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大河ドラマ

「維新」という幻想と裏切られた「革命」――小林秀雄のドストエフスキー観と『夜明け前』論

序に代えて――『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機』を書き終えて

 ブルガリア・ドストエフスキー協会の主催による国際シンポジウムが昨年の10月23日から26日にかけて行われた。この年が長編『白痴』の刊行から一五〇年に当たる年であるため、『白痴』をテーマとした発表が多く行われ、黒澤映画《白痴》の「円卓会議」も行われた。その企画の打ち合わせや発表の準備のために、発行を急いでいた拙著の脱稿は大幅に遅れてしまった。

しかし、私のドストエフスキー論を確立する上でも重要なこの映画について再び考える機会が与えられたのは私にとって幸いだったのでいずれ論文として発表することにしたい。

 ここでは拙著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』(成文社)執筆までの私の小林秀雄についての考察の歩みと今後の方向性を覚え書きの形で簡単に書いておきたい。

「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機 高橋 誠一郎(著/文) - 成文社  

一、小林秀雄の復権と「神話」への懐疑

 敗戦後間もない1946年の座談会「コメディ・リテレール」ではトルストイ研究者の本多秋五などから戦時中の言動を厳しく追及された文芸評論家の小林秀雄(1902~1983)は、「僕のような気まぐれ者は、戦争中支那なぞをうろつき廻り、仕事なぞろくにしなかったが、ドストイエフスキイの仕事だけはずっと考えていた」と語っていた。

 作家の坂口安吾も1947年に著した「教祖の文学 ――小林秀雄論」で、「思うに、小林の文章は心眼を狂わせるに妙を得た文章だ」と書き、小林秀雄が「生きた人間を自分の文学から締め出して」、「骨董の鑑定人」になってしまったと厳しく批判したことはよく知られている(『坂口安吾全集 5』、筑摩書房、1998年、239~243頁)。

 1948年には「『罪と罰』についてⅡ」を『創元』に掲載し、黒澤明監督の映画《白痴》が公開された翌年の1952年から2年間にわたって「『白痴』についてⅡ」を連載した小林は、徐々に評論家としての復権を果たし、「評論の神様」と称されるようになる。

 一九四九年生まれの私は、いわゆる「小林神話」が強い時期に青春を過ごし、「告白」の重要性に注意を払うことによって知識人の孤独と自意識の問題に鋭く迫った小林秀雄のドストエフスキー論からは私も一時期、強い影響を受けた。

 しかし、原作の文章と比較しながら小林秀雄の評論を再読した際には、「異様な迫力をもった文体」で記されてはいるが、そこでなされているのは研究ではなく新たな「創作」ではないかと感じるようになった。

 それゆえ、作家の丸谷才一が1980年に「小林秀雄の文章を出題するな」というエッセイを発表して、芥川龍之介の『少年』と『様々なる意匠』の2つの文章を並べて出題した「北海道大学の入試問題をこてんぱんにやっつけたときには、よくぞ言ってくれたと快哉を叫んだものである」と書いたフランス文学者の鹿島茂氏同じような感慨を私も強く抱いた。

二、方法の模索

 文壇だけでなく学問の世界にも強く根をはっていた小林秀雄のドストエフスキー論と正面から対峙するには、膨大な研究書や関連書がある小林秀雄を批判しうる有効な手法を模索せねばならず、予想以上の時間が掛かった。

 ようやくその糸口を見つけたと思えたのは、小林秀雄の『白痴』論とはまったく異なったムィシキン像が示されている黒澤映画《白痴》をとおして長編小説『白痴』を具体的に分析した拙著『黒澤明で「白痴」を読み解く』を2011年に出版した後のことであった。

 すなわち、『罪と罰』と『白痴』の連続性を強調するために小林秀雄は、「来るべき『白痴』はこの憂愁の一段と兇暴な純化であつた。ムイシュキンはスイスから還つたのではない、シベリヤから還つたのである」と書いていた。しかし、シベリアから帰還したことになると、判断力がつく前に妾にされていたナスターシヤの心理や行動を理解する上で欠かせない、ムィシキンのスイスの村での体験――マリーのエピソードやムィシキンが衝撃を受けたギロチンによる死刑の場面もなくなってしまうのである。

