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終末時計

「国民の安全と経済の活性化のために脱原発を」に追加した箇所を掲載

昨日、俳優・中村敦夫氏の朗読劇について記した短い劇評をアップしました。

  元・原発技術者と木枯し紋次郎――朗読劇「線量計が鳴る」を観る 

それに関連してトップページの「国民の安全と経済の活性化のために脱原発を」に、8,「終末時計の時刻とトランプ大統領の核政策」の項目を加筆し、9, 「北朝鮮情勢と安倍政権の核政策」、10,〔「核兵器禁止条約」と日本〕を追加しました。加筆および追加した箇所を以下に再掲します。

8,  終末時計の時刻とトランプ大統領の核政策

アメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、日本国憲法が発布された1947年に世界終末時計を発表して、その時刻がすでに終末の7分前であることに注意を促していた。冷戦の終結によって「残り17分」までに回復したが、2015年にはその時刻がテロや原発事故の危険性から1949年と同じ「残り3分」に戻った。さらに、2017年1月にはトランプ大統領が「核廃絶」や地球の温暖化に対して消極的な発言を行なったことなどから「残り2分半」になったと発表された。

9, 北朝鮮情勢と安倍政権の核政策

7月7日には国連で「核兵器禁止条約」が国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたが参加すらしなかった日本の安倍政権は、水爆実験やミサイルの発射などを繰り返した北朝鮮に対してトランプ大統領が「北朝鮮を完全破壊」することもありうるとの恫喝的な発言を国連で行い国際社会からの強い顰蹙を買った際にもその危険性を指摘しなかった。

しかし、狭い国土に世界の7%に当たる110の活火山を有する火山大国であり、地震大国でもある日本に、現在、54基もの原発があり、安倍政権によってその稼働が進められていることを考慮するならば、日本をも巻き込んだ極東での戦争がレベル7の大事故だった福島第一原子力発電所事故以上の地球規模の大惨事となることは明白のように思われる。

10,「核兵器禁止条約」と日本

つまり、「核兵器禁止条約」は理想論ではなく、「化学兵器禁止条約」と同じように人道的な条約であり、さらに地球と人類を存続させるための現実的で切実な条約といえるだろう。

原水爆の危険性と非人道性をよく知る被爆国日本は、「核の傘」理論が机上の空論であり、キューバ危機の時のように憎悪や恐怖の感情に襲われた時には役に立たないことを明らかにして、非核運動の先頭に立つべきであろう。

映画《ゴジラ》六〇周年と終戦記念日(四)、「終末時計」の時刻と『ゴジラの哀しみ』の構想

いよいよ選挙の日が近づいてきましたが、いまだに新聞などの分析では「改憲」勢力が議席の三分の二を占める可能性が高いことが指摘されています。

できれば、選挙前に出版したかったのですが、全体の流れを紹介する序章をなんとか書き上げましたので、今回はその(四)を掲載します。より多くの人に安倍政権の反憲法的な危険性の一端が伝わり、一人でも多くの方が投票することを願っています。

*   *   *

第四節 「終末時計」の時刻と『ゴジラの哀しみ』の構想

憲法学者の樋口陽一氏は、安倍政権の政治の手法によって日本では、「法治国家の原則が失われており、専制政治の状態に近づいている。そういう状態に、我々は立っている」と書いている(『「憲法改正」の真実』)。

実際、八割を超える閣僚が「日本会議国会議員懇談会」に所属しているだけでなく、自分の気に入らない質問に対してはきちんと答えない安倍首相の国会答弁や、問答無用という感のある「特定秘密保護法」や「戦争法」の強行採決などを見ていると同じような危惧の念を強く持つ。さらに問題は、年金の問題など国民に公表すべき重要な情報であっても、ことに政権に不利な情報は徹底的に隠蔽することである。

それは大地震や火山の噴火が続くにも関わらず、川内原発などの稼働を止めない安倍政権の非科学的な自然観についてもいえる。安倍政権の閣僚たちは中世と同じように日本が「国造り神話」によって出来たと考えているのかもしれないが、地球の地殻変動で形成された日本が地震大国であり、火山の国でもあることを忘れてはならない。安倍政権は「四海に囲まれた自然豊かな風土を持つ日本」を強調しているが、その豊かな自然を放射能で汚染し、日本人の生命を危険にさらす原発政策を進めているのが安倍政権である。

たとえば、その意向を受けたNHKの籾井会長は、地震後の原発報道は「住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えてほしい」という指示を出していた。このような対応は核汚染の危険性の公表は国民を恐怖に陥れるとして報道規制をした政府の対応も描き出していた映画《ゴジラ》のことを思い起こさせる。

