性

昨日は、〈高市総務相の「電波停止」発言と内務省の負の伝統〉という記事で高市議員の発言の危険性を指摘しました。

しかし、テレビなどでは戦前の日本を思わせる厳しい「言論統制」につながるこの発言の危険性がきちんと取り上げられていないようです。

これゆえ、ここではジャーナリズムではもうすでに過去の人となったようですが、一時、「時の人」となった武藤貴也議員の「憲法」観との比較を「美しいスローガン」をとおして行ってみます。

*   *   *

元・衆院平和安全法制特別委員会のメンバーであった武藤貴也議員は、自身のオフィシャルブログに、「私には、守りたい美しい日本がある。先人たちが、こんなに素晴らしい国を残してくれたのだから」という「美しいスロ-ガン」を掲げていました。

その武藤議員がどのような価値を「美しい」と感じているかは、2012年7月23日に「日本国憲法によって破壊された日本人的価値観」という題で書かれた文章により明らかでしょう。

「最近考えることがある。日本社会の様々な問題の根本原因は何なのかということを」と切り出した後藤氏は、「憲法の『国民主権・基本的人権の尊重・平和主義』こそが、「日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている」とし、「滅私奉公」の重要性を次のように説いている。

〈「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。…中略…国家や地域を守るためには基本的人権は、例え「生存権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。もちろんその根底には「滅私奉公」と いう「日本精神」があったことは言うまでも無い。だからこそ第二次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである。しかし、戦後憲法によってもたらされたこの「基本的人権の尊重」という思想によって「滅私奉公」の概念は破壊されてしまった。〉  

*   *   *

戦前や戦中の日本における「公」の問題も深く考察していた司馬遼太郎氏は、「海浜も海洋も、大地と同様、当然ながら正しい意味での公のものであらねばならない」が、「明治後publicという解釈は、国民教育の上で、国権という意味にすりかえられてきた。義勇奉公とか滅私奉公などということは国家のために死ねということ」であったと指摘していました(『甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみちほか』、『街道をゆく』第7巻、朝日文庫)。

事実、元・衆院平和安全法制特別委員会のメンバーであった武藤貴也議員が高く評価した作家の百田尚樹氏は、小説『永遠の0(ゼロ)』において徳富蘇峰の『国民新聞』を「反戦新聞」のように描いていましたが、徳冨蘇峰は『大正の青年と帝国の前途』において、自分の生命をもかえりみない「白蟻」の勇敢さを褒め称えて、「若者」に「白蟻」のような存在になることを求めていたのです。

それゆえ司馬氏は「われわれの社会はよほど大きな思想を出現させて、『公』という意識を大地そのものに置きすえねばほろびるのではないか」という痛切な言葉を記していたのです。

原発事故の後もその危険性を直視せずに、目先の利益にとらわれて原発や武器の輸出という「軍拡政策」に走るとともに、「アベノミクス」という「ギャンブル的な経済政策」を行ってきた安倍政権によって、日本は重大な危機に陥っていると思われます。

*   *   *

一方、強圧的な「電波停止」発言を行った高市総務大臣の「公式サイト」にも「美しく、強く、成長する国、日本を」という、「王道楽土」や「八紘一宇(はっこういちう)」などの戦前のスローガンと似た「美しいスローガン」が掲げられていました。

しかし、高市議員の「電波停止」発言が「放送法」に違反している可能性があるばかりでなく、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と規定されている憲法にも反する発言との指摘がすでになされています。

さらに問題は、現在の「日本国憲法」を守ろうとする発言を多く放送する放送局には「電波停止」もありうるとした高市議員の発言が、シールズの主張を「彼ら彼女らの主張は『戦争に行きたくない』という自己中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまでまん延したのは戦後教育のせいだろうが、非常に残念だ」と批判していた武藤議員の発言とも通じているように見えることです。

これらの発言には戦前の日本の著しい「美化」がありましたが、そのような「日本」に「復帰」させないためにも、安倍政権の閣僚や「総務大臣」を勤めている高市議員がどのような「憲法」観を持っているかを、報道機関や民主主義団体ばかりでなく仏教界やキリスト界、そして日本の自然や大地だけでなく地球環境をも大切に思う神道の人々は、よりきびしく追求すべきだと思えます。

(2016年2月12日。副題と青い字の箇所を追加)

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〈めでたさも一茶位(くらい)や雑煮餅〉(子規)

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今年は再び選挙がありますが、昨年の「国会運営」や報道への圧力で明らかになったように安倍政権のめざす「改憲」は、「国民」を「臣民」として戦争へと駆り立てていた「戦前の日本」への危険な後退だと思えます。

しかも、広島や長崎、そして福島の悲劇をきちんと直視しようとしない安倍政権は、原発の再稼働だけでなく、原発や武器の輸出をも積極的に推し進めているのです。

一方、ブッシュ政権による「大義なき戦争」の後で世界はむしろ混迷の度を深めていますが、このことは「核の時代」における「戦争」の危険性を鋭く指摘していた「ラッセル・アインシュタイン宣言」や「日本国憲法」の先見性を物語っていると思えます。

今年も厳しい一年になると思われますが、苦しい中でもユーモアを忘れなかった子規の精神に倣って精一杯努力したいと考えています。

本年もよろしくお願いいたします。

「文化の日」の叙勲とブレア元首相のイラク戦争謝罪――安倍政権の好戦的な価値観

ここ数日は長崎で開催されていた「パグウォッシュ会議」に関連して、安倍政権の核政策を検証する記事を書いてきましたが、「文化の日」に異常な事態が起きていました。

「国民の祝日に関する法律」の(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「日本国憲法」の精神に則って「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨として定められた「文化の日」に「大義なきイラク戦争を主導したラムズフェルド元国防長官とアーミテージ元国務副長官」に、日本政府は勲一等、「旭日大綬章」を贈っていたのです(「日刊ゲンダイ」11月5日デジタル版)。