 「『白痴』についてⅠ」の第三章で、小林は「ムイシュキンの正体といふものは読むに従つていよいよ無気味に思はれて来るのである」と書き、簡単な筋の紹介を行ってから「殆ど小説のプロットとは言ひ難い」と断じている〔87~88〕。しかしそれは、それはスイスでのエピソードが省かれているばかりでなく、筋の紹介に際しても重要な登場人物が意図的に省略されているために、ムィシキンの言動の「謎」だけが浮かび上がっているからだと思われる。

 一方、黒澤明は復員兵の亀田(ムィシキン)が死刑の悪夢を見て絶叫するという場面を1951年に公開した映画《白痴》の冒頭で描くことで、長編小説『白痴』のテーマを明確に示していたのである。

 福島第一原発事故後の2014年に出版した『黒澤明と小林秀雄――「罪と罰」をめぐる静かなる決闘』では、長編小説『白痴』に対する彼らの解釈の違いばかりでなく、「第5福竜丸」事件の後で映画《生きものの記録》を撮った黒澤明監督と、終戦直後には原爆の問題を鋭く湯川秀樹に問い詰めていながら、その後は沈黙した小林との核エネルギー観の違いにも注意を払うことで、彼らの文明観の違いをも浮き彫りにした。

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三、「維新」という幻想――明治の文学者のドストエフスキー理解

 ただ、黒澤明は評論家ではなく、映像をとおして自分の考えを反映する映画監督であった。そのために、黒澤明の映画をとおして小林秀雄のドストエフスキー論を批判をするという方法では小林秀雄の問題点を指摘することはできても、言論活動である小林秀雄の評論をきちんと批判すること上ではあまり有効ではなかった。

 一方、2010年にはアメリカの圧力によって「開国」を迫られた幕府に対して、「むしろ旗」を掲げて「尊王攘夷」というイデオロギーを叫んでいた幕末の人々を美しく描いたNHKの大河ドラマ《龍馬伝》が放映され、2015年には小田村四郎・日本会議副会長の曽祖父で吉田松陰の妹・文の再婚相手である小田村伊之助(楫取素彦・かとりもとひこ)をクローズアップした大河ドラマ《花燃ゆ》が放映された。

 さらに、「明治維新」150年が近づくにつれて「日本会議」系の政治家や知識人が「明治維新」の意義を強調するようになった。そのことを夏目漱石の親族にあたる半藤一利は、漱石の「維新」観をとおしてきびしく批判していたが、それは間接的には小林秀雄の歴史認識をも批判するものであった。

→ 半藤一利「明治維新150周年、何がめでたい」 – 東洋経済オンライン

 それゆえ、私は拙著『「罪と罰」の受容と「立憲主義」の危機――北村透谷から島崎藤村へ』では、『罪と罰』を邦訳した内田魯庵や、明治時代に『罪と罰』のすぐれた評論「『罪と罰』の殺人罪を書いた北村透谷、そして、『罪と罰』の筋や人物体系を詳しく研究することで長編小説『破戒』を書き上げた島崎藤村などをとおして、小林秀雄のドストエフスキー観の問題点を明らかにしようとした。

 その第一の理由は彼らの読みが深いためだが、さらに、「明治維新」が強調される現代の政治や社会の状況が、「神祇官」が設置された明治初期の藩閥政府による独裁政治や、「大東亜戦争」に突入する暗い昭和初期と似てきているからである。明治政府の宗教政策や文化政策の問題点を正確に把握していた北村透谷や島崎藤村などの視点と手法で『罪と罰』を詳しく読み解くことは、「古代復帰」を夢見て、武力による「維新」を強行した日本の近代化の問題点と現政権の危険性をも明らかにすることにもつながると考えた。

 拙著では小林秀雄の『罪と罰』論が本格的に考察されるのはようやく第6章にいたってからなので、迂遠な感じもするのではないかとの危惧もあったが、献本した方々からの反応は予想以上によかった。それは、幕末から明治初期に至る激動の時代に生き、平田篤胤没後の門人となって「古代復帰の夢想」を実現しようと奔走しながら夢に破れて狂死した自分の父を主人公のモデルにした島崎藤村の大作『夜明け前』を最初に考察したことがよかったのではないかと思える。