終戦直前の八月に広島と長崎にウラン型原子爆弾「リトルボーイ」とプルトニウム型原爆「ファットマン」が相次いで投下されてから二年後の一九四七年にアメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、原爆争など人類が生み出した技術によって世界が滅亡する時間を午前〇時になぞらえた「世界終末時計」の時刻が終末の七分前になったと発表した。さらに湯川秀樹博士ら著名な科学者は「第五福竜丸」の後の一九五五年に「ラッセル・アインシュタイン宣言」を発表して核の時代における戦争が地球を破滅に導く危険性を指摘したが、映画《ゴジラ》の公開はそれに先だっていたのである。

それゆえ、『ゴジラの哀しみ』の「第一部 映画《ゴジラ》から黒澤映画《夢》へ」では、本多監督と黒澤監督との交友にも注意を払いながら、「ゴジラ」の変貌の問題を「第五福竜丸」事件の後で撮影された映画《ゴジラ》からチェルノブイリ原発事故に衝撃を受けて製作された映画《夢》までの流れをとおして考察することにしたい。

すなわち、第一章「ゴジラの咆哮と悲劇の発生」では、映画《ゴジラ》と《ジョーズ》とを比較することでこの二つの映画では悲劇の発端が、重大な情報の隠蔽であることに注意を促す。

第二章「映画《モスラ》(一九六一)から《風の谷のナウシカ》(一九八四)へ」では、社会的・文化的な背景をも詳しく考察することで映画《モスラ》や《モスラ対ゴジラ》が、黒澤映画《用心棒》や《風の谷のナウシカ》とも深い関わりがあることを示した『モスラの精神史』を分析する。

第三章「映画《惑星ソラリス》から一九八四年版の映画《ゴジラ》へ」では、時間的には少し遡ることになるが、黒澤監督が映画《デルス・ウザーラ》の撮影中にソ連のタルコフスキー監督の映画《惑星ソラリス》(一九七三)を見ていたことに注目することにより、黒澤が語ったソ連の若者の核戦争観が、一九八四年版の映画《ゴジラ》の筋に強い影響を与えている可能性を指摘する。さらに、映画《日本沈没》(一九七三)における日本海トラフの指摘に注目することにより、一九八四年版の映画《ゴジラ》が地震大国であり火山国でもある日本の自然環境をきちんとふまえて映画化されていることを指摘する。

第四章「「ゴジラ」の理念の変質と映画《夢》」では、序章でも簡単に見た「ゴジラシリーズ」での「ゴジラ」の変貌を追うとともに、チェルノブイリ原発事故が起きた年に亡くなったタルコフスキーの《サクリファイス》にも注意を払うことで、福島第一原子力発電所を予言したとも言われる本多監督が演出補佐として参加していた映画《夢》の「赤富士」のシーンの意味に迫る。

昨年の一月二二日に『原子力科学者会報』は、「終末時計」が冷戦期の一九四九年と同じく「残り3分」になったと発表した。

冷戦が終わり、二一世紀に入った現代においても、世界終末時計が米ソの二つの大国が激しく対立していた一九四九年と同じ「残り3分」になったことに衝撃を受けた。軍事的な超大国となったアメリカを初めとして多くの国が、武力によって「テロ」などが制圧できると信じているようだが、歴史をふりかえるならばそれは妄想にすぎないだろう。一方、岸信介首相と同じように未だに原子力エネルギーの危険性を認識していないだけでなく、「歴史修正主義」的な傾向を強く持つ安倍政権は、原発だけでなく武器輸出などの軍拡政策をとることにより、目先の経済的利益を追求し始めているのである。

第二部「小説『永遠の0(ゼロ)』(二〇〇六)の構造と「オレオレ詐欺」の手法」では、安倍首相との共著もある百田尚樹氏が二〇〇六年に出版した『永遠の0(ゼロ)』(太田出版)を歴史的な事実をふまえて文学論的な手法で分析することにより、そこに秘められているイデオロギーの危険性を明らかにする。

すなわち、第一章「孫が書き記す祖父の世代の美しい物語」では、もう一人の主人公ともいえるほど影響力が大きい存在ながらあまり焦点が当てられないもう一人の「祖父」の役割などに注意を払うとともに、物語の骨格を定めている「取材という手法」と百田氏がノンフィクションと称する『殉愛』との類似性を指摘する。

第二章「地上での視線を欠いた『空』の戦いの物語」では、たしかにガダルカナル島での兵士の悲惨な状態や将軍たちの批判は為されてはいものの、それは伝聞の形で語られており、生の声で語られる体験としての迫力や説得力には欠けることを、国内の状況を具体的に描いた映画《少年H》や劇《闇に咲く花》との比較をとおして明らかにする。

第三章「高山という新聞記者――新聞の役割と『司馬史観』論争」では、小説のクライマックスともいえる高山と元一部上場企業の社長だった武田との対決やその前後の登場人物の言葉をとおして、この小説が一九九六年の司馬遼太郎の死後に起きたいわゆる「司馬史観」論争に際して科学的な歴史観を「自虐史観」と呼んだ「つくる会」のイデオロギーを強く受け継いでいることを、一九九七年に公演された井上ひさし氏の劇《紙屋町さくらホテル》と比較することで明らかにする。

