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『史記』

司馬遼太郎の文明観―-古代から未来への視野(レジュメ)

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司馬遼太郎の文明観―-古代から未来への視野(レジュメ)

『文明の未来』honto(書影は「honto」より)

「文明史家」ともいえるような視野を持つ作家の司馬遼太郎が古代中国の歴史家・司馬遷が書いた『史記』を「世界最大の文学だと信じ」、著者の姓を借りてペンネームにしたことはよく知られている。
歴史作家の陳舜臣も『史記』について「のちの諸史が、断代史であるのにくらべて、『史記』は五帝以後、夏、殷、周、春秋、戦国、秦、漢にいたる、当時の世界史をめざしたことも特筆すべきであろう」と記している(下線引用者、「史記の魅力」『史記』第一巻、徳間文庫)。
たしかに、秦と漢の二つの「帝国」だけでなく様々な「国家」の歴史を比較した『史記』には時代的な制約はあるものの、きわめて斬新な比較という方法すら明らかに見られる。
注目したいのは、一九八一年のエッセーで司馬が秦帝国の誕生に際して六ヵ国が、「各国の利害関係や国情がちがうために秦の恫喝外交によって切りくずされ」、ついに秦によって滅ぼされていったと『史記』に言及しながら記すともに、「私はこどものころから、戦国の秦がすきではなかった」と記していたことである(「沸騰する社会と諸思想」『司馬遼太郎が考えたこと』・第11巻)。
ここには『日本の未来へ――司馬遼太郎との対話』(梅棹忠夫編著、二〇〇〇年、日本放送出版協会)で、国立民族学博物館初代館長の梅棹忠夫との対話で、グローバリゼーションの強い圧力により顕在化することになる「二一世紀の危機」の問題も鋭く予見していた司馬遼太郎の比較文明学的な視野が感じられる。
しかも、土地を耕すことを「文明」とした漢民族から「野蛮」とされたモンゴルの言語を学んでいた司馬は、「文明的な行為」である「耕作」さえも、「草原」地帯では「砂漠」の発生につながるという「風土」論的な視点を踏まえて地球的な規模での環境を考え、「核兵器の廃絶」を唱えるだけでなく「原発の危険性」も示唆していた。
本論では『坂の上の雲』などの長編歴史小説で複雑な近代の国際政治情勢を描いた文明史家・司馬遼太郎の古代から21世紀への広い視野と深い洞察をとおして、未来の文明のあり方を考察した。