 実は、『夜明け前』の主人公の青山半蔵が「明治維新後」には「過ぐる年月の間の種々(さまざま)な苦い経験は彼一個の失敗にとどまらないように見えて来た。いかなる維新も幻想を伴うものであるのか、物を極端に持って行くことは維新の附き物であるのか(後略)」と考えるようになっていたとも島崎藤村は記していたのである(『夜明け前』第2部第13章第4節)。

 

 そして、明治の賛美者とされることの多い作家の司馬遼太郎も、幕末の「神国思想」が「国定国史教科書の史観」となったと指摘し、「その狂信的な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨憺(さんたん)たる荒廃におとし入れた」と続けていた(太字は引用者、『竜馬がゆく』文春文庫)。

 →https://twitter.com/stakaha5/status/907828420704395266

こうして、島崎藤村の作品に対する小林秀雄の評論をも参照することにより、「天皇機関説」事件によって明治に日本が獲得した「立憲主義」が崩壊する一方で、「弱肉強食」を是とするドイツのヒトラー政権との同盟が強化されていた昭和初期に評論家としてデビューした小林秀雄のドストエフスキー論には、幕末の「尊王攘夷」運動にも通じるような強いナショナリズムが秘められていることを明らかにできたのではないかと考えている。

そして、それは「政教一致」政策を行うことでキリスト教の弾圧を行ったばかりでなく、仏教に対する「廃仏毀釈」運動を行っていた明治の「維新」を高く評価している現在の政権の危険性をも示唆通じるだろう。

 →https://twitter.com/stakaha5/status/816241410017882112

 

四、小林秀雄の戦後の言論活動と堀田善衛の『若き日の詩人たちの肖像』

 ただ、小林秀雄が戦後に評論家として復活する時期の言論活動についての考察まで含めると発行の時期が大幅に遅れるので今回は省いた。

 「評論の神様」として復権することになる小林秀雄の評論の詳しい検証は、稿を改めてドストエフスキーの『白夜』だけでなく、『罪と罰』や『白痴』にも言及しながら、昭和初期の日本を詳しく描くことにより、戦後に復権した岸政権との類似性とその危険視を鋭く指摘していた堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』の考察をとおして行うことにしたい。

 最後に、拙著で考察した小林秀雄の文学解釈の特徴と危険性を箇条書きにしておく。

1,作品の人物体系や構造を軽視し、自分の主観でテキストを解釈する。

2,自分の主張にあわないテキストは「排除」し、それに対する批判は「無視」する。

3,不都合な記述は「改竄」、あるいは「隠蔽」する。

 これらの小林秀雄の評論の手法の特徴は、現代の日本で横行している文学作品の主観的な解釈や歴史修正主義だけでなく、「公文書」の改竄や隠蔽とも深くかかわっていると思われる。

https://twitter.com/stakaha5/status/1100621472278536193

 (2019年3月11日、改訂)

 

NHK新会長の発言と報道の危機――司馬遼太郎氏の報道観をとおして

 

私は1994年4月から1年間、1876年創設という古い伝統を持つイギリス・ブリストル大学で、ロシアと日本の近代化の比較をテーマとして研究する機会を与えられました。そのことが私のドストエフスキー研究に大きな意味を持っていることはすでに書きました。

このときのイギリスでの滞在はロシア文学の研究だけでなく、植民地の問題やアヘン戦争などイギリスの近代化の問題の考察の面でも大きな意味がありましたが、それ以外にも自然保護を行うナショナルトラスト運動やイギリスにおける公共放送の役割の認識も深めることができました。

たとえば、BBCやITNといったテレビ局のニュースの解説者にアフリカ系の黒い肌の人がいたりして、民族問題に対する姿勢を感じたりもしました。これは過去に植民地を持っていたイギリスや民族問題をつねに抱えているアメリカなどでは常識なのでしょうが、新鮮な驚きでした。

また、公共放送としても、NHKと比較すると報道も国際情勢を広い視点からなるべく客観的に伝えようとしていることにも強い共感を覚え、戦前や戦中の日本における報道のあり方が自国中心主義であったことを鋭く批判していた作家の司馬遼太郎氏の言葉を改めて思い出してもいました。

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すでに多くの新聞が報じていますが、NHKの籾井(もみい)勝人会長は25日の会見で、日本の戦時中の行動や植民地支配に対する反省が感じられないような発言を繰り返し、その後「就任の記者会見という場で私的な考えを発言したのは間違いだった。私の不徳の致すところです。不適当だったと思う」と反省の弁を述べたとのことです。