第四章「神話の捏造――英雄の創出と『ゼロ』の神話化」では、プロローグでは「悪魔のようなゼロ」と描かれていた「特攻」が、英雄の創出と零戦の神話化によって、エピローグでは正反対の価値観になっていることを具体的に示す。

私がはじめて宮崎駿監督の作品を意識したのは、《風の谷のナウシカ》で「火の七日間」と「巨神兵」による「最終戦争」と科学文明の終焉が描かれているのを見たときであった。そこでは『罪と罰』のエピローグで描かれている「人類滅亡の悪夢」が見事に映像化されていると感じるとともに、映画《ゴジラ》の最も重要なテーマを受け継いでいると感じた。それゆえ、安倍政権が一九世紀的な「積極的平和主義」を掲げて、戦争のできる国を目指して「改憲」を掲げる中、宮崎駿監督の強い信頼を得ている庵野秀明監督が、どのような《シン・ゴジラ》を製作するのかを強い期待と不安を持って見守っている。

全体の終章にあたる「映画《風の谷のナウシカ》から映画《風立ちぬ》へ」では、「神話の捏造」という言葉で『永遠の0(ゼロ)』を厳しく非難していた宮崎駿監督のアニメ映画《風の谷のナウシカ》から映画《風立ちぬ》までを分析することにより、専制政治と核戦争の岐路に立たされていると思える現在の日本の状況を明らかにする。

そして、最後に核エネルギーの悲惨さを知っている日本の「自衛隊」には、ブッシュ政権の「大義なき戦争」によって始まった二一世紀の混乱を収束させるためには憲法九条の理念に沿って戦争には参加せず、大地震の際の救助活動など平和的な目的に限って活動するとともに、核の廃絶を世界に訴えるという文明的な課題があることを示したい。

(2016年11月2日、改訂してタイトルを改題)

「安全保障関連法案」の危険性(2)――岸・安倍政権の「核政策」

『ゴジラの哀しみ』、桜美林大学

〈「安全保障関連法案」の危険性――「国民の生命」の軽視と歴史認識の欠如〉と題した7月3日のブログ記事を私は次のように結んでいました。

「なお、原水爆の危険性を軽視した岸信介政権と同じように、原水爆だけでなく原発の問題も軽視している安倍晋三政権の危険性については、別の機会に改めて論じたいと思います。」

これを書いた時に意識していたのは、なかなか言及する暇がなかった5月24日の「東京新聞」朝刊第1面の〈核兵器禁止 誓約文書も賛同せず 被爆国で「核の傘」 二重基準露呈〉という北島忠輔氏の署名入りの記事のことでした。以下にその主な箇所を引用しておきます。

*   *

「核なき世界」に向け国連本部で開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議は二十二日、四週間の議論をまとめた最終文書を採択できず決裂、閉幕した。被爆七十年を迎える日本は、唯一の被爆国として核兵器の非人道性を訴えたが、核の被害を訴えながら、米国の「核の傘」のもと、核を否定できない非核外交の二面性も浮かんだ。

会議では、核兵器の非人道性が中心議題の一つとなった。早急な核廃絶を訴える一部の非保有国の原動力となり、オーストリアが提唱した核兵器禁止への誓約文書には、会議前には約七十カ国だった賛同国が閉幕時には百七カ国まで増えた。…中略…日本は「核保有国と非保有国に共同行動を求める」(岸田文雄外相)との姿勢で臨んだが、両者が対立する問題では橋渡し役を果たせなかった。また、早急な核廃絶に抵抗する保有国と足並みをそろえて誓約文書に反対する立場をとった。」

*   *

この記事から浮かんでくるのは、世界で唯一の被爆国でありながら「誓約文書に反対する立場」をとる安倍政権の奇妙な姿勢ですが、その方向性は安倍首相の祖父・岸信介の政権で決められていたように思えます。

なぜならば、毎日新聞が1月18日朝刊の第1面で〈日米が「核使用」図上演習〉という題名で、「米公文書」で明らかになった次のような事実を示していたからです。以下にその主な箇所を引用しておきます。

*   *

「70年前、広島、長崎への原爆投下で核時代の扉を開いた米国は、ソ連との冷戦下で他の弾薬並みに核を使う政策をとった。54年の水爆実験で第五福竜丸が被ばくしたビキニ事件で、反核世論が高まった被爆国日本は非核国家の道を歩んだが、国民に伏せたまま制服組が核共有を構想した戦後史の裏面が明るみに出た。(中略)58年2月17日付の米統合参謀本部文書によると、57年9月24~28日、自衛隊と米軍は核使用を想定した共同図上演習『フジ』を実施した。」

そして、「当時の岸信介首相は『自衛』のためなら核兵器を否定し得ないと国会答弁」しており、「核保有の選択肢を肯定する一部の発想は、その後も岸発言をよりどころに暗々裏に生き続けている」と指摘した日米史研究家の新原昭治氏の話を紹介しているのです。