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一方、「大義なきイラク戦争」への英国の参戦を決定したブレア元首相は、10月25日に放映された米CNNのインタビューで『我々が受け取った情報が間違っていたという事実を謝罪する』」と述べていました。

このことを伝えた「朝日新聞」(デジタル版)は、次のように続けています。

〈英メディアによると、ブレア氏がイラク戦争に関して公に謝罪するのは初めて。

イラク戦争は「イラクが大量破壊兵器を開発している」との「証拠」を根拠として米国主導で始まった。しかしその後、これは虚偽だったと判明。ブレア首相の支持率は急落し、07年の退陣につながった。

今回のインタビューでブレア氏は「フセイン大統領(当時)は化学兵器を自国民らに大規模に使ったが、その計画は我々が思っていたようには存在しなかった」と述べたほか、政権崩壊後の混乱について、「政権排除後に何が起こるかについて、一部の計画や我々の理解に誤りがあった」とも認めた。さらに、イラク戦争が過激派組織「イスラム国」(IS)が台頭した主な原因かと問われると、「真実がいくぶんある」と答えた。〉

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「安保関連法案」が「戦争法案」と呼ばれることを極端に嫌っていた安倍晋三氏は、国会での審議の際にもたびたび「レッテル貼り」と野党を批判していました。

日本政府に軍国化を迫るだけではなく、「第3次アーミテージ・リポート」では、「日本の原発再稼働やTPP参加、特定秘密保護法の制定、武器輸出三原則の撤廃」をも要求していました。

「大義なきイラク戦争を主導したラムズフェルド元国防長官とアーミテージ元国務副長官」の二人にたいして「文化の日」に勲一等、「旭日大綬章」を贈ったことは、安倍政権の好戦的な性格を雄弁に物語っていると思われます。

 

リンク→リメンバー、9.17(3)――「安保関連法」の成立と「防衛装備庁」の発足

リンク→戦争と文学 ――自己と他者の認識に向けて

安倍晋三首相の公約とトルーマン大統領の孫・ダニエル氏の活動――「長崎原爆の日」に(2) 

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(長崎市に投下されたプルトニウム型原爆「ファットマン」によるキノコ雲。画像は「ウィキペディア」)。

 

長崎も9日、米軍が原爆を投下してから70年を迎えました。ここでは「東京新聞」の記事によりながら、長崎市の平和公園で行われた平和祈念式典で語られた市長や被爆者の言葉をまず確認します。

その後で、原爆投下を命令したトルーマン大統領の孫ダニエル氏の場合と比較することにより岸信介首相の孫である安倍首相の公約の意味を考察することにします(太字は引用者)。

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田上富久市長は平和宣言で安全保障関連法案について「70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっている」と指摘しました。

注目したいのは、安倍晋三首相が今年から来年にかけて長崎や広島で主要7カ国(G7)外相会議など国際会議を開くことに触れて、「被爆地から我々の思いを国際社会に力強く発信」していくと述べつつも、被爆地の市長が求めた「安全保障関連法案」の「慎重で真摯(しんし)な審議」にはまったく触れなかったことです。

被爆者代表の谷口稜曄さん(86)は平和への誓いで「今政府が進めようとしている戦争につながる安保法案は、被爆者をはじめ平和を願う多くの人が積み上げてきた核兵器廃絶の運動、思いを根底から覆すもので、許すことはできない」と安倍首相と与党を厳しく批判していました。

実際、核兵器の使用も公言しているばかりでなく、「イラク戦争」に際しては多量の「劣化ウラン弾」を使用していたアメリカ軍の「後方支援」に当たることを可能とするこの法案を強引に成立させることは、「国際社会の核軍縮の取り組みを主導していく」という首相自身の言葉を裏切ることになるでしょう。

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この意味で注目したいのは、「核兵器は残虐で人道に反する兵器です」と語った被爆者代表の谷口氏が、「廃絶すべきだということが、世界の圧倒的な声になっています」と続けていたことです。

実際、8月6日放送された「報道ステーション」によれば、トルーマン大統領の孫で幼い頃から「原爆は正義」と教わってきたダニエル氏も、原爆で白血病になり12歳でなくなった佐々木禎子さんの物語『禎子と千羽鶴』を読んだことから、トルーマン大統領の孫としてできることはこの悲惨な状況を多くのアメリカ人に伝えることだと気づいたのです(トルーマンの孫としていま-」、テレビ朝日「報道ステーション」)。

アメリカだけではなく、過去最多の75カ国から大使らが出席したこの「平和式典」で、岸信介首相の孫である安倍首相が「『核兵器のない世界』の実現に向けて、国際社会の核軍縮の取り組みを主導していく」と約束したことは非常に意義深いことです。

世界への「公約」を誠実に実行するためには、「核武装」を公言している武藤貴也議員を処分するとともに、「安全保障関連法案」の問題点の「慎重で真摯な審議」をすることが不可欠と思われます。

 

リンク→原子雲を見た英国軍人の「良心の苦悩」と岸信介首相の核兵器観――「長崎原爆の日」に(1) 

リンク→「安全保障関連法案」の危険性(2)――岸・安倍政権の「核政策」