しかし、公共放送のトップが私的な見解とはいえ、会見でこのような発言をすることは、報道機関のトップとしての資質に欠けると言わねばならないでしょう。

ここでは「報道」根幹に関わる「特定秘密保護法」についての発言を大きく取り上げた「東京新聞」の本日付の社説の一部を引用しておきます。

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籾井氏は、NHKが従うべき放送法第一条の「目的」に掲げられた「不偏不党」の意味を取り違えてはいないか。例えば、昨年暮れの臨時国会で与党が強行可決した特定秘密保護法である。

籾井氏は就任会見で「一応(国会を)通っちゃったんで、言ってもしょうがない。政府が必要だと言うのだから、様子を見るしかない。昔のようになるとは考えにくい」と述べた。

 同法は、防衛・外交など特段の秘匿が必要とされる「特定秘密」を漏らした公務員らを厳罰に処す内容だが、法律の乱用や人権侵害の可能性が懸念されている。

にもかかわらず「昔の(治安維持法の)ようになるとは考えにくい」と言い張るのは、一方的な見解の押し付けにほかならない。

秘密保護法を推進した安倍晋三首相側への明らかなすり寄りで、もはや不偏不党とはいえない。

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原発事故の大きさを隠蔽していると思えるような報道からは政権との癒着が疑われるような感じを強く受けていましたが、今回の会見からはNHKが自立した公共放送の資格を放棄した観すらあります。

最近はNHKのニュース番組や報道番組をあまり見なくなっているので、詳しい状況を分析することはできませんが、本日付けの「沖縄タイムス」には新会長の発言に関連して次のような社説が載っていました。

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24日夜に放送されたNHKスペシャル「返還合意から18年 いま“普天間”を問う」は、政府の広報番組のような内容だった。

小野寺五典防衛大臣の言い分をえんえんと流すだけ。名護市長選の意味を問い直すこともなく、辺野古移設反対の民意を丁寧に伝えることもなかった。

NHKの内部で何が起きているのか。受信料を徴収している以上、説明責任を果たすことが不可欠である。

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このブログでも書いたように司馬氏の原作を元にしたスペシャルドラマ《坂の上の雲》が、「むしろ旗」を掲げて「尊王攘夷」を叫んでいた幕末の人々を美しく描き出した大河ドラマ《龍馬伝》を挟んで放映されたことは、イデオロギーの危険性を指摘していた司馬氏の意向に反していたばかりでなく、日本のナショナリズムを煽ることになり、選挙結果にも大きく影響したと考えています(ブログ記事〈改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」〉参照)。

そればかりではなく、近隣の国々のナショナリズムをも煽り建てることになり、東アジアの緊張を高める結果になったと思えます。

「国家」の名の下に「国民」に「沈黙」と「犠牲」を強いて「亡国への坂」をころがった「昭和初期の日本」の問題点を鋭く指摘した司馬氏の考察は、ブログ記事「司馬作品から学んだことⅨ――「情報の隠蔽」と「愛国心」の強調の危険性」で紹介していましたが、現在の日本はその時と非常に似てきていると思えますので、再掲しておきます。

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ロシア帝国の高級官僚たちとの類似を意識しながら司馬は、日露戦争のあとで「教育機関と試験制度による人間が、あらゆる分野を占めた」が、「官僚であれ軍人であれ」、「それぞれのヒエラルキーの上層を占めるべく約束されていた」彼らは、「かつて培われたものから切り離されたひとびとで」あり、「わが身ひとつの出世ということが軸になっていた」とした。

そして、「かれらは、自分たちが愛国者だと思っていた。さらには、愛国というものは、国家を他国に対し、狡猾に立ちまわらせるものだと信じていた」とし、「とくに軍人がそうだった」とした後で司馬は、「それを支持したり、煽動したりする言論人の場合も、そうだった」と続けたのである(「あとがき」『ロシアについて』、文春文庫)。

 このような考察を踏まえて司馬はこう記すのである。「国家は、国家間のなかでたがいに無害でなければならない。また、ただのひとびとに対しても、有害であってはならない。すくなくとも国々がそのただ一つの目的にむかう以外、国家に未来はない。ひとびとはいつまでも国家神話に対してばかでいるはずがないのである」。