つまり、「東条英機」内閣の重要な閣僚として「鬼畜米英」を唱えて「国民」を悲惨な戦争に駆り立てた岸首相は、戦後にはアメリカの「核政策」を批判するどころかその悲惨さを隠蔽して、「核兵器」の使用さえも認めていたのです。

このような岸首相の「核政策」が、いまだにアメリカのアンケートでは「核の使用」を正当化する比率が半数を超えているという現状だけでなく、核戦争など人類が生み出した技術によって、世界が滅亡する時間を午前0時になぞらえた「終末時計」が、再び「残り3分」になったと今年の科学誌『原子力科学者会報』で発表されたような事態とも直結しているとも思えます。

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(「キャッスル作戦・ブラボー(ビキニ環礁)」の写真。図版は「ウィキペディア」より)

(製作: Toho Company Ltd. (東宝株式会社) © 1954。図版は露語版「ウィキペディア」より)

*   *

このような日本政府の「核政策」は、日本の「代表的な知識人」である小林秀雄の言説にも反映しているようです。

すなわち、1940年8月に行われた鼎談「英雄を語る」で、戦争に対して不安を抱いた同人の林房雄が「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」と問いかけられると「大丈夫さ」と答え、「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ。(後略)」と続けていた小林秀雄は、湯川秀樹との対談では、「原子力エネルギー」と「高度に発達した技術」の問題を「道義心」を強調しながら厳しく批判していたにもかかわらず、「原子力の平和利用」が「国策」となると沈黙してしまったのです(太字は引用者、「英雄を語る」『文學界』第7巻、11月号、42~58頁。不二出版、復刻版、2008~2011年)。

*   *

「東京新聞」は今日(7月7日)夕刊の署名記事で、原発再稼働の政府方針を受けて「火山の巨大噴火リスクや周辺住民の避難計画の不十分さなどいくつも重要な問題が山積したまま、九州電力川内原発1号機(鹿児島県)が、再稼働に向けた最終段階に入った」ことを伝えています。

さらにこの記事は、「巨大噴火の場合は、現代の科学による観測データがなく、どんな過程を経て噴火に至るかよく分かっていない」などとの火山の専門家からの厳しい指摘があるだけでなく、「避難計画は、国際原子力機関(IAEA)が定める国際基準の中で、五つ目の最後のとりでとなる」にもかかわらず、「避難住民の受け入れ態勢の協議などはほとんどされていない」ことも紹介しています。

「周辺住民の避難計画」も不十分なままで強引に原発再稼働を進めようとする安倍政権の姿勢からは、満州への移民政策を進めながら戦争末期には多くの移民を「棄民」することになった岸信介氏の政策にも通じていると感じます。

両者の政策に共通なのは、スローガンは威勢がよいが長期的な視野を欠き、利益のために「国民の生命」をも脅かす危険な政策であることです。

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(作成:Toho Company, © 1955、図版は「ウィキペディア」より)

リンク→小林秀雄の原子力エネルギー観と終末時計

リンク→「小林秀雄の良心観と『ヒロシマわが罪と罰』」関連の記事一覧

 

「黒澤明監督の倫理観と自然観」の要旨を掲載

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 はじめに――黒澤監督のドストエフスキー観と黒澤映画《夢》

ドストエフスキーは『罪と罰』のエピローグで「人類滅亡の悪夢」を描いていたが、今年の初めには世界が滅亡する時間を示す「終末時計」が冷戦時の1949年と同じ「残り3分」に戻ったと発表された。原水爆の問題を正面から取り上げた黒澤明監督(1910~98年)の映画《生きものの記録》(1955年)から原子力発電所事故を予告したような映画《夢》(1990年)への深まりを地球倫理の視点から考察する。

黒澤監督が映像をとおして描いたようにドストエフスキーの文明観や倫理観はきわめて深いので、『罪と罰』や『白痴』などにも簡単に言及しながら、作家を深く敬愛したソ連の映画監督タルコフスキーとの深い交友や映画《デルス・ウザーラ》をも視野に入れることにより、映画《夢》に至る黒澤監督の自然観や倫理観に迫る。

そのことにより、単に19世紀的な自然観の危険性と絶望的な状況を描くだけでなく、『罪と罰』の結末のように復活の可能性もきちんと示していた黒澤映画《夢》の素晴らしさも明らかにできるだろう。

 Ⅰ、『罪と罰』の「人類滅亡の悪夢」と映画《夢》の「赤富士」と「鬼哭」

a、広島・長崎の悲劇と核兵器の開発競争

b、長編小説『罪と罰』との出会い――キューバ危機からベトナム戦争へ

c、黒澤映画《白痴》における「復員兵」の主人公と「殺すなかれ」という倫理

、映画《生きものの記録》とその時代

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(作成:Toho Company, © 1955、図版は「ウィキペディア」より)

a、「第五福竜丸」事件と映画《生きものの記録》

b、「季節外れの問題作」

c、《Я живу в страхе(私は恐怖の中で生きている)》

d、湯川秀樹博士と文芸評論家・小林秀雄との対談をめぐって

、映画《デルス・ウザーラ》における環境倫理

a、シベリアの環境問題と映画《デルス・ウザーラ》の筋と構想

b、シベリアの環境問題と「自然支配の思想」の批判

c、ドストエフスキーの自然観とタルコフスキーの映画《惑星ソラリス》

、映画《夢》における黒澤明監督の倫理観と自然観

a、『罪と罰』における夢の考察と映画《夢》の構造

b、「やせ馬が殺される夢」と「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」の各話

c、「死んだ老婆が笑う夢」と第四話「トンネル」の戦死した部下たちの亡霊

d、「人類滅亡の悪夢」と第六話「赤富士」・第七話「鬼哭」

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(画像はブログ「みんなが知るべき情報/今日の物語」より。http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/7da039753df523c21dcd451020f1e99c …

おわりに――ラスコーリニコフの「復活」と第八話「水車のある村」

資料 年表「終末時計の時刻と黒澤映画」

 

リンク→黒澤明・小林秀雄関連年表(1902~1998)

リンク→年表8,核兵器・原発事故と終末時計

(2015年5月27日、図版とリンク先を追加。2016年4月29日、改訂 )

講演「黒澤明監督の倫理観と自然観――映画《生きものの記録》から映画《夢》へ」に向けて

 

 5月23日(土曜)に行われる「地球システム・倫理学会」の研究例会では、「黒澤明監督の倫理観と自然観――《生きものの記録》から映画《夢》へ」という題名で講演を行います。

リンク→「地球システム・倫理学会」研究例会(5月23日)のお知らせ

講演の準備に取り組む中で黒澤明・小林秀雄関連年表にいくつかの重要な事項が抜けていたことに気づきました。「核兵器・原発事故と終末時計の年表にリンクするとともに、黒澤明・小林秀雄関連年表に下記の事項を追加しました。

また、黒澤明とタルコフスキーという二人の名監督の深い交流とその意義をめぐる堀伸雄氏のすぐれた論文が二誌に掲載されましたので*、両者の交友と作品の事項も追加しました。

リンク→年表7、黒澤明・小林秀雄関連年表(1902~1998)

*   *

1945年 【ロックフェラー財団会長レイモンド・フォスディックが原爆投下の知らせを聞いて「私は良心の呵責に苦しんでいる」と手紙に記す】。

1962年8月 『ヒロシマわが罪と罰――原爆パイロットの苦悩の手紙』、筑摩書房。(アインシュタインと共同宣言を出したラッセル卿の「まえがき」を所収)。

1965年 小林、数学者の岡潔と対談「人間の建設」(『新潮』10月号)でアインシュタインを批判。

1973年 黒澤、モスクワで映画監督タルコフスキーとともに《惑星ソラリス》を見る。

1986年 【5月 タルコフスキーの映画《サクリファイス》上映】。

 

(* 堀伸雄「黒澤明とアンドレイ・タルコフスキー ~『七人の侍』に始まる魂の共鳴」『黒澤明研究会誌』第32号、および「ドストエフスキーへの執念が育んだ〈絆〉」『ドストエーフスキイ広場』第24号)。

終末時計の時刻と回避された「核攻撃命令」

安倍政権は沖縄で再び住民の意思を全く無視した形で辺野古の基地建設を強引に進めていますが、本日の「東京新聞」朝刊は1962年の「キューバ危機」の際には、沖縄が核戦争の戦場になる危険性があったという衝撃的な事実を伝えています。

 

冷戦下、米沖縄部隊に核攻撃命令 元米軍技師ら証言

2015年3月14日 「東京新聞」

冷戦下の1962年、米ソが全面戦争の瀬戸際に至ったキューバ危機の際、米軍内でソ連極東地域などを標的とする沖縄のミサイル部隊に核攻撃命令が誤って出され、現場の発射指揮官の判断で発射が回避されていたことが14日、同部隊の元技師らの証言で分かった。

キューバ危機で、核戦争寸前の事態が沖縄でもあったことが明らかになったのは初めて。ミサイルは、核搭載の地対地巡航ミサイル「メースB」で、62年初めに米国施政下の沖縄に配備された。運用した米空軍第873戦術ミサイル中隊の元技師ジョン・ボードン氏(73)=ペンシルベニア州ブレイクスリー=が証言した。(共同)

  *   *   *

2月4日に書いたブログ記事「小林秀雄の原子力エネルギー観と終末時計」では、世界が滅亡する時間を午前0時になぞらえた「終末時計」の時刻が、「残り3分」になったと発表されたことに関連して、小林秀雄の原子力エネルギー観の問題を指摘しました。

1948年の湯川秀樹との対談「人間の進歩について」で、「原子力エネルギー」を産み出した「高度に発達した技術」の問題を「道義心」を強調しながら批判していた小林秀雄は、日本を取り巻く核廃絶の運動が衰退する流れに沿うかのように原子力エネルギーの危険性に対する指摘をパッタリとやめていたのです。