 さらに晩年の『風塵抄』で司馬は、「昭和の不幸は、政党・議会の堕落腐敗からはじまったといっていい」と書き、「健全財政の守り手たちはつぎつぎに右翼テロによって狙撃された。昭和五年には浜口雄幸首相、同七年には犬養毅首相、同十一年には大蔵大臣高橋是清が殺された」と記し、「あとは、軍閥という虚喝集団が支配する世になり、日本は亡国への坂をころがる」と結んだ(『風塵抄』Ⅱ、中公文庫)。

「改竄(ざん)された長編小説『坂の上の雲』――大河ドラマ《坂の上の雲》と「特定秘密保護法」」を「映画・演劇評」に掲載しました

 

 

「特定秘密保護法」の修正案についての「国会」での討議もほとんどないままに、政府・与党は明日25日にもこの法案の衆議院での通過を目論んでいるようです。

この記事を急いで書くことで「事実」を改竄したり隠したりすることをNHKに強いるような安倍政権には、この法案を提出する資格が欠けていることを示すことにします。

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『坂の上の雲』の大河ドラマ放映については、放映権を与えた遺族の方々を批判することになるとも考えて、書くことを控えてきました。

しかし、長編小説『坂の上の雲』が改竄されて放映されたことは、信頼して放映権を譲った遺族の方々へのNHK側の裏切りにもあたると思えます。

政権側に媚びているとしか思えないNHKの報道姿勢を問い質す意味でもやはり「映画・演劇評」のページに記事を掲載することにしました。

 

大河ドラマ《龍馬伝》の再放送とナショナリズムの危険性

分かりやすい平易な文章で描かれてはいますが、厳しい歴史認識も記されている長編小説『坂の上の雲』が、NHKのスペシャル大河ドラマとして2006年から放映されることが決まったと知った時には、強い危機感を持ちました。

征韓論から日清戦争をへて、日露戦争にいたる明治の日本を描いたこの長編小説を冷静に読み解かなければ、国内のナショナリズムを煽(あお)るだけでなく、それに対する反発からロシアや中国、さらには韓国のナショナリズムも煽られて、日本とこれらの国々や、欧米との関係にも深い亀裂が生じることになると思われたからです。

脚本を書いていた才能ある作家・野沢尚氏の自殺のためにテレビドラマ《坂の上の雲》の放映は延期となりましたが、ふたたびその構想が浮上したときには、坂本龍馬を主人公とした大河ドラマ《龍馬伝》(2010)を間に挟んだ形で、2009年から2011年の3年間にわたるスペシャルドラマとして放映されることなりました。

名作 『竜馬がゆく』で司馬遼太郎氏は、ペリー提督が率いるアメリカの艦隊が「品川の見えるあたりまで近づき、日本人をおどすためにごう然と艦載砲をうち放った」ことに触れて、これは「もはや、外交ではない。恫喝であった。ペリーはよほど日本人をなめていたのだろう」と激しい言葉を記していました。

しかし、土佐における上士と郷士との血で血を洗うような激しい対立をもきちんと描いていた司馬氏は、「尊王攘夷の志士」だった若き竜馬がすぐれた「比較文明論者」ともいえるような勝海舟と出会ったことで急速に思想的な生長を遂げていく様子を描いています。

「時勢の孤児」になることを承知しつつも、「戦争によらずして一挙に回天の業」を遂げるために「船中八策」を編み出した竜馬は、暗殺されることになるのですが、司馬氏はこの長編小説を「若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へ押しあけた」という詩的な言葉で結んでいました。

残念ながら、「むしろ旗」を掲げて「尊王攘夷」を叫んでいた幕末の人々を美しく描き出した大河ドラマ《龍馬伝》の竜馬にはそのような深みは見られず、この大河ドラマを挟んでスペシャルドラマ《坂の上の雲》の放映が行われた後では、「国」の威信を守るためには戦争をも辞さないという「気概」を示すことが重要だと考える人々や、竜馬の理念を受けついだ明治初期の人々が獲得した「憲法」の意義をも理解しない政治家が大幅に増えたように見えます。

昨日、大河ドラマ《龍馬伝》の再放映が行われていることを知り驚愕しました。

《坂の上の雲》の放映は大きな社会的問題となりましたが、選挙戦のこの時期に大河ドラマ《龍馬伝》の再放映が行われていることも大きな政治的問題を孕んでいると思えます。