ことに核戦争が勃発する寸前にまで至っていた1962年の「キューバ危機」から3年後に行われた数学者の岡潔との対談では哲学者ベルグソンの視点に立ってアインシュタインを批判していました。

しかし、日本に落とされた原爆が引き起こした悲惨さを深く認識したアインシュタイン(1879~1955)は、水爆などが使用される危険性を指摘して戦争の廃絶を目指し、それは「ラッセル・アインシュタイン宣言」として結実していたのです。一方、哲学者ベルグソン(1859~1941)は原爆の危険性を知らずに亡くなっていました。

「原子力エネルギー」の問題を「道義心」の視点から批判していた小林秀雄は、当然、アインシュタインが持った危機感を共有していたと思えるのですが、1965年の対談からはその危機感のかけらも感じられないのです。

日本の代表的な知識人である小林秀雄の現実の危険性を直視しない姿勢が、今日の原発大国・日本にもつながっていると思われます。

(2016年2月17日。リンク先を追加)

リンク→小林秀雄の原子力エネルギー観と終末時計

リンク→自民党政権の「核の傘」政策の危険性――1961年に水爆落下処理

リンク→岸・安倍両政権と「核政策」関連の記事一覧

小林秀雄の原子力エネルギー観と終末時計

アメリカの科学誌『原子力科学者会報』は、2015年01月22日に、核戦争など人類が生み出した技術によって世界が滅亡する時間を午前0時になぞらえた「終末時計」が、「残り3分」になったと発表しました。

私自身が文学を研究する道を選んだ大きな動機は、「人類滅亡の悪夢」が描かれている『罪と罰』などをとおして戦争の危険性を訴えるためだったので、「終末時計」がアメリカに続いてソ連も原爆実験に成功した1949年と同じ「残り3分」になったことに強い衝撃を受けています。

それゆえ、「ウィキペディア」などを参考に「核兵器・原発事故と終末時計」の年表を作成しましたので、年表Ⅶとして年表のページに掲載します。

リンク→年表Ⅶ、核兵器・原発事故と終末時計

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(広島と長崎に投下された原子爆弾のキノコ雲、1945年8月、図版は「ウィキペディア」より)

*  *

日本における反原爆の運動と原発事故の問題については、前著『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』で考察しました。

しかし、1965年に行われた数学者の岡潔氏との対談「人間の建設」についての言及が抜けていたのでそれを補いながら、小林秀雄の「原子力エネルギー観」と歴史観との関連について簡単に記しておきます。

*  *

1947年に創設された終末時計は東西冷戦による核戦争の危機を評価の基準として、当初は「残り7分」に設定されましたが、文芸評論家の小林秀雄のすばらしい点はその翌年8月に行われた湯川秀樹との対談「人間の進歩について」で、「原子力エネルギー」と「高度に発達した技術」の問題を「道義心」を強調しながら批判していたことです。

しかし、年表をご覧頂ければ分かるように、日本を取り巻く核廃絶の環境はその頃から急速に悪化していき、そのような流れに沿うかのように小林秀雄の原子力エネルギーの危険性に対する指摘は陰を潜めてしまうのです。

リンク→http://zero21.blog65.fc2.com/blog-entry-130.html(湯川秀樹博士の原子力委員長就任と辞任のいきさつ)

たとえば、米ソで競うように水爆実権が繰り返されるようになる1953年から1960年までは最悪の「残り2分」となり、1962年の「キューバ危機」では核戦争が勃発する寸前にまで至りました。それを乗り越えたことにより「終末時計」は「残り12分」に戻ったものの、相変わらず「残り時間」がわずかとされていた1965年に小林秀雄は数学者の岡潔と対談しています。

ことにこの対談で哲学者ベルグソン(1859~1941)にも言及しながら物理学者としてのアインシュタイン(1879~1955)と数学者との考え方の違いについて尋ねた箇所は、この対談の山場の一つともなっています。

しかし、「(アインシュタインが――引用者注)ベルグソンの議論に対して、どうしてああ冷淡だったか、おれには哲学者の時間はわからぬと、彼が答えているのはそれだけですよ」という発言に現れているように、小林の関心は両者の関係に集中しているのです(『人間の建設』新潮文庫、60頁)。

小林秀雄はさらに、「アインシュタインはすでに二十七八のときにああいう発見をして、それからあとはなにもしていないようですが、そういうことがあるのですか」とも尋ねています(太字は引用者、68頁)。

しかし、日本に落とされた原爆が引き起こした悲惨さを深く認識したアインシュタインは、水爆などが使用される危険性を指摘して戦争の廃絶を目指し、それは彼が亡くなった1955年に「ラッセル・アインシュタイン宣言」として結実していたのです。

リンク→ラッセル・アインシュタイン宣言-日本パグウォッシュ会議

湯川博士との対談では「原子力エネルギー」と「高度に発達した技術」の危険性を小林が鋭く指摘していたことを思い起こすならば、ここでもアインシュタインの「道義心」を高く評価すべきだったと思えるのですが、そのような彼の活動の意義はまったく無視されているのです。

*  *

その理由の一端は、「歴史の一回性」を強調し、科学としての歴史的方法を否定した1939年の「歴史について」と題する『ドストエフスキイの生活』の次のような序で明らかでしょう。

「歴史は決して繰返しはしない。たゞどうにかして歴史から科学を作り上げようとする人間の一種の欲望が、歴史が繰返して呉れたらどんなに好都合だらうかと望むに過ぎぬ。そして望むところを得たと信ずるのは人間の常である」〔五・一七〕。

さらに、評論家の河上徹太郎と1979年に行った「歴史について」と題された対談でも、「煮詰めると歴史問題はどうなります? エモーション(感情、感動、編集部注)の問題になるだろう」と河上に語りかけた小林は、「なんだい、エモーションって……」と問われると、「歴史の魂はエモーショナルにしか掴めない、という大変むつかしい真理さ」と説明しているのです。

たしかに、「エモーション」を強調することで「歴史の一回性」に注意を促すことは、一回限りの「人生の厳粛さ」は感じられます。しかし、そこには親から子へ子から孫へと伝承される「思想」についての認識や、法律制度や教育制度などのシステムについての認識が欠けていると思われます。

「歴史の一回性」を強調した歴史認識では、同じような悲劇が繰り返されてしまうことになると思われますし、私たちが小林秀雄の歴史観を問題にしなければならないのも、まさにその点にあるのです*

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そのような問題意識を抱えながらベトナム戦争の時期に青春を過ごしていた私は、伝承される「思想」や法律制度や教育制度などのシステムについての分析もきちんと行うためには、「文学作品」の解釈だけではなく、「文明学」の方法をも取り入れてドストエフスキー作品の研究を行いたいと考えたのでした。

それから半世紀以上も過ぎた現在、人類が同じような問題に直面していることに愕然としますが、学生の頃よりは少しは知識も増え、伝達手段も多くなっていますので、この危機を次世代に引き継がせないように全力を尽くしたいと思います。

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注 *1940年8月に行われた鼎談「英雄を語る」で、「英雄とはなんだらう」という同人の林房雄の問いに「ナポレオンさ」と答えた小林秀雄は、ヒトラーも「小英雄」と呼んで、「歴史というやうなものは英雄の歴史であるといふことは賛成だ」と語っていた。

重大な問題は、戦争に対して不安を抱いた林が「時に、米国と戦争をして大丈夫かネ」と問いかけると小林は、「大丈夫さ」と答え、「実に不思議な事だよ。国際情勢も識りもしないで日本は大丈夫だと言つて居るからネ。(後略)」と続けていたことである。

この言葉を聴いた林は「負けたら、皆んな一緒にほろべば宣いと思つてゐる」との覚悟を示したのである。(太字は引用者、「英雄を語る」『文學界』第7巻、11月号、42~58頁。不二出版、復刻版、2008~2011年)。

(2015年6月4日、注を追加。6月11日、写真を追加)

 

「終末時計」の時刻と「自衛隊」の役割――『永遠の0(ゼロ)』を超えて(3)

『永遠の0(ゼロ)』の第2章で百田氏は長谷川に、「あの戦争が侵略戦争だったか、自衛のための戦争だったかは、わしたち兵士にとっては関係ない」と語らせていました。

しかし、政治家や高級官僚が決めた「国策」に対してその問題点をきちんと考えることをせずに、「わしたち兵士にとっては関係ない」として「考えること」を放棄し、「国策」に従順に従ったことが、満州や中国、韓国だけでなく、ガダルカナルや沖縄、さらに広島と長崎の悲劇を生んだのではないでしょうか。

若い頃に学徒動員で満州の戦車部隊に配属された作家の司馬遼太郎氏は、「日露戦争が終わると、日本人は戦争が強いんだという神秘的な思想が独り歩きした。小学校でも盛んに教育が行われた」とことを証言しています。そして、自分もそのような教育を受けた「その一人です」と語った司馬氏は、「迷信を教育の場で喧伝して回った。これが、国が滅んでしまったもと」であると分析していました(「防衛と日本史」『司馬遼太郎が語る日本』第5巻)。

こうして司馬氏は、「愛国心」を強調しつつ、「国家」のために「白蟻」のように勇敢に死ぬことを青少年に求める一方で、このような「国策」を批判した者を「非国民」として投獄した戦前の教育観を鋭く批判していたのです。

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文芸評論家の小林秀雄は一九三九年に書いた「歴史について」と題する『ドストエフスキイの生活』の序で、「歴史は決して繰返しはしない。たゞどうにかして歴史から科学を作り上げようとする人間の一種の欲望が、歴史が繰返して呉れたらどんなに好都合だらうかと望むに過ぎぬ」と記して、科学としての歴史的方法を否定していました〔五・一七〕。

しかし、人が一回しか生きることができないことを強調したこの記述からは、一種の「美」は感じられますが、親から子へ子から孫へと伝えられ、伝承される「思想」についての認識が欠けていると思われます。

たとえば、絶大な権力を一手に握ったことで「東条幕府」と揶揄された東条英機内閣で商工大臣として満州政策にも関わっていた岸信介氏は、首相として復権した1957年5月には「『自衛』のためなら核兵器を否定し得ない」とさえ国会で答弁して、「放射能の危険性」と「核兵器の非人道性」を世界に訴えることなく、むしろその「隠蔽」に力を貸していたのです。

そのような祖父の岸氏を敬愛する安倍首相は戦前の日本を高く評価しているばかりでなく、岸内閣の元で進められた「原子力政策」を福島第一原子力発電所事故の後でも継続しようとしており、安倍政権が続くと満州事変から太平洋戦争へと突入した戦前の日本と同じ悲劇が「繰り返される」危険性が高いと思われるのです。

過去を美しく描いて「過去の栄光」を取り戻そうとするだけでは、問題は何も解決できません。今回は「核兵器」の限定使用の危険性が高まっている現在の状況を踏まえて、「平和学」的な意味での「積極的平和主義」の視点から、日本の「自衛隊」が何をすることが世界平和にもっとも効果的かを考察することにします。

* 「『終末時計』残り3分に」 *

まず注目したいのは、アメリカの科学誌『原子力科学者会報』が、2015年01月22日に、核戦争など人類が生み出した技術によって世界が滅亡する時間を午前0時になぞらえ、残り時間を「0時まであと何分」という形で象徴的に示す「終末時計」が、再び残り3分になったと発表したことです。

このことを伝えた「The Huffington Post」紙は、コストや安全性、放射性廃棄物、核兵器への転用への懸念などをあげて「原子力政策は失敗している」ことを強調し、核廃棄物に関する議論などを積極的に行うよう求めています。

1947年に創設された終末時計は東西冷戦による核戦争の危機を評価の基準として、当初は「残り7分」に設定されていましたが、ソ連も原爆実験に成功した1949年からは「残り3分」に、米ソで競うように水爆実権が繰り返されるようになる1953年1960年までは最悪の「残り2分」となりました(下の表を参照)。

その後、核戦争が勃発する寸前にまで至った「キューバ問題」を乗り越えたことから「終末時計」は「残り12分」に戻ったものの、アメリカ・スリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故で状況が悪化した「終末時計」は、ようやくアメリカとソ連が戦略兵器削減条約に署名した1991年に「残り17分」にまで回復しました。

ソ連が崩壊したことで冷戦が解消されたことでしばらくはそこに留まったのですが、皮肉なことにソ連が崩壊してアメリカが唯一の超大国となったあとで時計の針が再び前に動き、「福島第一原発の事故後の2012年には終末まで5分に進められた」。そして、今回は悪化する地球環境問題などを踏まえて、1949年と同じ「残り3分」にまで悪化しているのです。

終末時計

 

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『永遠の0(ゼロ)』で百田氏は「もちろん戦争は悪だ。最大の悪だろう」と語った長谷川に、「だが誰も戦争をなくせない」と続けさせていました。

たしかに、これまでの人類の歴史には戦争が絶えることはありませんでした。しかし、「終末時計」の時刻が示している事態は、「武力」では何も根本的な解決ができないことを何よりも雄弁に物語っているだけでなく、「核兵器」が用いられるような戦争がおきれば、《生きものの記録》の主人公が恐れたように地球自体が燃え上がってしまうということです。

一方、アメリカ軍に「平和」の問題を預けていた日本政府は冷戦という状況もあり、これまでは「核兵器の廃絶」に積極的には動いてきませんでした。このことが世界における「放射能」の危険性の認識が深まらなかった一因だと思われます。

また、今日の「日本経済新聞」(デジタル版)は、「日本の火山、活動期入りか 震災後に各地で活発との見出しで、「国内の火山活動が活発さを増している」ことを報じています。

それゆえ私は、「自衛隊」が世界で尊敬される組織として存在するためには、「防衛力」は、自国を「自衛することができるだけの力」にとどめて、巨大な自然災害から「国民」を守るだけでなく、広島や長崎における「放射能」被害の大きさ学んでそれを世界に伝える「部隊」を設立して、世界各国の軍関係者への広報活動を行うべきだと考えています。

*   *

むろん、このようなことは沖縄の住民など「国民の声」を聞く耳を持たないばかりでなく、地球を創造し日本列島を地殻変動で形成するなど、人間の科学力では予知し得ないような巨大なエネルギーを有している「自然への畏怖の念」も感じられない安倍政権では一笑にふされるだけでしょう。

しかし、現在の地球が置かれている状況を直視するならば、「核の時代」では戦争が地球を滅ぼすという「平凡な事実」をきちんと認識して、核兵器の廃絶と脱原発への一歩を「国民」が勇気を持って踏み出す時期に来ていると思います。